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言語音考

ちょっと、日本語の言語音に関して考えたことを。

1.
私がロシア語学科の1年生だったときに、
ネイティブの先生がアルファベットを発音するのを聞いて、
Бがどうしても、ベーではなく、ブェーか、ボェーみたいに
聞こえてたんです。でもまあ、大学1年生ですから、
音声学の素養も無く、そのままにしていました。

先日、ロシア語母語話者に、厳密な最小対には中々見つからなかったのですが、
外来語にはある、/e/の前の非硬口蓋化音(ロシア語学では硬音と呼ぶ)の/m/を
発音してもらったのです。

/mer/ 「市長」

そうしたら、

[mˠer]

という感じに、軟口蓋化していました。
(わからなかったら、音声学をお勉強してくださいね。)

下記は主格ではなく、「ゲージ、メジャー」の複数・属格の形ですが、

/mʲer/ [mʲer]

と最小対をなしています。

ここで思い出されるのが、Юさんがソシュールを引いて言っていた、

「フィーチャーのプラスとマイナスの対立というのは、
 プラスの方にそのフィーチャーがあって、
 マイナスの方にそのフィーチャーが(消極的に)無いというという
 対立ではなく、
 マイナスの方は、そのフィーチャーが無いということを
 積極的に表現する」

ということです。

まさに、硬口蓋化が無い方の/m/は、硬口蓋化というフィーチャーが
無いことを積極的に表現するために、余剰的ではあるかも知れないが、
軟口蓋化[mˠ]を帯びてしまった、ということのようです。

これが、私が大学1年生のときに聞き取っていた、
ブェーか、ボェーの正体なんでしょう。すなわちアルファベットのБは

/be/ [bˠe]

という風に、T先生の発音では、軟口蓋化を帯びていたんでしょう。


2.
TBS Radioで、平日22時から、Session 22という番組を持っている
荻上チキさんですが、

/CVri/という音素の並びがあったときに、その/ri/ 「リ」の部分が良く
[ɹ̩ʲ](有声歯茎接近音。音節主音となっていて、硬口蓋化している。)
と発音されることを観察していたのですが、

別個に、複数回
/ri:da:/「リーダー」を、
[ɹ̩ʲ:da:]

と発音なさっているのを観察しました。

これは、音素としては、/ri/という子音と母音の分節音が
ならんでいるが、それが実現した音声型では、
[ɾʲi, lʲi, ɹʲi]などのように、時間的に前後に配されるのではなく、
[ɹ̩ʲ]という風に、同時に実現していて、それがさらに、[ɹ̩ʲ:]と長くも
なるということです。

あ、チキさん!聞き取りに弊害がそれほどあるわけでは
無いので、STのところに通って治すほどではないですよ!

ただ、音声学徒、言語学徒にとっては、面白い題材に
なってくださっているというだけです。


3.
先日、J-WaveのDrive In Japanを聞いていたのですが、
大阪府出身の山口智充さんが、

両方を[ɟo:ho:]と発音していました。

音素表記をすれば、

/ryo:ho:/とでもなるものですが、

その最初の/ry/が、語頭なので、[ɖ]か何かの
破裂音で実現しようとして、さらに硬口蓋化/y/は、
音素/d/であったら[dʑ]などをもたらすところですが、
/d/と/r/は違うのでそのルールは適用されず、
でも、やっぱり硬口蓋化のせいで、
舌と口蓋の接触面が[ɖ]よりは後ろに広がって、
[ɟ]になったということでしょう。


4.
「ユッカヌヒーのポーポー」
というのが話題になっています。
https://j-town.net/tokyo/column/gotochicolumn/289968.html?p=all

「の」以外わからない、と。

そりゃそうでしょう。「の」は東京共通語の「の」ですから。

「ユッカヌヒー」というのは、旧暦の四日の日(ヨッカノヒ)で、

東京共通語とウチナーグチの母音の対応関係をしっていれば、
謎解きは途中までできます。「ヒー」が長いのは、また別な
説明が必要でしょう。

とはいえ、前提的知識が無い、東京共通語話者が、
「ユッカヌヒー」を見ると、何のことやらわからなく
なってしまうんですね。

そこで思い出されるのが、世田谷のE先生が言っていた、
「トマトはなぜ、和語ではなく、外来語と感じられるのか」

という問題です。

授業中に答えをくださることは無かったように思いますが、
何か、音素配列論的に、エキゾチックなところがある
かのように仰っていた感じがします。

でも、第1モーラと第3モーラが同じものだったら、
「憩い」とか、「酢蓮」とか、無いことは無いですよね。

私が私なりに考えているのは、

特に母語に関しては、音素配列論云々ではなくて、
「語彙」の中にある音素連続と、「語彙」の中に無いものに
違いがあるのではないかということです。

「語彙」の中に無い音素連続はエキゾチックに感じてしまう
のではないかと。

(ということは、皆さんがときどき行う「無意味語」の
 調査というのも、実は、慎重にやらないとイケないこと
 なのかも知れません。)

私が、以前、アラスカに行っていたころ、
現地の中年層より若い人たちの母語は既に英語になっていましたが、
私の名前Nobu [noubu:]を言わせようとすると、
Noboになったり、Nuboになったりして、
なかなか正確には覚えてもらえなかったのです。

これとて、英語の音素配列論に、それほど逆らっているとは
思えなかったんですけれどもね。

そんなときにとある現地人が、「Your name sounds like homebrew, eh?」
(君の名前って、密造酒みたいな発音だね?)と言ってきて、
その後しばらくは、私のことをHomebrewと呼んでいた人が
いました。

英語の(そして現地の人々の)語彙にある「Homebrew」は記憶しやすかった
けれども、「no」や、「boo」がいくら英語として適格だと言っても
それら2つを組み合わせたものは、やっぱりエキゾチックすぎて
覚えられなかったということでしょう。

ユッカヌヒーも、ヨッカノヒからちょっとずれただけで、
もはや、東京共通語話者には処理不可能になってしまったって
ことなんでしょう。

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2019年9月24日 14:04に投稿されたエントリーのページです。

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