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2011年5月 月次レポート(石田聖子 イタリア)

月次レポート
                                  (2011年5月、博士後期課程 石田聖子)(派遣先:ボローニャ大学 [イタリア])

 日本の暦では新年度も始まって間もない今月ではあるが、イタリアの大学では年度末にあたる。派遣者がこれまでに聴講してきた講義、博士課程ゼミが次々と終了することに若干の寂しさを感じつつ、これまで以上に多くの時間を自身の研究にあて有効的に活用すべく新たな生活リズムを整えているところである。空調設備に乏しいボローニャの夏の暑さとその勉強への弊害は去年すでに体感済みであるため、暑さが本格的に厳しくなる前に少しでも前進できるよう、これを機に研究にますます精進してあたりたいと考えている。
 今期受講した講義を改めて振り返ってみると、まず、二月に開講したデ・マリーニス教授による講義「Teorie e culture della rappresentazione/表象理論と文化」では、古代より現在までの笑い理論の変遷を辿った後、20世紀の喜劇俳優へと視点を移し、ペトロリーニ、デ・フィリッポ、トト特有の喜劇性についてそれぞれ分析を行ってきた。今月はさらに視点を現代寄りにシフトし、ダリオ・フォーとロベルト・ベニーニに焦点を当てた講義が行われた。20世紀前半期のイタリアにおける笑いの表象を専らの研究対象としてきた派遣者にとり、当講義は、これまでの自身の研究成果や展望を確認し刷新するばかりでなく、それら表象が同世紀後半にいかなる発展を遂げ現在にまで繋がるかを考察するうえで、従って、派遣者自身の研究の今後の展開の可能性を考えるうえでも、大変有益な機会となった。次に、やはり二月に開講された「Ecosistemi narrativi: spazio, strumenti, modelli/語りの生態系:空間と装置とモデル」と題された今期の博士課程ゼミでは、同タイトルに関連する視点からメディアの現在を考察する講義が講師を大学内外より招きながら月に三回程度行われた。小説、映画、テレビ、ラジオ、ゲーム、インターネットと対象は多岐にわたる。語りという事象がそれらメディアにおいて採る変幻自在な形態を観察するばかりでなく、そうした語りの動機を主に社会との関連で考察するこれら一連の講義は、派遣者にとっては未踏の領域であり、その関心において新たな地平を切り拓くこととなった。そうした博士課程ゼミの年度末を飾っては、今月24、25日に、講演会「Media Mutation 3. Ecosistemi narrativi: spazio, strumenti, modelli. Convegno internazionale di studi sulle nuove frontiere dell'audiovisivo/変わりゆくメディア3、語りの生態系:空間と装置とモデル、視聴覚の新たな地平をめぐる国際シンポジウム」が、ボローニャ大学音楽・演劇映画学科にて開催された。派遣者も出席し、イタリア内外から招かれたメディア学研究者による最先端の研究成果に直に触れることができた。タイトルから明らかな通り、今年度の博士課程ゼミはまさにこの講演会を 念頭に置いての基礎的な議論の場であったために、毎度のゼミ聴講を通じて当初はあまり関心のなかった当該分野における問題意識がある程度熟していたことも、この講演会をますます有意な機会とする要因となった。
 一方の博士論文執筆活動に関しては、アキッレ・カンパニーレを集中的に論じる箇所の執筆を引き続き行った。今月は特に、先月より準備をつづけてきた、カンパニーレの笑いを20世紀を席巻した笑いの形態のひとつであるイロニーとの関連で論じる箇所の執筆を終了し、続いて、派遣先大学指導教員の助言に則り、イロニーをめぐる議論を敷衍しつつのカンパニーレのテレビ評論家としての活動をめぐる箇所の執筆も行った。カンパニーレは、イタリアにテレビが正式に登場した直後の1950年代後半から20年間にわたり雑誌等にてテレビ評論家として活躍した事実がある。しかしながら、文学において目に立つ成功を収めたということもあり、専ら文学関係者からの注目を浴びてきたカンパニーレのこうした側面の活動はこれまでにいかなる場においても触れられることは稀であった(カンパニーレのテレビ評論についてこれまでにまとまった発言を行ったのはイタリアテレビ学研究の泰斗であり、カンパニーレをイタリアにおける最良のテレビ評論家として断言するアルド・グラッソのみである)。そうした事情柄、派遣者も、指導教員に指摘されるまではそうした活動の実際を考慮に入れることはなかった。しかし今回機会を得て、改めてカンパニーレのテレビ評論を精読し、考察することで、カンパニーレという作家とその作品の本質をより包括的に理解する大きな助けとなったことを実感した。結果として、論文においてもより独自的な議論を展開することが可能となったと考えている。なお、ファシズム期のベストセラー作家からテレビ評論家へと移りいったこうしたカンパニーレの在り方を考えるにあたり、指導教員の指導ばかりでなく、上述した博士課程ゼミ及び講演会を通じて得た視点、それら場にて交流する機会を得た研究者との議論からも数多くの示唆を得たことも明記しておきたい。
 カンパニーレにあてる章もいよいよ最終調整段階に入った。この章の構成に関しては、派遣当初より具体的な見通しがつかず、指導教員とともに派遣者も長く頭を悩ましてきたという経緯があるため、現在の段階にまで至ることができたことはひときわ大きな喜びであると告白せざるをえない。しかしながら、この章が終わればただちに次章の執筆準備に取り掛かる必要がある。暑い夏はもう目前に迫っている。心して作業を進めていきたい。

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