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爪切り
補助記号の説明

쓰메끼리는 일’제시대에 들어온 공산품중에 하나로서 가위로 손톱을 깎던 시대에서 손톱만을 깎는 전용도구가 생겼다는 점에서 선풍적인 인’기를 몰고 왔다. 일본에서 부르던 그대로 쓰메끼리라고 부르다가 광복후에야 손톱깎기라는 우리말 이름을 갖게 되었다.

지금 삼십대인 사람들은 집안 어른들로부터 쓰메끼리 가져오라는 말을 한두번쯤은 들으며 자랐을터이고, 사오십대이상 되는분들은 손톱깎기대신 쓰메끼리라는 일본어를 더 많이 쓰고 있을’것이다. 이에 반해 요즘세대들은 거의 쓰지 않는것이 그나마 다행인데, 우리말에 남아 있는 일본어 찌꺼기중에도 그 수명이 다해 가고 있는 말이라고 하겠다.


出典:박숙희著 『반드시 바꿔 써야 할 우리말 속 일본말』(한울림,1996)p.98

 語 義 
제시대〈日帝時代〉  日本植民地時代(1910年~1945年)。왜정시대〈倭政時代〉とも言う。
공산품〈工産品〉  工業産品。
중에〈中―〉  …のうちの,…中の。⌒중의 に置き換えることができる。
-로서/-으로서  …として。…で。-로/-으로に置き換えることができる。
손톱  手の爪。足の爪は발톱。
깎다  切る。長いものを短く削る。머리를 깎다 髪を切る,연필을 깎다 鉛筆を削る。
I-  …していた…(途中)。 → 分析
-에서  …において。「-에 있어서」と同じ意味。
생기다  できる,生まれる,生じる。
終止形+  …するという…(連体引用形)。
선풍적〈旋風的〉  センセーショナル。
기를 몰다  人気を博す,人気を集める。
그대로  そのまま。이대로 は「このまま」。
I-다가  …していて(途中)。 → 分析
광복〈光復〉  1945年の朝鮮解放。
-  …してはじめて,…してこそ。
-라는/-이라는  …という…(指定詞の連体引用形)。
갖다  持つ。가지다 の縮約形。第I語基のみ存在し,第II語基・第III語基形は 가지다 の第II語基・第III語基形を用いる。
I-게 되다  …するようになる,…することになる。
-로부터/-으로부터  《書》…から。人・場所・時間いずれにも使える。
II-라는  …しろという…(命令の連体引用形)。第II語基につくことに注意。
II-  《書》…しつつ,…しながら。ふつうの言葉では「I-」に置き換えることができる。
II-터이고  …するであろうし。
대신〈代身〉  …の代わりに。
-에 반해〈―反―〉  …に反して,…に対して。
그나마  それでも,それだけでも。
다행〈多幸〉  さいわい。
찌꺼기  かす。
수명〈壽命〉  寿命
다하다  尽きる,全うする。

 分 析 
I-  …していた…

この語尾が存在詞・形容詞・指定詞についたときは単なる過去連体形だが,動詞についたときはやや意味が異なる。日本語に訳すと「…していた…」であるが,いわゆる過去進行形ではない。この語尾は (1) 動作が一定期間行なわれていて(2) その動作は途中で中断して今は行なっていないというニュアンスがある。「가위로 손톱을 깎 시대(はさみで爪を切っていた時代)」は「一定期間はさみで爪を切っていたが,今はそうしていない」ということになる。また「일본에서 부르 그대로(日本で呼んでいたとおりに)」について言えば,言語外の現実としては日本では今でも「爪切り」と称しているのだけれども,ここで話者(書き手)は日帝時代のことを述べているのであって,話者の主観からすれば日帝時代は終わっているので「すでにそう呼んでいない」ということになる。言語においては常にそうだが,上のような規準は客観的なものではなく,常に話者の言語感覚として語られるものである(そうでなければ言語は客観的現実と常に一致しなければならないではないか!)。

なお,この場合は違うが,I--という形は回想法で用いられる場合が多い。


I-다가  …していて

動作を開始してそれが終わらないうちに,という場合にこの語尾を用いる。訳としては「…していて」の他に「…しかけて」などもありえよう。「…している途中で」というニュアンスである。途中の動作はそこで終わることもあるし,その先も続く場合もある。動作が完遂するか否かは問題ではないわけである。-다가 は縮めて - と言うことができる。

  • 단배를 피우다가 선생님이 오셔서 불을 껐다. タバコを吸っていたら先生が来たので火を消した。
  • 단배를 피우 문득 할’일이 생각이 나서 단배를 입에 물고 일을 시작했다. タバコを吸っていたらふと用事を思い出して,タバコを口にくわえて仕事に取りかかった。

I-다가と形の上で似たものとして,III-ㅆ다가 と III-다가 がある。III-ㅆ다가 は動作を終えて次の動作に移ることを表し,日本語訳としては「…して(から)」となる場合が多い。III-ㅆ다가 は「服を着てから脱ぐ」とか「行ってくる」のように対になる動作で用いられる場合が多い。

  • 의자에 앉았다가 곧바로 일어선다. 椅子に座っすぐ立ち上がる。
  • 어제는 책방에 들렀다데로 갔습니다. 昨日は本屋に寄ってから別の所に行きました。

III-ㅆ다가 はまた,後ろに良からぬ結果を表す文が続き「…すると」「…したら」の意味を表す。強調を表す -는 がつくこともしばしばある。

  • 그런 말을 했다간 얻어맞을’지 모른다. そんなことを言ったらぶん殴られるかもしれない。
  • 지금 잤다가일어나면 어떡해? いま寝起きられなかったらどうするの?

III-다가 は「…して来て(行って)」と訳される場合が多い。ある動作を終えて,そのまま移動する場合に用いられる。「買って来てプレゼントする」とか「引っこ抜いてきて植え直す」のような場合である。「買う」にしろ「引っこ抜く」にしろ,まず動作をある場所で成し終えて,その「結果物」を持って移動し,他の場所で別の動作をするのである。日常会話では 가지다 の第III語基形 가져 が縮まった形 - がついた 갖다 を頻繁に耳にする。

  • 물을 길어다가 동생에게 주었다. 水を汲んで来て弟にやった。
  • 여기 상추 좀 갖다주시겠어요? ここ,レタスちょっと持って来て下さいませんか。
 日本語訳 

쓰메끼리は日帝時代に入ってきた工業産品のうちの1つで,はさみで爪を切っていた時代に爪だけを切る専用の道具ができたという点でセンセーショナルな人気を博してきた。日本で呼んでいたとおりに쓰메끼리と呼んでいたが,解放後になってはじめて손톱깎기という朝鮮語の名前を持つようになった。

今,30代の人たちは家の大人から쓰메끼리持って来いという言葉を1・2回は聞いて育っただろうし,4・50代以上の方々は손톱깎기の代わりに쓰메끼리という日本語をもっと多く使っているだろう。これに反して,近頃の世代はほとんど使わないのがそれでも幸いだが,朝鮮語に残っている日本語の残りかすの中でも,その寿命が尽きつつある言葉と言えよう。


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