「一つの中国原則」と「一つの中国政策」の違い

東京外国語大学
小笠原 欣幸
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪

 なぜ混同が生じるのか

 中国の「一つの中国原則」とアメリカの「一つの中国政策」は別物である。これは英語文献では ‘One China principle’ と ‘One China’ policy と表記し区別される(引用符がない場合もある)。この用語の使い分けは,米中関係の中核問題である台湾について,米中双方の立場・利害が異なることを示す。しかし,両者を混同させた報道・解説も多々見られる。これは,日本メディアに限らず,米メディア,台湾メディアでも長きにわたって発生している現象である。
 その原因は,次のように整理することができる。
① 中国の「一つの中国原則」はわかりやすいが,米の「一つの中国政策」は戦略的あいまいさを含むためわかりにくい。
② 新聞などでは字数が制限されるので,説明が簡略化され,その過程で不正確な認識が広がりやすい。また,「一つの中国」が外交上の争点であった1970年代から長い時間が経過し,記者や識者が当時の文脈を知らないまま発信することが少なくない。
③ 中国側は「一つの中国原則」が世界中で受け入れられているという演出をしたいので誤った記事・解説に訂正を求めないし,米の「政策」は中国の「原則」と同じという誤認が広まることは好都合である。一部の台湾メディアにも,このような傾向が見られる。他方,米側は「二枚舌外交」と言われることを警戒し,あえて「政策」と「原則」の違いを強調しない傾向がある。

 「原則」と「政策」の定義

 中国の「一つの中国原則」とは,①「世界で中国はただ一つである」,②「台湾は中国の不可分の一部である」,③「中華人民共和国は中国を代表する唯一の合法政府である」という三段論法である(2000年の中国政府の白書「一つの中国原則と台湾問題」)。
 1970年代,多くの国がこの原則を「承認」した。日本は,③については「承認」,②については中国の立場を「十分理解し尊重する」とした(1972年の「日中共同声明」)。アメリカは,③については「recognize(承認)」,①と②については中国側の立場を「acknowledge(認知する)」とした(1978年の「米中共同声明」)。
 「中国大陸と台湾がともに一つの中国に属する」という言い方は,台湾の反発を緩和するために考え出された比較的新しい用法で,胡錦濤時代以降の対台湾政策文書で広く使用されるようになった。なお,この用法が初めて正式に使用されたのは2002年の中国共産党第16回大会報告で,「世界で中国はただ一つであり,大陸と台湾はともに一つの中国に属し,中国の主権と領土の分割は許さない」と言及された。
 アメリカの「一つの中国政策」は,①「1972年,78年,82年の三つの米中コミュニケ」,②1979年制定の「台湾関係法」,③1982年にレーガン大統領が台湾に対して表明した「六つの保証」から成り立つ。
 米中国交正常化を規定した1978年の「米中コミュニケ」において,アメリカは「中国は一つだけであり,台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認知する」と表明した。同時にアメリカは「台湾関係法」という国内法を制定し,台湾の安全へのコミットメントを法的に確認した。これは,「米中コミュニケ」の中で表明されている中国側の主張と明確に矛盾する。
 ③の「六つの保証」は3番目の「米中コミュニケ」を否定する内容を持つ。ただし,これをどう位置付けるかは米国内でも議論があり,米の政治家・専門家で「六つの保証」に言及しない人もいる。
 (注)「六つの保証」については,小笠原 「膠着状態の中台関係とトランプ政権の登場」 の 注13 を参照。

 中国はそもそも「台湾関係法」にも「六つの保証」にも反対しているので,中国側が米の「一つの中国政策」に言及する際には,①の「三つの米中コミュニケ」だけにする事例が多い。特に中国メディアの報道ではそうなっている(専門家の論文では②,③にも言及している)。中国側は常に,米の「一つの中国政策」とは「三つの米中コミュニケ」だけ,と国際社会が認識するように努力を続けていると言える。
 「一つの中国」をめぐる米中の駆け引きは,中国がアメリカに「一つの中国原則」の受け入れを迫り,アメリカは中国の要求に対しあいまいさを含ませて対応し,中国も反発と妥協を繰り返し今日に至っている。アメリカ政府の態度については,「のらりくらりとかわしてきた」とするか,「ずるずると妥協した」とするか,「巧妙にアメリカの利益を確保してきた」とするか,どう評価するか論者によって異なる。
 いずれにしても,「アメリカが中国の一つの中国原則を受け入れた」と書くことは不正確であり,また,米の「一つの中国政策」を「中国と台湾がともに中国に属するという一つの中国政策」と書くことも中途半端であり,誤解を招く。少なくとも,「台湾は中国の一部だとする中国の立場に異論を唱えないが,台湾の安全には関与する」というのが米の「一つの中国政策」というような説明が必要である。
 二つの用語の使い分けは,米中の駆け引きの核心にかかわることであり,今後の米中関係の動向,台湾をめぐる東アジア情勢を判断する上で非常に重要であり,歴史的経緯を踏まえた正確な報道・解説が求められる。

 トランプ・習電話会談の報道

 2017年2月9日(日本時間2月10日),トランプ大統領と習近平国家主席が電話で会談した。ホワイトハウスは,「トランプ大統領は,習近平国家主席の求めに応じ,我々の『一つの中国』政策を尊重することに同意した」とのニュースリリースを配信した。新華社は,「習近平は,アメリカ政府が一つの中国政策を堅持するとトランプが強調したことを賞賛し,一つの中国原則は中米関係の政治的基礎だと指摘した」と配信した。新華社の配信文は,二つの用語を使い分け両者の立場を区別して書いているが,「政策」と「原則」が並んでいるので,事情をよく知らなければ両者が同じものと思い込みやすい。
 この電話会談についての日本メディアの報じ方を見てみる。「トランプ大統領が,中国と台湾は不可分の領土であるとする『一つの中国』原則の尊重に同意した」(A社)という記事は,「原則」と「政策」を混同した典型的な事例である。トランプが「尊重する」と述べたのは米の「一つの中国政策」であって,中国の「一つの中国原則」ではない。新華社が両者を区別して使っているのに,なぜ混同させるのであろうか。記者が複雑な経緯を十分整理できていないと思われてもしかたない。
 「トランプ氏は,中国と台湾は不可分の領土だとする『一つの中国』原則を確認した」(B社)という記事は,両者の混同だけではなく「確認した」という強い言葉を使っているので,さらに不適切である。
 「トランプ氏は,習氏が認めるよう求める(中国と台湾がともに中国に属するという)『一つの中国』政策について,「尊重する」と初めて語った」(C社)という記事は,「政策」という用語は使っているが,「中国と台湾がともに中国に属する」という説明を安易に加えているため,読者は,トランプが中国の「一つの中国原則」を尊重すると語ったと思うであろう。
 ホワイトハウスのリリースには「台湾を中国の一部とみなす」という文言はない。リリースは「我々の『一つの中国』政策を尊重する」とだけ発表し,「一つの中国」の中身について留保の空間を作っているが,日本メディアは勝手に中途半端な説明を付して読者に誤解をもたらしている。
 「トランプ米大統領は,習近平国家主席と電話協議し,米国の歴代政権が踏襲してきた『一つの中国』政策を維持する考えを表明した」(D社)という記事は比較的正確だ。
 電話会談の当日・翌日,多くの報道機関がこのように報じたため,アメリカが中国の「一つの中国」原則を受け入れたと思った人が多かったであろう。著名テレビコメンテーターや著名学者の中に,この誤解に基づいて議論を展開しているものがあった。不正確な報道に引きずられたのではないだろうか。メディアの役割は非常に大きい。
 専門家の文献や講演においても「政策」と「原則」の混同は散見される。ただし,文脈から内容が明らかな場合は,言葉尻にとらわれる必要はない。
 トランプ・習電話会談の日本メディアの報道に戻れば,その後,好ましいことに,「原則」と「政策」の違いに触れて米中の立場について解説する正確な記述が増えてきた。

 スタートライン

 アメリカの「一つの中国政策」というのは米歴代政権の対中外交政策の大枠であって,具体的な対台湾政策は歴代政権で幅があるし,同一政権であっても8年の間に変化している。この幅の中で台湾情勢が左右される。電話会談でトランプが表明したのは,このスタートラインについたということだけである。
 トランプ政権がこの政策の枠の中でどういうポジションをとるのかは,これから明らかになる。この先政策のバランスがどう傾くのか,中国がどう反応するのか,慎重な観察が必要である。



【参考文献】

 まず,「米国の一つの中国政策の変遷」という題名からしてズバリなのが,胡為真『美國對華一個中國政策之演變』(臺灣商務印書館,2001年)である。これはニクソンからクリントンまでのアメリカの「一つの中国政策」のプロセス・変化をまとめている。胡は外交官で,駐ドイツ代表,駐シンガポール代表を経て,馬英九時代に国家安全会議秘書長を務めた。中国・台湾側の資料をよく整理している。
 佐橋亮『共存の模索—アメリカと「二つの中国」の冷戦史』(勁草書房,2015年)は,ニクソン,カーター時代に焦点を合わせ,米の対中国・対台湾政策の展開を主に米の膨大な資料を読み込んで明らかにした労作である。戦略重視のキッシンジャー,ブレジンスキーらが対中妥協にどんどん深入りし台湾を軽視していくプロセスが生々しく描かれている。胡と佐橋の両著は,それをぎりぎりで食い止めたのはアメリカの民意が集まる米議会であったことを指摘している。
 福田円『中国外交と台湾―「一つの中国」原則の起源』(慶應義塾大学出版会,2013年)は,今日中国が当然のように主張する「一つの中国原則」が実は1954年から65年にかけて形成されたことを,中台米その他の膨大な資料を読み込んで明らかにした労作である。
 そして,高木誠一郎編『米中関係―冷戦後の構造と展開』(日本国際問題研究所,2007年)に収録されている松田康博「米中関係における台湾問題」は,米中関係の「中核問題」である台湾問題の推移を整理した論文である。台湾問題が,台湾民主化前は米中関係の従属変数であったのが台湾民主化後は独立変数に変化したという重要な指摘をしている。

(2017年3月20日)


フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪
蔡英文政権論2 「膠着状態の中台関係とトランプ政権の登場 」

OGASAWARA HOMEPAGE
フリー素材柚莉湖♪風と樹と空と♪