2011年5月21日 第3回FINDAS研究会(インド文学史科研共催)報告

掲載日 | 2011年05月25日

FINDAS外大拠点第三回研究会(インド文学史科研共済)の報告です。

日時:5月21日(土) 13:00~15:30
場所:本郷サテライト7階 会議室

1.石川まゆみ(東京外国語大・学部4年生)
タイトル:「フィジーにおけるヒンディー文学―現状報告―」

報告:

フィジーにおけるヒンディー文学の現状を、過去4回にわたって実施した現地調査にもとづいて報告した。

最初に、フィジーの地理、歴史、社会、言語、教育、習慣に関して予備知識として必須と思われる事項を概観した。そのうえで、主要都市における公的機関、各種学校、書店などの現状調査、作家や教師、一般市民、政府機関関係者へのインタビューにもとづき、主な作家、文学作品がどのような状況にあるかを、現地で入手した出版物等の文献資料や写真もまじえて紹介した。特殊な歴史的、文化的背景を持ち移民の子孫であるインド系フィジー人たちが抱える様々な現実と問題は彼らの実生活や精神に影響を及ぼし、それらが現地の文学作品に反映されている。しかし現在の彼らの生活のなかで、文学は身近にはなく、本の販売、供給状況は限られたものであり、また時代の移り変わりと共に教育の場では英語を使用することが増え、ヒンディー語を読み書きすることからも離れつつあることで、それが作家たちの執筆、出版活動にも影響を及ぼしている。ヒンディー語による文学の需要と供給、享受はごく限られた人々だけのものとなっている。国内に文学の次代を担う活動的な若手の作家もいないことから、フィジーにおけるヒンディー語文学は消滅の道を進んでいく危惧を抱かざるをえない。フィジーで生まれたがオーストラリアやニュージーランド等に移住し、英語で執筆活動をするインド系の人々もおり、フィジー国内だけではなく国外へ出たこのような作家たちの作品がどのようなものであるか、またどのような視点を向けているか、にも注目してみるべきだろう。さらにフィジー国内でのフィジー語による文学の状況も調査した上でフィジーにおけるヒンディー語文学を対比させ、研究をまとめるべきではないか、とのご意見、ご指導も頂いた。

2.坂田貞二(拓殖大学・名誉教授)
タイトル:「文学の媒体(写本、印刷技術、メディア)―問題提起―」

報告:

19世紀後半の北インドでは、文献を製作する方法が手書きから石版印刷および活字印刷へと移行しつつあった。この過程をトゥルスィーダースによる古代叙事詩『ラーマーヤナ』の翻案Rām-carit-mānas『ラーム・チャリト・マーナス(ラーマの行いの湖)』(1574年に着手)の例で辿ると、つぎのようになる(下記の3点は、いずれも坂田蔵)。

(1)  Rām-carit-mānas (『ラーム・チャリト・マーナス』)。1869 年完成の原文写本。縦27センチ×横20センチ、両面書き447葉(約890ページ)を綴じて本にしたもの。

(2)  Śrīrām-carit-mānas (『聖ラーム・チャリト・マーナス』)。カーシー(現在のワーラーナスィー) の出版社・書店から1869年に刊行された原文の石版刷り本。縦29センチ×横23センチ、全468ページで多数の絵が挿入されている。

(3)  Rāmāyaņa Tulsīdās kŗt sațīk(『トゥルスィーダース作のラーマーヤナ、註釈付き』)。ラクナウーのナワル・キショール社から1888年に刊行された活字印刷で、原文に註釈と現代語訳が添えられている。縦18センチ×横37センチの貝葉型で両面印刷。1,438ページが綴じてないため、貝葉写本の形を保っている。

これらが製作された時期は、1857年におきたインド大反乱が1859年に鎮定され、インドがイギリス帝国の直接支配下に置かれたことに伴い、法令や学校教科書を印刷する技術が急速に広まってきたときにあたる。

上掲(1)の手書き本(写本)と(2)の石版刷り本が同じ1869年に造られ、(3)の活字本がその19年後の1888年に出版されていることからわかるように、手書きからさまざまな印刷へと移行するなかで、技法が並行・並存していたことも窺える。宗教書や娯楽書のなかには、活字が定着した1900年に石版刷りで出版されたものもある。

なおCDやDVDが普及している今日、『ラーム・チャリト・マーナス』の電子版は売れ筋になっている。