イスラムの諸相「インドネシアのイスラーム:伝統と改革の潮流」回答

担当教員:青山 亨.東京外国語大学外国語学部インドネシア語専攻(総合文化講座)
研究室:633.オフィスアワー:月曜日10:30-14:30.電話:042-330-5300.メール:taoyama@tufs.ac.jp

2004年5月19日にリレー講義「イスラムの諸相」の1コマを担当し、「インドネシアのイスラーム:伝統と改革の潮流」というテーマで講義をおこないました。この時に提出してもらったレスポンス・ペーパーの質問・コメント(の一部)に対する回答です。Q.5の回答を一部修正しました(2004-05-30)。Q.1の回答を一部修正しました(2004-06-06)。Q.4の回答を一部修正しました(2004-06-17)。

他の年におこなった講義に対する質問・コメントへの回答も参考にしてください:2006年度 | 2005年度

回答

Q. 1

イスラーム原理主義という用語の意味がよくわかりませんでした。

A. 1

「原理主義」という用語は文脈で異なった意味に使われることが多く、使いにくい用語ですが、代わりになる表現も一長一短なので、この用語を使いました。ただ、授業ではそのあたりを十分に説明しないで使ってしまいました。この授業では、1)政治と宗教(イスラーム)が一致した政治体制の実現を目指す、2)クルアーンとハディースを字義通りに解釈する、3)善なる我ら(イスラーム)と悪なる彼らという道徳的二元論の影響が強い、といった性格をもつイスラームの立場を原理主義と呼んでいます。「イスラーム主義」といった用語を使う場合もあります。「クルアーンとハディースの原点にもどれ」という意味では、20世紀初頭のインドネシアに現れた改革派にも「原理主義」と共通する性格がありますが、インドネシアの改革派は政治と宗教とを分離する立場に立っているので、「原理主義」的であるとは言えません。言うまでもありませんが、「原理主義」の組織であればなんでもテロに走るというものではありません。

Q. 2

1955年の総選挙でイスラーム系政党が過半数をとれなかった理由はなんだったのでしょうか?

A. 2

最初に、イスラーム教徒であったとしても、政治と宗教の一致を求めるとは限らないという基本的な事実を確認しておく必要があります。インドネシアの場合ではインド文明の洗礼を受けたジャワ人にこのような傾向が強いようです。そのうえで、1955年の総選挙の結果を見てみると、得票数で上位4党のうち、イスラーム改革派のマシュミ党はジャワ島以外の島では票を獲得したものの、ジャワ島では世俗的民族主義の国民党、イスラーム伝統派のナフダトゥル・ウラマ党、共産党の3党が票を集めました。結局、インドネシアの人口の多数を占めるジャワ島のジャワ人の動向が選挙の結果を決めたと言ってよいと思います。

Q. 3

インドネシアにおけるイスラーム教徒の日常における信仰実践も気になります。他の地域と同じように一日五回のお祈りや年に一月の断食をするのでしょうか?。

A. 3

日常の信仰実践については時間がなくて触れることができませんでした。インドネシアのイスラーム教徒も、イスラームを信奉する以上、他の地域のイスラーム教徒と同様にイスラームの戒律を守ります。一日五回の礼拝や年に一月の断食や巡礼を行うことは良きイスラーム教徒のつとめであると認識されています。

Q. 4

なぜイスラームでは国家と宗教の分離がそもそも問題となるのでしょうか?

A. 4

一般に「イスラーム法」と訳されているシャリーアは神が人間に与えた命令ですから、イスラーム教徒であれば必ず従わなければなりません。シャリーアには狭い意味での宗教的実践にとどまらず人間の社会生活のすべてが含まれています。ところが、人間社会は地域によって異なりますし、時代によっても変化するのに対して、シャリーアは不変です。そこで、近代になって国民国家という社会単位ができあがると、その中でシャリーアをどのように取り扱うかが大きな議論の焦点となってきました。インドネシアの独立運動に関わった世俗的民族主義者たちは、インドネシアの国家の仕組みの中では国家の運営と宗教は分離されるべきであると考えました。初代の副大統領となったハッタは、個人的には敬虔なイスラーム教徒でしたが、「宗教と国家を一つにしてはならない。なぜなら、そうすることは国家をも宗教をも破壊することになるからだ。神権国家は宗教を国家の道具に貶めることになる。」と言っています。反対に、原理主義に立つ人たちは、国家はイスラーム法の厳密な適応に責任を持つべきであるとして、政治と宗教が一致した国家を良きイスラーム教徒の目指すべき目標と考えるわけです。

Q. 5

国家五原則の第1原則では「唯一神への信仰」となっています。これだとイスラームやキリスト教のような一神教は認められますが、ヒンドゥー教のような多神教や仏教のような神を立てない宗教は認められないことになりませんか?

A. 5

国家五原則(パンチャシラ)は憲法の前文に書かれています。もともと憲法草案の前文(ジャカルタ憲章と呼ばれています)には「国家はイスラーム信徒に対するイスラーム法の施行の義務を伴う唯一神への信仰に基づく」と書かれていたのですが、この案に不安を抱いたキリスト教徒たちの反発で下線の部分が削除されたものが採用されたという経緯があります。しかし、この原則を厳密に解釈すると、質問のようにヒンドゥー教や仏教はパンチャシラの対象から外れてしまうことなります。このため、パンチャシラを国家哲学として称揚するようになったスハルト政権期になると、ヒンドゥー教徒(主にバリ人)や仏教徒(主に華人)はパンチャシラにあわせてそれぞれの宗教の理論化を進めました。現在のインドネシアでは、ヒンドゥー教では神々のさらに上位にある至上神を想定し、仏教では原初仏(アディブッダ)もしくは法(ダルマ)を唯一神に対応するものと解釈することによって、パンチャシラとの調和をはかっています。