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2013年9月 月次レポート(太田悠介 フランス)

ITP-EUROPA月次報告書(9月)

太田 悠介

 今月のレポートではまず、社会思想史学会の年報『社会思想史研究』第37号掲載の拙稿「矛盾と暴力----エティエンヌ・バリバールの政治哲学序説」が刊行されたことをご報告申し上げたい。ITP-EUROPAプログラムのもとでの在外研究の成果の一部として、書店等で手に取っていただければ幸いである。現在の研究の進捗状況を日本語論文として公表できたことに安堵した一方で、執筆後ある程度の時間が経っているために、再読してみると論の荒さが目につく。今回の投稿論文では博士論文の内容を圧縮して紹介することに重きを置いたが、博士論文ではこの投稿論文の趣旨を肉付けし、さらに厚みのある記述を心がけたい。

Ota9-1.jpg『社会思想史研究』第37号

 今月の具体的な作業としては、全四部で構成される博士論文の最終部冒頭にあたる節を執筆した。本部ではバリバールの「政治哲学」を扱う。現代フランスの政治哲学の文脈に限らず、広く政治哲学という営みには、通常の意味で理解されている「政治(la politique/politics)」に対して、この政治を可能とし、同時に規定するより根源的な要素(「政治的なもの(le politique/the political)」を探求するという側面があるように思われる。政治哲学が、既存の政治を所与のものとしてこれを研究の対象とする傾向のある「政治学・政治科学(science politique/political science)」としばしば対比されるのは、そのためである。換言すれば、「政治的なもの」の定義と考察こそが、政治哲学の固有性を保証すると言える。
 博士論文の主題であるバリバールの思想が置かれた戦後フランスの思想史の文脈に立ち戻るならば、この「政治的なもの」をめぐる問いかけは、クロード・ルフォール(1924−2010)を中心に展開されてきた。しかし、近年になって、ワイマール期の憲法学者でナチス政権の協力者となったカール・シュミット(1888−1985)に注目が集まり、それに伴ってシュミットにおける「政治的なもの」の概念がふたたび脚光を浴びている。今日のシュミット受容の特質は、「ナチスの御用学者」と目されるシュミットを参照するのが、バリバールを含むいわゆる「極左」の側に位置する思想家であるという点にある。この一種のねじれ現象は、当然ながらソヴィエト崩壊以降の世界情勢の変容を視野に入れなければ理解できない。
 バリバールは1938年のシュミットの著作『トマス・ホッブズの国家理論におけるリヴァイアサン』(長尾龍一訳『リヴァイアサン----近代国家の生成と挫折』、福村出版、1972年に収録)の仏訳がようやく2002年になって刊行された際に、長文の序文を書いた。この序文の読解が博士論文の第四部では重要な論点となる。シュミット研究に関しては、幸いにも日仏双方で大竹弘二『正戦と内戦――カール・シュミットの国際秩序構想』(以文社、年)、ジャン=フランソワ・ケルベガン『カール・シュミットをどうするか』(Jean-François Kervégan, Que faire de Carl Schmitt ?, Paris, Gallimard, 2011)といった重要な研究書が近年上梓された。こうした著作を手がかりとしながら、バリバールにおけるシュミット受容の意味を明らかにするつもりである。

Ota9-2a.png 『トマス・ホッブズの国家理論におけるリヴァイアサン』仏訳

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