「マニアックな」イラン・中東政治入門

 

 

選挙運動期間最終日(517日水)、テヘラン市内。左が現職支持、右の青年は対抗馬支持。

 

 

12期大統領選ブログ(2017

 

松永泰行(東京外大教員)

 

 

「マニアックな」イラン・中東政治入門

 

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・マニアックな選挙分析(3):コムではライースィーが勝利

 

2017522日更新

 

 

ファールス通信コム支部の報道によると、やはりコム(州)ではライースィーがローハーニーより多く得票していた。

 

投票総数: 611,478 (投票率は78%

 

ライースィー候補: 350,269 (57.3%)

ローハーニー候補: 219,443 (35.9%)

 

イラン全体(ローハーニーが57.1%で、ライースィーが38.3%)とはちょうど逆の結果に。それでも、コムでも3割強はローハーニーに投票しているのが注目される。

 

 

 

 

・マニアックな選挙分析(2):ローハーニー再選発表後(自主)祝賀パレードをする北テヘランの若者

 

2017522日更新

 

 

 

 

土曜日夜。これがこのように平穏裏にできるようになったというだけで感慨深いが、まさにイランの政治過程の一側面としてのマルドムサーラーリー(「民主」)的部分が単なるスローガンでなく、(時には)達成感をもって味わえるものでもあることの証左。

 

同じイラン学生通信ISNAによる動画はこちら:<動画

 

 

 

 

・マニアックな選挙結果分析(1):開票速報に基づく選挙結果の意義

 

2017520日更新

 

 

        まだ最終的な集計結果は出ていないが、イラン時間の土曜日の午前11時現在で、集計済みの4007万票のうち、ローハーニーが2279万票、対抗馬のライースィーが1545万票と発表され、開票中の残りの投票数が恐らく最大でも300万票程度とみられるため、これでローハーニーの再選は確定。以下、直ちに言える意義を列挙したい。

 

・最終的にはローハーニーは2400万票程度を獲得すると見られ、イランの大統領選挙では、第8期大統領選挙(2001年)におけるハータミー大統領再選時と並ぶレベルの国民の多数派の支持を受け、ローハーニーは再選されたことになる。これは、対外政策および国内政策に関しローハーニー路線が国民の多数派の支持を受けていることを明白に内外に示したもので、意義は大きい。ローハーニーの選挙スローガンは「イランのためにもう一度」(ドバーレ・バラーイェ・イラン)というものであったが、核合意に象徴される対外協調路線と国内的には一定の社会的・文化的自由を保障する政策からなるローハーニー路線がイランの国益を増進するものであるとの了解が、多数派意見であることが、政治的、社会的にも共有できたことになる。

 

・その一方で、ライースィー候補も1500万票以上の得票をしており、とりわけ経済政策において、ローハーニー路線は社会の低所得者層への施策を欠いたものとして不満を増大させていることも明白になった。ライースィー候補個人は文化的・社会的・宗教的・イデオロギー的に保守強硬派であるが、ライースィーへの投票の大部分は、イデオロギー的理由に基づくものでは必ずしもなく、直接的にはローハーニー政権の経済政策への不満、さらに(アフマディーネジャード期のような)補助金の増額による手取り収入の補てんを要求する内容のものであった。ローハーニーは、自らの安定的な再選で既存路線が信認されたとして、弱者切り捨て「新自由主義的」経済施策を継続する可能性が高く、ライースィー支持者の不満はこれから4年間でさらに増大するとみられる。つまり、4年後の選挙までには社会の分極化がさらに悪化することが十分予想できる。

 

・国際的には、欧州諸国や日本にとってはローハーニー再選で核合意前後からのイランの国際協調路線が継続されることになり、安堵の胸をなでおろすことができた。アメリカとの関係に関しても、アメリカ政府内に存在しているイランとの既存の核合意を維持することに国益を見出している勢力にとっては歓迎される展開といえる。もちろん、イラン国内で誰が大統領になっても、イランを敵対視する勢力にとっては、ローハーニーの再選は特段の意味を持たない。しかし、ローハーニー政権の外交路線およびイランの軍事・安全保障政策が、イラン国内的には強固な基盤の上に成り立っていることが示されたことは、米・イラン関係や地域における対立関係にも、不安的な地域情勢の中での数少ない安定要因とみなすこともできる。

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(8):ライースィーとその支持者

 

2017519日更新

 

 

        選挙運動期間が終了し、1日の休みを挟み、金曜日(本日)が投票日。今回の大統領選挙の選挙運動は色々な意味で興味深かったが(例えば、6名の候補の選定具合、6名の候補が主要2名に収斂して行った過程、誰がその2人、特に誰がローハーニーな主要対抗馬となったかの過程、候補や集会に関する情報伝達、宣伝活動において(スマホ系)ソーシャルメディアが果たした新奇な役割、候補間の競争において候補者個人の資質ではなく、組織力の有無が重要性を発揮した点、社会的階層の違いがどの候補を支持するかにいかに関係していた点、全体として統制が効いた、想定外の事態が起こらなかったいわば優等生的な選挙戦であった点など)、ライースィー支持者の彼への支持の背景、特にライースィーの選挙運動がもたらした、今次の選挙を超えた重要性について、一言書きたい。

 

        ライースィーは革命直後より、テヘラン周辺でいくつかのイスラーム法廷の検察官を歴任した後(イランでは1979年の革命後、長い間、検察官と裁判長の区別はなかったので、基本的に訴追をし判決も下す人だったということ)、過去数代の司法府長官の下で検事総長や第一副長官など司法府トップの要職に抜擢されてきた人物であり、彼は司法関係以外での経歴は基本的に持っていない。昨年、マシュハドのイマーム・レザー廟寄進財団の管理者を長く務めた(最高指導者より年長で現最高指導者が最高指導者になる前からこの職についていた)アーヤトッラー・ヴァーエズ・タバスィーが亡くなった後、(同じマシュハド出身の)最高指導者からその後継者として任命され、初めて非司法関係のポストに就いただけである。この任命もしたがって、経歴から見ると一見、不可思議な印象を与えるが、もちろんそれなりの理由がある。簡単にいうと、マシュハドの金曜礼拝同師の娘婿だからということだが、この金曜礼拝導師を任命したのも最高指導者であるので、つまりは、最高指導者が抜擢した(つまり彼の息がかかっている)人材であり、最高指導者の戦略的な任命の対象者ということが重要な点である。

 

        したがって、政治的には全く無名の新人というに等しく、今次の大統領選挙に立候補手続きをした時点、あるいは(もっと言って)資格が認められた立候補者が出そろって選挙運動期間が始まった時点においては、これほど支持者の動員と票固めに成功できるかどうかは全くもって未知数であった。最終的に立候補辞退をしたが、選挙戦開始時点では、ガーリーバーフの方が過去2回出馬経験があったので、まったくの素人であるライースィーより選挙戦をうまく闘うことができるはずだと分析されていても、あながち間違いではなかったといえる。実際に当初起こったことはその通りで、4週間にわたった選挙期間の前半は演説も単調で魅力がなく、テレビ討論会では第1回目は静かで全く目立たず、本当に大統領になる気があるのか、と思わせるものであった。それでも、終盤になると、地方遊説を多々経験し、聴衆の関心をつかむ旨い演説の仕方を少しは身につけたようで、少なくとも現職のローハーニー大統領の政権の政策的な優先順位に関する問題点を指摘する部分に関しては、聞いているものが歓声で呼応できる程度の演説がようやくできるようになった。

 

        1回投票で(投票総数の)過半数を押さえる程の数はいないにしても、ライースィー支持者がなぜライースィーを支持しているのかは、説明を要する興味深い現象の一つといえる。例えば、同様に全国的には無名で、2005年の大統領選挙期間中に知名度と存在感を増し、上位2位に踊り出て、最終的に(決戦投票で)大統領に初当選した時のアフマディーネジャードと比べてみると、ライースィー支持者の特徴がよく理解できる。

 

        2005年選挙時のアフマディーネジャードはテヘラン市長で、その前職は大学教員、国政レベルでの経験は皆無であった。さらに国家指導部の誰かの覚えめでたいという状態にもなく、テヘラン市長は市評議会の任命で、テヘラン市評議会選挙に一度出て落選した経験があるものの、選挙で当選した経歴もなく、組織的な基盤も、資金源もないという、(いわばゲリラ)候補であった。その彼が選挙期間中に急速に支持を集め急上昇した理由は、ひとえに彼個人の資質と政治的能力にあった。端的にいうと、演説がうまかったし、(政治学的には reframing of issue dimensionsというが)話をつくり替えるのが上手で、前評判が一番高かったラフサンジャーニー候補の全くの正反対の候補として自らを売り込むことができたからであった。それと比べると、ライースィー候補の場合は、そのような候補者個人の特質の故ではなく、(彼が候補者であるにもかかわらず)組織や支持者がとりまとめが成功し、選挙戦の終盤に見られた大規模動員と盛り上がりが達成できた例であるといえる。その意味では、彼に立候補を勧めた勢力が賢かったと言わざるを得ない。

 

        では、ライースィーが候補者であることは全く無関係であるかというと、そういう訳でもない。ライースィー支持者がなぜライースィーを支持しているか、よく当人たちが並べる理由を書きだしてみると、次のようになる。

 

  ・保守派(オスールギャラヤーン、文字通りには原則忠実派)の政治的主流派の組織が推している候補(具体的には、JAMNA = 革命勢力人民戦線や 保守強硬派のJPEE = イスラーム革命持続戦線が支援している候補)であるから

 

  ・現職のローハーニー政権の対抗馬だから(つまり、ローハーニー政権の政策的優先順位とその帰結として、生活状況がアフマディーネジャード政権下より苦しくなったと感じている社会階層の利害を代弁すると言っている候補であるから)

 

最初の理由は、言い換えると、ライースィー支持者は、これらの組織が応援する候補を支持するネットワークに社会的に既に組み込まれている、つまり、候補者個人が誰であるかにかかわらず支持しているという意味であり、2番目の理由は、ローハーニーの経済政策が、(担当閣僚も一部が全く同じであることからも自明なとおり)、1990年代のラフサンジャーニー期の経済政策と同じあり、その外資導入頼みの新自由主義的経済政策で恩恵が回ってこない社会階層が、アフマディーネジャード期の補助金(現金)ばらまき政策を復活させることを具体的政策の目玉に掲げているライースィーを、その理由で支持していることを意味している。

 

選挙戦の前半にイランで現地調査をした際に聞いて回った感じでは、2番目の理由で支持すると言っている人々が圧倒的に多かった。

 

        これらに加え、支持者の頭の中には、

 

  ・最高指導者の覚えめでたい候補(最高指導者と同郷の同業者であり、上述の通り任命等から最高指導者が彼を個人的にひいきにしていることは自明である候補)だから

  ・黒ターバンのイスラーム法学者で、次期最高指導者への推挙も噂されているから

 

という側面があることも、見て取れる。この点では、前述のとおり、最高指導者の卵としては現状、ライースィーはまだまだ(準備不足)と思われるが、コムでの演説会での候補者登場前の会場の盛り上がりを見ていて思ったことは、「カリスマは作られるもの」ということであった。つまり、しばらくこれ(周りがこのような担ぎ上げ)をやっていると、気が付くとライースィーが次期最高指導者候補として比類のない存在にまで育て上げられている、という状態になるやもしれない、ということである。もちろん、(どう周りで繕っても)ご本人がそういう玉ではないという結果になる可能性もあるが、今回の選挙戦終盤での彼のパフォーマンスを見る限り、育て上げるのは可能(ペルシャ語で、ショダニー)である気がする。ということは、ライースィーは今回勝てなくても、立候補して選挙運動した甲斐は十分あったということ。裏返すと、今回はローハーニーが再選されても、4年後には必ずやライースィー政権が誕生するということを、その支持者は覚悟せねばならないということのようである。

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(7):ライースィー・エスファハーン(515日月曜日)

 

2017516日更新

 

 

        ライースィーも負けじと月曜夕刻にエスファハーンの同じ広場で演説。写真で見る限り、これも広場いっぱいの人だかり。動員力では互角の感あり。

 

 

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(6):ガーリーバーフ選挙戦撤退、ライースィー支持表明(515日月曜日)

 

2017515日更新

 

 

        前述のとおり4月28日の第1回テレビ討論会で、アフマディーネジャード的言動を見せ、自ら墓穴を掘るスタートをしてしまい、その後もそれを改めず、鳴かず飛ばず状態になっていた、ガーリーバーフ候補が、月曜午後3時に選挙戦からの撤退宣言を発表した。各都市の金曜礼拝開催本部など最高指導者に連なるイスラーム国家の既存の諸組織やネットワークを流用し、組織的な動員を通じた選挙活動を行ってきていたライースィーと比べ、組織なしの手弁当支持者ネットワークに依存することを余技なくされていたガーリーバーフ・テヘラン市長が苦戦していたのは目に見えていたが、投票日5日前という早めの、つまり、選挙運動期間を2日半残しての撤退となった。革命防衛隊の土建部門の長からアフマディーネジャード政権で石油大臣を務めたロスタム・ガーセミーが、選挙期間開始時よりライースィー選挙本部で中核的な役割を果たしていたとおり、革命防衛隊もイラン・イラク戦争当時の同志のガーリーバーフではなく、ハーメネイー最高指導者の覚えめでたいライースィーの支持に回っていたことを踏まえると、いくらポピュリスト路線に訴えていたと言え、後ろ盾なしには戦えなかったというのが、ボトムラインであった。早めに引いて、権力機構の片隅に居残る選択をしたということ。早くも下記のような面白いイメージがソーシャルメディアに登場している。

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(5):ローハーニー大都市連続遊説(514日、15日)

 

2017515日更新

 

 

        テヘランでの大集会の翌日の5月14日(日曜日)、ローハーニーはザリーフ外相を従えて、古都エスファハーンのイマーム広場(旧「世界地図」広場)で演説。すごい動員力。保守派に金曜礼拝導師職を奪われて以来、久しぶりに改革派・穏健派がこの広場に参集できた感あり。

 

        さらに翌5月15日月曜日には、東アーゼルバーイジャーン州の州都タブリーズのプールシャリーフ・スタジアムで大演説。「あなた方が欲しがっているものは、入手可能である(アーンチェケ・ミーハーヒード、ショダニースト)」と大声で断言。そんな大見得切ってよいものか(アーゼリー系のムーサヴィー元首相の自宅軟禁を解けると思っているのか?)。

 

 

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(4):アーザーディー・スタジアム・ローハーニー支援集会(513日土曜日)

 

2017515日更新

 

 

        3回テレビ討論会の翌日、ローハーニー大統領がジャハーンギーリー副大統領と共に、テヘラン市内中心部のアーザーディー・スタジアムでの支援集会に登場した。選挙関係の集会の宣伝は、まめに新聞に案内が掲載されていた、かつてのハータミー大統領期初め(1997年〜2000年)とは違い、今回の大統領選挙運動期間中では、ソーシャルメディア(インスタグラムやツィッター)を通じたものに終始していたが、この集会に関しては、2日前の木曜および当日の改革派系諸新聞(アールマーネ・エムルーズ、アーフターベ・ヤズド、シャルグ、エアテマードなど)に告知用ポスターが掲載されていた。これからも、ローハーニー選挙本部がこの集会を選挙運動期間終盤戦皮切りの重要イベントと位置づけていたことが、明白に理解できる。

 

        改革派系通信社の報道写真(イラン学生通信ISNA)や動画(イラン労働通信ILNA)を見ると、ものすごい盛り上がり様であったことがわかる。映像掲載禁止になっているハータミー元大統領のものと分かるシルエットに、ローハーニーのキャンペーン・スローガン(「もう一度イラン、もう一度ローハーニー」)を合わせたステルス・ポスターが配られている一方で、演台の下の垂れ幕にはハサン・ホメイニー(故ホメイニー師の孫で寄進財産としてのホメイニー廟管理者)、ラフサンジャーニー、ハータミーとローハーニーの4名の写真が堂々と並べられている(下記)。ハータミー期の選挙集会では音楽は一切かけられることはなかったが、20年経つと別世界で、人気歌手ホッジャト・アシュラフザーデが歌う(演歌調の)「「もう一度イラン(ドバーレ・イラン)」がかけられ、リフレインの部分を会場の皆で歌わせるなど、ライースィーの集会との違いは歴然としている。

 

 

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(3):ライースィー・コム演説(56日土曜日)

 

2017515日更新

 

 

        2回テレビ討論会の翌日、ライースィー候補が選挙運動期間開始後、初めてコムを訪れ、コムの公式金曜礼拝会場であるモサッラーで演説をしたのを、選挙過程の現地調査の一環として聞きに行った。ライースィーは、マシュハドの出身であり、経歴・縁戚関係的にもマシュハド閥であり、コムとの縁はそう強くない。革命後に司法関係者を多数輩出したコムのハッガーニー・マドラサで、革命前に数年勉強していたことである程度である。演説会には1000人規模の支持者が集まった(会場がほぼ9割程度満杯)。5時からとされていたが、候補者本人が現れたのは6時過ぎ。1時間ほど前振りの掛け声係の先導により、数々のスローガンを叫んだ後、ローキーの候補者紹介演説があり、ご本人が登場し演説を始めた。すると、演説が始まった途端に会場に集まっていた人の2割程度が帰りはじめた。その一部は建物の外に出たところで、たむろって雑談をしていたが、実際に帰った人も少なからずいた。支持候補は固まっているから、わざわざ演説は聞かなくてよいという意味か、あるいは演説目当てでなく、前振りのスローガンを叫ぶときに居る必要があって来ていたのか、興味深い光景であった。いずれにしても、初めて選挙に出ているライースィーは、(どう見ても)演説はうまくなく(具体的には内容も論旨も単純で(「汚職はなくすのは不可能か?もちろん可能だ」等々)聞くに堪えぬし、しゃべり方も単調で魅力に欠けるので)、敢えて注意を払って聞くものではないという定評でもあったのか。政治に興味のない一般庶民も聞いてびっくり、この人はよいこと言うと皆をうならせた、かつてのハータミー大統領などとは大違い。それなりに話は旨いハーメネイー最高指導者とも比較にならない。会場の盛り上がりという点では、候補者登場前の前振りの方が全くもって勝っていたという不思議な選挙集会であった。

 

        しかし集会自体は、いくつかの意味で興味深かった。前振りのスローガンで、皆が一致団結して一番力強く叫んでいたのは「アメリカに死を(マルグ・バル・アムリカー)」だったが、これは毎週金曜日に叫んでいるので、単に叫び慣れしているだけか。今次の選挙戦でのライースィー選挙本部がプロモートしているスローガンで一番参加者が力強く叫んでいたのは、「ああ、ファーテメの息子よ、あなたを支持する(エイ・ペサレ・ファーテメ、ヘマーヤト・ミーコニム)」。これは一般的な意味で、黒ターバンのイスラーム法学者であるライースィーへの支持に宗教的意味合いを加味させようとしたものであるだけでなく、(シーア派第8代イマームの)イマーム・レザーの廟があるマシュハド出身で、昨年最高指導者よりマシュハドのイマーム・レザー廟の寄進財産管理者に任命された側面を強調したものでもある。これは、イマーム・レザーの妹ファーテメの廟があり、それゆえ巡礼地となっているコムでは特に意味を持つものであったともいえる。あとは、ハーメネイー師の後継最高指導者候補としてのライースィーのイメージ構築のためのスローガン(「三名のイマーム・ホセイン系セイイドへ敬礼:ホメイニー、ハーメネイー、ライースィー」)も叫ばれていたし、大統領選挙におけるライースィー支持のスローガンを、預言者やシーア派のイマームに関する祈願(サラヴァート)や殉教者、さらには革命防衛隊のゴドゥス軍司令官ソレイマーニーを称えるものなど、参加者が拒めない(つまり誰でも当然叫ぶ)スローガンの間に挟みながら叫ばせる巧妙な(あるいは見方によってはずるい)戦術が使われていた。総体として、大統領選挙の一部としての政治的な集会なのか、宗教的な文脈でのイマームや殉教者追悼の集会なのか、次期最高指導者選びの過程に影響を与えようとしている社会運動的動員のためなのか、という問いが頭の中に錯綜するような集会であった。その意味では、候補者本人は二の次で、大統領になった時の施策や他の候補批判に関する彼の演説が始まった瞬間に、人々が帰り始めたのも納得できなくもないものであった。ただ次期最高指導者の卵としては、現状ではまだまだ(カリスマ性、学識、経験、人脈、人柄、どれをとってもまだ全然無理)というのが率直な印象であった。

 

        写真や動画もたくさん撮ったが(GPS情報を消して撮るのを忘れたので)、下記、報道写真より。

 

 

 

 

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(2):ローハーニー応援集会(429日土曜日)

 

201752日更新

 

 

        1回テレビ討論会の翌日、テヘラン市内(北西部)の映画館で開催された(ハータミー系改革派の演者が集まった)「ローハーニー支持若者集会」。舞台上の垂れ幕に注目。ハータミーとラフサンジャーニーが推すローハーニーの再選を待望とのメッセージ。シャフラケ・ガルブより更に北側という場所柄、ローハーニー人気が高いのは驚かないが。2017430日記)

 

 

 

 

・マニアックな選挙戦分析(1):第1回テレビ討論会(428日金)

 

2017430日更新

 

 

        3回行われる候補者全員によるテレビ討論会。国営テレビとラジオで生放送。第1回から泥仕合に(ガーリーバーフとローハーニー・ジャハーンギーリーのコンビとの間で)。まずガーリーバーフの「ローハーニー大統領は若年者向け雇用の創出に関し4年前の公約を果たしていない」との批判に、ローハーニーがそんなことは言っていないと、ガーリーバーフに対し「大嘘つき」呼ばわりを。すると、ローハーニーの腹心のジャハーンギーリー副大統領が突撃隊長役と買って出て、20161月のサウジ大使館襲撃の実行犯とガーリーバーフの選挙運動本部との関係を強く批判。それに対しガーリーバーフが、なぜ現職大統領が再選のため立候補しているのに、その副大統領も出馬しているのだとジャハーンギーリーの出馬の意図に疑問を投げかけると、国会議員、知事、閣僚、副大統領を経験している俺が出てなぜ悪いと開き直ったジャハーンギーリーに、「俺は唯一の改革派候補として出ている」と大見得を切る機会を与え、やぶへびに。休憩時間の間に準備したインターネット・サイトのプリントアウトを手にしたガーリーバーフが、次の発言の機会に公約違反問題をぶり返すと、激怒したローハーニーが司会の国営テレビのアナウンサーの度重なる制止にも関わらず、ガーリーバーフに食ってかかる場内乱闘に。

          

           本命のはずのライースィーは、泣かず飛ばずで完全にお株をとられた状態。翌土曜日の新聞各紙では、やや守りに入っていたローハーニーを政策課題へ取り組む姿勢の前向きさで上回り、力強い論弁で自らを印象づけたジャハーンギーリーの予想外の活躍に注目が集中していた。一方のガーリーバーフは(2009年の大統領選テレビ討論会で対峙する候補者の夫人の履歴書を取り出し、紙をカメラに向けて掲げながら個人攻撃を行い不評を買った)アフマディーネジャードと同じ戦術に陥っていると評され、墓穴を掘ったとの評価がもっぱらであった。但し、ガーリーバーフはローハーニー政権を国民の上部4%に奉仕し残り96%を切り捨てていると、「庶民・中間層の味方」として自らを売リ込むことに専心している。どう転ぶかは、ローハーニー支持の大都市部の中間層以外の国民各層にそのメッセージが受け入れられるかどうかである。2017429日記)

 

 

 

・マニアックな候補者情報(3:「ライースィーは最後で抜ける」

 

2017428日更新

 

 

        「ライースィーもローハーニーが勝つのは知っている。その上で、自分の今後のキャリア拡大のために大統領選に出ているだけで、大統領になるために出ているのではない。したがって、投票日直前に抜ける(立候補を取り下げる)だろう。」改革派でハータミー元大統領側近のアブドッラー・ナーセリーの興味深い分析。ラフサンジャーニー系改革派紙「アールマーネ・エムルーズ」とのインタビューにて(427日第3頁、第6頁)。

 

 

 

・マニアックな候補者情報(2):ローハーニー選挙本部、募金を募る

 

2017427日更新

 

 

        「第12期選挙宣伝費用を、自主的、庶民的な援助に依存しています。(銀行口座番号)。ローハーニー第12期選挙本部長モハンマド・シャリーアトマダーリー」。426日付け改革派紙シャルグの最終面左下の広告(下記)。選挙期間中にこのような広告を見たのは初めて。ラフサンジャーニーがいなくなると、選挙資金も不足がちになるのか。

 

 

 

 

 

 

 

・マニアックな候補者情報(1): ガーリーバーフ(Qalibaf)テヘラン市長

 

2017426日更新

 

 

        モハンマド=バーゲル・ガーリーバーフ(Mohammad Baqer Qalibaf)は、1961年マシュハド近郊生まれで、1979年革命時には(数えで)18歳、高校卒業後そのまま革命防衛隊に入隊し、イラン・イラク戦争中は(20歳代前半にして)第5旅団「ナスル」旅団長に就任し南部戦線で主に諜報活動に従事、戦後は第25旅団「カルバラー」旅団長、最後の預言者建設基地(革命防衛隊の土建部門)司令官(1994-1997)を経て、最高指導者の命により、革命防衛隊空軍司令官(1997-2000)、治安維持軍(警察)総司令官(2000-2005)を務めた。

 

        この経歴から、強硬派と思われるかもしれないが、2005年よりテヘラン市長を務め、現在は「どぶ板政治」に徹しているレッキとした政治家である。大統領選挙に最初に立候補した2005年選挙時(テヘラン市長就任前)は、はにかみながら演説している感もあったが、4年前(2013年)の大統領選時には、国営放送の政見放送で浪花節のモノローグを披露し、政治家としての成熟ぶりを印象づけていた。今回も、一般庶民の生活難について語らせると、他の立候補者の追随を許さない一人勝ち状態。現在、(6人の候補者の中では最年少の)55歳。

 

        人柄を伝える興味深いエピソードとしては、革命防衛隊空軍司令官に任命された後、飛行機の操縦ができなければ空軍司令官はできないと考え、数か月間フランスに行き、エアバスのパイロットの資格を取得したこと。その後、空軍司令官を離れて警察総司令官を務めていた2000年代前半から現職のテヘラン市長在任中を通し、(どの位頻繁にかは不明であるが、技能維持および週末の余暇・内職として)イラン航空の貨物便の操縦をしているという。

 

 

 

上の写真は、2005年頃にアリー・ラーリージャーニー(左)を乗せてどこかに行っている際のもの。

 

今回の選挙でどこまで票を伸ばせるかは、地方遊説でいかに知名度を伸ばせるか、とりわけ自らの行政的な実務経験が豊富な政治家としての側面をアピールできるかにかかっている。ひょっとするとローハーニー(現職大統領)に肉薄できるかも。

 

 

© Yasuyuki Matsunaga 2017