1998年度 インターネット講座

メディア・情報・身体 ―― メディア論の射程

第4回
マクルーハン的視点の継承

(1998/07/15更新)

これまでの論点

2回にわたってマクルーハンが彼の主著の中で述べていることの論点を取り上げてきました。実はその時点ですでに、マクルーハン自身の論点の中から取捨選択を行い、それにともなって彼の論の展開におけるアクセントの置きかたとは違ったふうに思想を再構成してまとめている面もあるのですが、それは、今回以降に述べようとしている現在のメディア理論におけるマクルーハン的な視点の継承を照準に合わせてのことです。マクルーハンの思想をまとめる際に、私はとりあえず、それぞれ密接に関連しあっている次の3つの点を念頭において述べてきました。

今回は標題にあるとおり、これまでとりあげてきたマクルーハン理論が現在のメディア論においてどのような修正を受けながら引き継がれているかということを概観していきたいと思います。それによって、現在のメディア論のひとつの大きな枠組みを示すことにもなるでしょう。

口述文化と文字文化 (ハロルド・イニス、ウォルター・J・オング)

音声言語→表音文字→電子メディアという3段階的な展開、あるいは文字の段階において筆記と活版印刷のあいだに大きな断絶を見て、4段階的な展開でメディアをとらえるという考え方は、現在のメディア論における基本的な枠組みを形成するものとして継承されていると見てよいでしょう。こういった考え方はマクルーハンがまったく初めて提起したものではなく、『グーテンベルクの銀河系』でマクルーハン自身が強調しているように、ホメロスの口承的oralな物語詩は、現在われわれが考えているような文字に基づいた文学とはまったく別個の形式を持つものであること、口承的な文学と文字による文学はまったく違った感覚によって受け止められ、さらには両者の違いは思想の形式、社会生活や政治的な組織化における違いにも及ぶものであること、を明らかにしようとした研究[註1] に触発されて、その延長として構想されたものでした。また、とりわけ、マクルーハンと同じトロント大学のハロルド・イニスはマクルーハンの直接の先駆者と見なされています。彼は『帝国とコミュニケーション』や『コミュニケーションの偏向』(邦訳のタイトルは『メディアの文明史』)という著作の中で、アルファベットという表音文字システムが文化の段階に与えた決定的な影響を指摘し、また印刷技術によって部族主義からナショナリズムへの社会的形態の変遷が引き起こされたことを論じていますが、こういった枠組みはマクルーハンにそのまま引き継がれているものです。[註2] マクルーハンの思想に影響を与えた著作がどれほど多いかということは、彼のきわめて多岐にわたる引用の取り上げ方を見てもわかりますが、その中でも、現在にいたるまで引き続いて、口述文化と文字文化におけるメディアの作用の問題に関して重要な研究を行っているウォルター・J・オングは特に重要な位置を占めていると思われます。オングは50年代後半から60年代前半にかけて、16世紀フランスの人文主義者ピエール・ド・ラ・ラメ(ラテン語名:ペトルス・ラムス)に関する重要な著作をいくつか発表しています。16世紀にこのラメがおこなった印刷に基づいた教育方法が、旧来の文化と異なる「印刷文化」を形成していったかを検証するオングの複数の著作を、マクルーハンは『グーテンベルクの銀河系』の中で頻繁に取り上げています。[註3] この[註3]で述べられているようなオングの言葉、またそれに対するマクルーハンのコメントを見るならば、口述文化から文字文化への移行に際しての思考様式の変化、印刷術が文化に対して果たした転換作用という考え方の枠組みは、すでにマクルーハン以前にはっきりと提示されていたものであることがわかります。オングは、The Presence of the Word (1967), Interfaces of the Word (1977), Orality and Literacy. The Technologizing of the Word (1982)(邦訳:『声の文化と文字の文化』(桜井直文他訳、藤原書店、1991年))といったマクルーハンの主著以降の著作で、「活字以降」の電子文化にも言及していますが、そこまで含めてオングはメディアの発展を(1) 口承的 (2) 筆記的(3) 活字的 (4) 電子的、という4段階の過程としてとらえています。[註4] マクルーハンの著作自体が、オングの口述的文化と文字文化、そして特に印刷術の果たした役割に対する考察からかなりおおきな影響を受けているのですから、オングのこの4段階的なメディアの展開の図式がマクルーハンの思考と共通したものであるとか、ましてや受け継いでいるという言い方をするとすれば、あるいは本末転倒となるかもしれませんが、少なくとも、こういった図式が現在の基本的な了解事項となっているということを確認するためのひとつの素材としたいと思います。

それぞれのメディアの特性

吉見俊哉は『メディア時代の文化社会学』の中で、オングによって提示された4段階的なメディアの展開に対して、マクルーハン的な各段階のメディアの特性に基づきながら、非常に興味深い図式化を行っています。しかし、その図を示す前に、基本的にマクルーハンの枠組みによる各メディアの特性を整理しておきましょう。

文化段階 前文字文化 文字文化 電子メディア文化
メディア 音声言語 筆記 印刷 電子メディア
時間・空間
(現前性)
いま・ここ
(現前的)
時間的空間的距離0
過去・遠隔
(非現前的)
時間的空間的距離の拡大
(擬似的)「いま・ここ」 +過去・遠隔
(疑似現前的)
時間的空間的距離0+拡大
身体性
感覚性
直接性
身体的
感覚的
直接的
非身体的
知的・論理的
間接的(記号を介して)
(疑似)身体的
(疑似)感覚的
(疑似)直接的
複製可能性 不可能 不可能 可能
反復・画一
可能

各メディアの特性として、左側の列に「時間・空間」「身体性・感覚性・直接性」「複製可能性」という項目を掲げていますが、これらのうち上の2つの項目は互いに密接に関わっています。

音声言語の段階においては、空間的に目の前にいる人に対して、時間的にその瞬間に、直接的に語りかけます。この「いま・ここ」という状況が「現前的present」であるということです。その際、もっとも優位におかれている感覚は「聴覚」ですが、マクルーハンにとってこの段階における経験は、聴覚を筆頭にしてむしろ全感覚的なものとされています。その意味で、身体はその経験に直接的に関わっています。また、語られたことをある程度模倣することは可能かもしれませんが、厳密な意味での複製は不可能です。

文字言語の機能的な面での最大の特徴は、伝達内容を物質的な記号として外在化し、それにともなう「保存」という機能によって時間的・空間的な移動が可能となったということにあるでしょう。それによって直接的な「いま・ここ」という現前性は失われることになります。この文字という物質的な媒体は、本来それ自体によってある身体的感覚を引き起こすものではありません。われわれ(特に識字率が驚異的に高い日本人)にとって、「読む」という行為はごく当然のものとなり、文字を読むことでその伝達内容をきわめてありありとある身体的感覚に翻訳することがごく自然に行われています。しかし例えば、「酒場は薄暗く、たばこの煙が立ちこめていた。少し明るくなっている角の席に三人の男が向かい合って座り、小さな声でぼそぼそ話しているのが、酒場に流れる音楽の合間に聞こえてくる」という文を「読む」ときに喚起される身体的感覚は、もちろん実際に経験しているものではありません。文字から身体的感覚へとどの程度うまく翻訳することができるかは、文字という道具に対する習熟度に左右されますが、どんなに習熟しているにせよ、読むことによって得た経験が間接的なものであ ることには変わりはありません。つまり、直接的な身体性をもっていないと言うことです。複製可能性は、これらの特性とはまったく別個のものですが、「筆記」と「印刷」のあいだに決定的な断絶があります。筆記は、音声言語と同じように、模倣は可能であっても、完全な複製にはなり得ません(例えば、筆跡など)。印刷の特性は、マクルーハンが繰り返し強調していることを持ち出すまでもなく、その反復可能性、画一性そして大量生産可能性にあります。

電子メディアの特性のうちにマクルーハンが基本的に見ているのは、前回取り上げたように、音声言語の特性の回帰ということです。彼の理解によれば、文字言語、とりわけ印刷術は確かに、文字言語は西欧近代の知の歴史を築き上げてきたのだけれども、同時にそれ以前の音声言語の段階のゆたかな全感覚的な経験を失ってしまった。それに対して、電子メディアは音声言語の段階の感覚性を再び取り戻す、ということです。その意味で上の表での(疑似)という言葉は、マクルーハン自身はつけたがらないかもしれません。しかし、実際には、例えばある情景をテレビで見るとき、その情景をほんとうに見ているわけではないのですから、(疑似)という言葉を加えることによって注意を促したいと思います。テレビのブラウン管に透過される光の粒子の動きによって得た体験という意味で、それも間接的であるということも確かにいえます。しかし、本を読むことによって得た視覚的な体験とは決定的に異なり、擬似的なものではあったとしても、実際にそれは視覚を通じて体験したものです。あるいは、ステレオで音楽を聴くとき、スピーカーの振動音を聴くという間接的な体験をしているにすぎないか もしれないけれども、実際に聴覚を用いていることは事実です。その意味で、音声言語の回帰としての特性を、括弧付きで「疑似」としたわけです。複製可能性に関しては、それが電子メディアの決定的に重要な機能のひとつであることは言うまでもないことでしょう。

メディアの展開の図式 (吉見俊哉)

さて、前置きが長くなりましたが、吉見俊哉氏は、(1) 口承的 (2) 筆記的(3) 活字的 (4) 電子的 という、オングの提示した時間軸に沿ったメディアの展開(結局、それは上に示したマクルーハンのそれと重なってくるのですが)を、「現前性・身体性・直接性」という特性と「複製可能性」という特性を別々の座標軸にとって、次のように図示しています。

 

この図において興味深いのは、「口承」→「筆記」→「活字」→「電子」という展開の過程において、「非複製性」から「複製性」へと向かうという点では一方向的であって、「現前性・身体性・直接性」の座標軸(上の図では「文字性」と「身体性」という両極として座標がとられています)に関しては、「口承」から出発したメディアの特性が「電子」において再び回帰しているという、二つの相異なる次元が明確に示されていることです。ただし――この点を強調しておかなければなりませんが――「電子」メディアが「口承」oralメディアと同じ「身体性」の側へと回帰したからといっても、それは本物の身体性ではなく、あくまでも「疑似的」なものです。その意味で、「口承」と「電子」が座標軸において確かに同じ「身体性」の特質を有するものであるにせよ、回帰した際に同じ平面上にあるのではなく、いわば次元のずれが生じているといえるでしょう。

情報様式(マーク・ポスター)

マクルーハンと同世代のオングが主に口述文化と文字文化に焦点を当てていたのに対して、彼らより30歳若い、1941年生まれのマーク・ポスターは『情報様式論』(1990)で、音声や文字といったメディアの過程を視野に入れながらも、電子メディア文化の特性に焦点を当てています。彼はその際、「ポスト産業化社会の概念――ベルとレトリックの問題/ボードリヤールとテレビCM/フーコーとデータベース/デリダと電子的エクリチュール/リオタールとコンピュータ科学」といった章の標題が示すように、電子メディア文化の特性をポスト構造主義的な視点と交差させることによって、独自な地歩を占めていますが、それらの基盤をなしている立場は、電子的コミュニケーションの研究のためには、「新しいコミュニケーション・パターンを形成する文化的社会的形態」(邦訳、p.10)の理論化の志向であり、ポスターはそれを「情報様式」という概念においてとらえようとしています。[註5] この「情報様式」という言 葉は、マルクスの「生産様式」にヒントを得た ものということですが、マルクスの場合、生産諸関係や生産手段の違いによって区分されるような歴史的カテゴリー(例えば、手工業的な生産様式、資本主義社会的生産様式、社会主義的生産様式)に対応するようなカテゴリーとして、ポスターは次の三つをあげています。

「全ての時代は、意味作用の内的外的な構造、手段、関係を含んだシンボル交換の形態を行使している。情報様式の初段階は次のような形でとりあえず示されるだろう。すなわち、対面し、声に媒介された交換、次に印刷物によって媒介される書き言葉による交換、そして電子メディアによる交換である。もし、最初の段階がシンボルの照応によって性格づけられ、二番目の段階が記号の再現=表象によって位置づけられるとしたら、三番目は情報的なシミュレーションによって性格づけられるだろう。最初の声の段階において、自己は、対面関係の全体性に埋め込まれることによって、発話地点として構成されている。二番目の印刷物の段階においては、自己は理性的/想像的自律性における中心化された行使者として構成されている。三番目の電子的段階において、自己は脱中心化され、散乱し、連続的な不確実性の中で多数化されている。」(『情報様式論』P.11)

(1)対面、声に媒介された交換、 (2)印刷物によって媒介される書き言葉による交換、 (3)電子メディアによる交換――こういった「シンボル交換」のカテゴリーは、マクルーハンのメディアの展開の図式に完全に対応しているように見えます。しかし、マクルーハンが電子メディアの特性を基本的に対面的な音声文化の特性の回帰と捉えていたのに対して、ポスターの場合、電子メディアはそれまでのメディアとはまったく特性の異なるものとして捉えられています。そのことは、上に引用した部分での特徴づけにも見て取ることができるでしょう。その意味で、ポスターの掲げている「情報様式」は、決してマクルーハンの焼き直しなどではないのですが、枠組み自体は、マクルーハンの思想、そして彼が取り上げている思想の流れを汲んでいると見ることができます。



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