2012年7月7日 第2回若手研究者セミナー「<サバルタニティ>の射程」の報告

掲載日 | 2012年08月22日

7月7日に行われました2012年度第2回若手研究者セミナー「サバルタニティの射程」の報告です。

テーマ:

「<サバルタニティ>の射程―インド社会における被抑圧世界の断片から」

報告者1.杉本浄(東海大学)

報告者2.鈴木真弥(中央大学)

報告者3.小西公大(東京外国語大学)

報告者4.木村真希子(明治学院大学)

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報告者1.杉本浄(東海大学)

タイトル「サバルタニティの空間:オリッサ州鉱山開発の過程と被開発者」

要旨:

本報告では近年急速な開発の進むオリッサ州丘陵部の鉱山とそれによって大きく翻弄されてきた被開発者に焦点をあてることで、サバルタニティの空間がいかなる状況のもとで歴史上形成されてきたのかを明らかにした。

報告のはじめでは、オリッサ州鉱山開発の現状と問題を概観した。1990年代以降、インドの高い経済成長に伴う旺盛な需要の下で、特にボーキサイト、クロマイト、石炭、鉄鋼石、石灰石、マンガンのオリッサ州からの採掘量が急速に伸張した。1994年から2008年までの間に、各種天然資源の総採掘量で4倍強の伸びを示した。こうした背景には州政府の積極的な外資導入による鉱山開発が進められた結果でもある。

その一方で鉱山の拡張や新たな一体開発によって生じる、立ち退き、耕作地減少、環境破壊、水質汚染といった問題が浮上し、森林破壊によるトライブの生活圏喪失に反対する運動などが現われた。例えば、アルミナの原料であるボーキサイトが埋蔵する南部のラヤガド県やカラハンディー県では近年国際資本による積極的な開発投資が行われたが、NGOなどの協力の下で根強い反対運動を展開することで、開発が困難になるケースが目立っている。

次に、こうした鉱山開発の起源と経過を知るために、特にオヌグル県にあるタルチェル炭鉱に注目しつつ、オリッサの鉱山開発史を概観した。まず、1911年から採掘がはじまったタルチェル炭鉱とその問題化の軌跡を独立以前から以後にわたって跡づけた。1990年以降は周辺の発電所だけでなく、アーンドラやタミルナードゥ州に石炭を供給するために規模が拡大化され、2006年には年5000万トンの産出量を達成している。15年前は1800万トンであったため、実に2.8倍近くになった。

むろんここでも大規模化によって、立ち退きの補償問題や耕作地および森林の減少、水質汚染、露天堀りによる粉塵拡散(大気汚染)、土壌汚染といった問題が生じている。1990年代以前よりは、被開発者の声が聞こえるようにはなったが、資源開発による利益を経済成長の要とすることに、沿岸地域の世論は支持する傾向にある。

以上、本報告では被開発者に不利益をもたらす鉱山開発自体をサバルタニティの空間形成として紹介したが、状況説明のみで、具体的な被開発者の声が拾われていないなど、方法論上の問題点を指摘されたため、今後の課題としたい。

報告者2.鈴木真弥(中央大学)

タイトル「『ポスト』ガンディー/アンベードカルの『不可触民』:『ハリジャン』と『ダリット』の交錯」

要旨:

本報告では、現代インドにおけるカーストや不可触民問題をテーマに、従来のダリット(運動)研究の視点では捉えにくい不可触民の事例としてデリーのバールミーキ(清掃カースト)の動向が検討された。報告者は、デリーで実施してきた調査(2005-11年)に依拠して、バールミーキの社会組織の歴史展開を20世紀の不可触民解放運動の思想的支柱であったM.K.ガンディーとB.R.アンベードカルの潮流に位置づけ直すことで、両指導者の影響下で揺れ動いてきたバールミーキの「サバルタン的状況」を論じた。

コメンテーターの押川氏からは、両指導者の思想の捉え方について、国民や国家概念も視野に入れることで不可触民解放思想の解釈を再吟味する必要があること、今日の「ガンディー主義者」、「アンベードカル主義者」との思想の連続性と断絶性にも注視すべきであるなどの指摘がなされた。粟屋氏からは、本報告が関係性のなかでサバルタニティを捉えようとしながらも、実際には対象集団を「サバルタン」として固定化する傾向がみられるなど建設的な意見や質問が多く提出された。

報告者3.小西公大(東京外国語大学)

タイトル「欲望は歌にのせて:タール砂漠ムスリム芸能集団にみる『語り』の可能性」

要旨:

本報告は、インド北西部に広がるタール沙漠エリアに存在するムスリム芸能集団マーンガニヤール社会を事例とし、その社会的変革に伴う芸能コンテンツの変化を「語りの可能性」という視座から分析することを目指した。マーンガニヤールに留まらず、タール沙漠エリアにもいわゆる「グローバル化」の波が訪れており、人びとの社会関係からライフスタイルまで大きな変貌を遂げている。同地の芸能集団は、旧来のパトロン―クライアント関係を基盤とした社会構造の崩壊とともに、また同地における急激な観光化現象により、儀礼的意味が捨象された「パフォーマンス」による生計手段をとり始めている。こうした状況下において、彼らの芸能の様式やコンテンツ、レパートリーにまつわる解釈や、彼らの考える「伝統性」が大きく揺らいでいる。
本報告では、この状況を明確にするために、一つの歌の形態と歌詞の変遷を詳細に明示した。この歌は、そもそも女性たちの儀礼歌だったものが、同集団の男性によって「編曲」され、さらに大ヒットしたヒンディー映画の挿入歌として全国的に知られるようになった。また、マーンガニヤール芸能の「ワールドミュージック」という名における世界的な受容は、この歌を「Rajasthan Folk Music」の最も有名な楽曲の一つとならしめた。それぞれの段階における歌詞やスタイル、歌に対する解釈は大きく異なり、様々なアクターがその記号性をめぐって競合してきた状況をみいだすことができる。
果たしてこの歌は誰のものか。その歌に込められた主題はなにか。解釈をめぐる権力関係が、その歌を歌い継いできた人びとの「語りの可能性」をいかに抑圧してきたか。本発表では、文化的コンテンツをめぐるアリーナ間のポリティクスを明らかにするとともに、そこで「声」を消されていく人びとの「サバルタニティ」にも焦点を当てた。

報告者4.木村真希子(明治学院大学)

タイトル「環境のガーディアンか、森林の破壊者か:アッサムの森林地帯における先住民族『不法居住者』を事例に」

要旨:

本報告では、アッサム州の森林(保留林)における先住民族(トライブ)の「不法居住者」を事例に、先住民族の土地権、自治権運動とエスニック紛争、そして森林減少の関係を捉えることを試みた。同時に、ボドランド運動によりボド領域自治県を獲得したボド民族内部におけるエリートと、領域自治外で政治的代表性から排除される人々のあいだの関係も考察した。

1990年代前半から半ばにかけ、ボドの民族組織が武装活動を展開した保留林地域において、多くのボドの土地なし農民が環境森林局の許可なく居住を始めた。これらの人々は、紛争終了後、特にボド領域自治県外では「不法居住者」とみなされ、森林現象の主な原因と批判されて取り締まりの対象となっている。本報告では、大規模な森林伐採には政治家や官僚、木材業者などの広範なネットワークが関与していることが多く、従って「不法居住者」のみに原因は帰せられないこと、また「不法居住者」は故郷の西部アッサムで土地がなく他県や他州で日雇い労働者、農業労働者となっていたものであり、彼/彼女らに代替地を提供しない限り、追い出しは困難であることを指摘した。

同時に、ボドランド運動は先住民族の間の土地問題が大きな原因となって始まったものであり、「不法居住者」の人々の問題を解決することも運動の大きな目的の一つであったはずだが、実際に領域自治県が発足すると自治県外の人は投票権を持たず、そのため彼/彼女らのニーズが反映されない状態である。このように、森林の「不法居住者」のボドの人たちは、政治的代表性がなく、そうした人達に「森林伐採者」としてのレッテルが貼られ、取り締まりの対象者となるという二重の意味で声が代表されていない。ボドランド領域自治県の発足とともに、先住民族の政治家や官僚など、エリートにとっては活躍の場が増える一方、土地なし層などの下層民の問題が見えにくくなっている。

各報告は、全体として権力の構図を歴史的に述べながらサバルタニティを最大限に解釈しているようなものであった。また今回の報告では、ある集団内の重層性-つまり固定性と流動性とが同時に立ち現れてくるということ-も垣間見ることができた。報告で取り上げた対象はいずれも80年代後半~90年代に変化の契機をむかえるが、これはグローバル化の浸透が、あるいはグローバルな言説がサバルタニティの空間に入り込んできたためであると思われる。多様な場所における様々な運動が個別化している傾向が見られるが、それらが個別化した先に、相互にどのようになつながり方があるのかということが見えてきづらい、という意見も出された。

Kiyoshi Sugimoto

Maya Suzuki

Kodai Konishi

Makiko Kimura