理論言語学のジャーゴン(符牒)は、
門外の言語学徒を悩ますものである。
まったく何を言っているのか見当もつかないものもある。
「非能格動詞・非対格動詞」は、時にわかったような気がして、でも時に、どっちがどっちかわからなくなってしまうものである。わかりにくいmisnomer(s)だと言う人もいる。
また、そもそも「理論」に立脚せずに、用語に一人歩きさせることには、危険も伴うことかも知れない。
とはいえ、「覚え書き」として、ちょっとヒントを書いておきたい。
グロットペディアによると、
http://www.glottopedia.de/index.php/Unaccusative_verb
非能格動詞も、非対格動詞も両方とも自動詞である。
そこまでは、わかる。
(非対格動詞は、)
"Their single arguments denote direct objects in relational grammar and GB, instead of agent-like participants."
わかるようなわからないような。
"Thus unaccusatives are defined syntactically rather than semantically as verbs that assign no external theta-role and no structural Case."
もうわからない。
でも、その下の実例を見ると、「こういうもののことか?」というアイディアが浮かぶ。
助動詞を伴う完了形を作る言語で、助動詞が"to be"と"to have"の間で使い分けがされる場合、非対格動詞は"to be"を採り、非能格動詞は"to have"を採るんだそうだ。
またオランダ語では、非能格動詞は、(無人称)受動ボイスを作ることができるが、非対格動詞は、(無人称)受動ボイスを作ることができないそうだ。
閑話休題。
エスキモー語学では、他動詞が自動詞活用するときに、もともとの他動詞の主語(agent)がその1項として残るagentive verbs (A=S≠P)ともともとの他動詞の目的語(patient)がその1項として残るpatientive verbs (A≠S=P)とに分けられる。(Pは近年の言語類型論ではO:objectで表わされることが多い。)
それらが、若かりし日のE先生によると、100%一致する訳ではないが、(意味的に似ている)日本語の動詞の分類に、9割方一致するそうである。
即ち、日本語の動詞の1つの分類法では、自・他対応を持つ動詞(相対他動詞、相対自動詞)と自・他対応を持たない動詞(無対他動詞、そして無対自動詞)に分類される。
相対他動詞・相対自動詞のペアは、例えば、「切る・切れる」、「落とす・落ちる」などである。無対他動詞は、例えば「食べる」などであり、無対自動詞は、例えば「走る」などである。
その相対他動詞・相対自動詞のペアが、エスキモー語のpatientive verbsに大方一致し、無対他動詞が、エスキモー語のagentive verbsに大方一致すると。
とすると、エスキモー語のpatientive verbsの自動詞活用したもの、また日本語の相対自動詞が、非能格動詞にほぼ一致するのではなかろうか。
(エスキモー語、日本語で、どの「部分」が非対格動詞に一致するのかは、まだちょっとよくわかっていません。)
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また、自動詞主語の格標示が、活格、不活格で分かれる言語においては、活格主語を採る自動詞が非対格動詞、不活格主語を採る自動詞が非能格動詞にほぼ一致するのではなかろうか。