異民族、異なった民族の出自の人々に対するヘイトクライムに関する投稿などがありました。
https://twitter.com/keisatojapan/status/1552506870073794560?s=21&t=TOBmlaGGo4Xv3CmO7BmPKQ
ここに、「憎悪のピラミッド」という図がありますが、これってそのままLGBTQ+に対するヘイト、それも特に宗教によるヘイトにもそのまま当てはまると思うのです。
当該の宗教に来るLGBTQ+の排除、特定の権利の制限は、下から3番目の差別行為だし、コンバージョンセラピーの強要は、下から4番目の暴力行為に当たります。
イランなどでの死刑は、一番上の抹殺に当たります。(ジェノサイドというのは、民族集団に対する固有の用語なので使えません。)
細かい状況、条件などは、LGBTQ+と民族とで違いもあると思いますが、構造的にはものすごく似ています。
社会、集団の多数派によって、ある少数者集団が「他者化」され、排除され、場合によっては、物理的、言語的暴力を浴びせかけられる。
キリスト教に限って言えば、それって、四福音書の中のイエスがしていたことですか?と問いたい。イエスはむしろ、社会から排除されがちな人々、社会の中で小さくされた人々に寄り添いませんでしたか?
「聖書に罪と書いてあるから」、それは、他者を断罪することを正当化するのに使うことはできません。罪とは、自分自身が認め、告解など神との対話の中で軌道修正するためのツールです。他者を審くためのものではありません。審判することができるのは独りイエス・キリストだけです。
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民族とLGBTQ+は、違いはあるのですが、いろいろ考える材料にはなると思います。
先のツイートの中に張られていたリンクを張っておきます。
https://gjhr.net/2022/05/05/93/
https://gjhr.net/wp-content/uploads/2022/05/5d16ec3219a7571182e1c08cc27c7500.pdf
「民族」と、「LGBTQ+/SOGI」との違いに気をつけながら読むと、何か気付きが与えられるかもしれません。どうぞお試しを。