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2013年5月 月次レポート(柴田瑞枝 イタリア)

月次レポート  2013年5月

博士後期課程 柴田 瑞枝
派遣先:ボローニャ大学 (イタリア)

 今月は、博士論文「20世紀イタリアにみる変化する女性像(仮題)」の執筆に不可欠な一次・二次資料の蒐集および読解に力を入れました。この論文では、カルヴィーノ(1923〜1985)が指摘する、戦後のイタリア文学の状況(当時の知識人が歴史に対するコンプレックスを乗り越えることができなかったために、作品中の男性登場人物が行き詰まりを見せ、「数少ない知識、道徳、行動の決意の例は、何人かのイタリアの作家が書いた、女性の登場人物のなかに見出すことができる1」というもの)を実証することをひとつの目標にしていますが、カルヴィーノがどのような作品を念頭に置いてこのような発言をしたのか、また、この主張が真に的確なものであるかどうか、厳密に検討する必要があると考えられます。そのため、戦後イタリア文学の状況を出来る限り正確に把握するべく、目下、当時の作家たちに共通するある種の特殊な傾向や、風潮が見られないか、細心の注意を払いながらテクストと向き合うようにし、併せてそれらの作品の評論を読み進めています。
 月末には、2011年にローマのジョン・カボット大学で行われたシンポジウム「アルベルト・モラヴィアとアメリカ」の内容が論文集として編纂され、出版されるにあたり、その記念の催しが開かれたので、ローマまで足を延ばして来ました。モラヴィアの元伴侶で作家のダーチャ・マライーニや、ジャーナリスト兼政治家のフーリオ・コロンボなどが参加しており、モラヴィアがアメリカを訪れた際の貴重な逸話を聴くことができました。話題は多岐に渡り、近年イタリアを騒がせている、男性の恋人や妻に対する暴力・殺害(femminicidi)と、その背景にある女嫌いの文化についても問題になりました。これは、イタリアにおける女性像について強い関心を持つ報告者にとっては、大変興味深いものでした。また、インターネットなどの技術の普及によるコミュニケーションの多様化について、コミュニケーションそのものは増加したのか、それとも減少したのかということが議論されましたが、好奇心旺盛で、社会の動向に敏感であったモラヴィアや親友パゾリーニならどう考えたか、その意見が聴けないことが非常に惜しいとのマライーニの言葉に、会場全体が深く賛同しているように見受けられました。作家としてだけではなく、知識人として、公人(パブリック・フィギュア)として、モラヴィアは20世紀イタリアにとってかけがえのない存在であったのだと、改めて実感させられました。 

1Italo Calvino, Una pietra sopra, Einaudi, Torino, 1980, p. 7.

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