1. トライ・アンド・エラー
try and errorとは、英米の英語的には間違いなんだけど、日本語の中では定着しています。英語では、両方とも名詞にして、trial and errorが正しいということは、検索すれば、やたらと書かれています。
英語の動詞の「名詞化」は、ちょっと曲者ではあります。tryの名詞は何ですか?と聞かれたら、trialというのが正解になるんだと思います。でも、tryも名詞として使うときがあります。
Give it a try(ちょっと試してみて)
It was a nice try(よくがんばったね!)
みたいに。でも、これは、文の中のどこの位置でも使えるわけではないですね。
あと、動名詞を使うときもあります。
Thanks for trying(やってみてくれてありがとう)
みたいに。tryと、trialと、tryingと、使い分けているんですね。ネイティブ並みに使い分けられるようになるためには、かなり経験が必要そうです。
トライ・アンド・エラーに戻ると、私の今の「説」はこうなります。
日本語に入った英単語由来の外来語にも、引用形式(citation form)があるんじゃないかと今は考えています。基本、名詞由来でも、動詞由来でも、日本語に外来語として入ると通常は名詞扱いになるんだけれど、その中の引用形式(≒一番基本的な形)があるんじゃないかと。
トライと、トライアルがあったとしたら、後者は前者の屈折形式というよりは、派生形式になるのかもしれないけど、想像をたくましゅうすれば、ここでの屈折と派生の区別って大きな意味は無いのかも?(あ、英語からの外来語に関してです。)引用形式とは、様々な屈折形式の中の一番基本的な形が決めやすければ、それがなるんだけど、トライと、トライアルでは、(仮にどうしても派生関係だとしても)トライの方が基本的な形なんじゃないかと。また、英語のtryは動詞だとしても、日本語に入ったら、名詞扱いですから、そこは大きな問題じゃないです。(動詞にするには、トライするなどと言わなければなりません。
エラーの方は、動詞のto errが日本語に入っていませんので、エラーが一番基本的な形になります。
以上、「派生だったら、引用形式って言わなくね?」というご批判は甘んじて受けますが、まあざっくりと、「より基本的な(単純な)形が使われている」ということなのかも知れません。
以前職場の会議で、「コミュニケートする」という表現があったのを、「コミュニケーションする」に直した同僚がいました。よっぽど原語形が脳裏にチラついてしょうがない人でなければ、日本語の中で「コミュニケート」は使わないでしょうね。
それから、所有格の'sや、複数のsも、よく落とされるなあと。某界隈で、誕生日パーティーのポスターが、ほとんど
Tom Birthday Party
みたいに書かれているんです。Tom'sの'sがどうしても出てこない。日本語だったら
トムの誕生パーティー
と「の」が入るでしょうが、英字にすると、'sは落とされます。これも、引用形式的な形が好まれるのかなあと考えています。
映画の邦題や、音楽の放題でも、文法要素がいろいろ落とされますね。ちょっと古いですが、
Dances With Wolves(ダンス・ウィズ・ウルブズ)
では、複数のsは残されたんだけど、三単現のsは落とされていました。
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2. ワクチン接種
日本語では、
大学に入学する
病院に入院する
のそれぞれの行の2つ目の「学」、「院」のように、類別辞的なものがある表現があります。朝鮮語にもありますが、中国語では、例外を除いては、類別辞的なものを含む動詞表現(離合詞)と(類別時とは別の)目的語の両方が使われることは無いようです。
そんなときに、
接種疫苗(ワクチンを接種する)
疫苗接種(ワクチン接種)
という中国語の表現を見て、これ(特に上の動詞の例)は離合詞と目的語名詞の両方を使っている例だと早合点しました。でも、それをTwitterに書いたら、中国人の中国語の先生から、「接種の種は、タネではなくて、ウエルという意味の動詞です」と訂正されました。
中国語の辞書を調べてみたら、
接種 jiēzhòng
で、動詞の第4声(下降調)のzhòngになっています。名詞だったら、第3声(低声調)のzhǒngになるはずです。
私は、日本語話者として、接種の種は、名詞的なものだとずっと感じていました。漢和辞典でも読み込んでいないと、「種」が動詞だとは中々気が付かないのではないでしょうか。
ところで、これから日本に広がるかも知れないサル痘に有効かも知れないということで、日本では接種されることがもう何十年も前に終了した
種痘
という言葉が、メディアに戻ってきました。この「種」は「ウエル」という意味の動詞だと考えると、よく分かりますね。
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3. ウクライナ語とロシア語
スルジクという言葉がある。
日本語ウィキペディア「スルジク」
https://bit.ly/3vDqfC0 (2022.8.5参照。カナがあるのでURLを短縮した)
(より詳しくは、下の参考文献にある北出氏のウェブ記事のアーカイブを参照)
1つの意味としては、ウクライナ語とロシア語の混ざった、中間的な言語変種のことだという。
ウクライナ語が優勢な個人が、ロシア語的特徴を混ぜて話したり、逆に、ロシア語が優勢な人が、ウクライナ語的特徴を混ぜて話したりすることなのだと考えられる。
でも、そんなものが束の間の安定を保っていたのは、平和な過去の話である。
今のウクライナ人(ロシア系ウクライナ人を除く)は、家庭では純粋なウクライナ語を使うことを好むだろうし、でも、ロシア語ができる多民族と話すときには、習得していればロシア語をしかたなく使うのだろう。
先日ウクライナ人と、私の錆び付いたロシア語で話す機会があったのだが、スルジクという言葉を出したら、瞬時に却下されました。これは、政治的、社会的な理由で、そんな中途半端なものを使うことは赦されなくなってきていることが窺われます。