トップ  »  新着情報  »  2013年5月 月次レポート(佐藤貴之 ロシア)

2013年5月 月次レポート(佐藤貴之 ロシア)

活動報告書(5月)

派遣先:ロシア国立人文大学大学院
執筆者:佐藤貴之

 今月は、世界文学研究所に提出する拙論の執筆、ならびに派遣先大学が主催した大学院国際研究会で研究報告を行った。
 世界文学研究所には拙論「ゴーリキーとピリニャークの論争――「二つの精神」と『日本印象記』」(「『日本印象記』をめぐるゴーリキーとピリニャークの論争について」の修正版)を提出した。本論では、ピリニャークが1926年に執筆した『日本印象記』に対するゴーリキーの否定的な評価を分析した。
 ゴーリキーは1915年に評論「二つの精神」を発表し、西洋と東洋の文化に見られる二律背反性を主張した。西洋は科学を生み、自然を人類の発達のために活用しようとする積極的な文化に代表されるのに対し、東洋は老子の「無為自然」に見られる静的な態度に始まり、科学的認識ではなく瞑想に基礎を置いた世界観など、極めて消極的な文化に代表されるものであり、西洋と東洋の文化は相容れないとゴーリキーは定義した。そしてロシアはアジアに近いという地理的要因に加え、タタール・モンゴルによる長年の支配、そして皇帝の独裁が横行したアジア的なモスクワ公国の影響を受け、きわめて東洋的要素が強い文化であると主張し、ロシアは東洋を離れ、西洋へと接近する必要性を説いた。ロシアでは19世紀以来、無為自然をよしとする「オブローモフ主義」が喧々諤々と議論されてきた経緯があり、ゴーリキーの評論「二つの精神」は、この論争の一環として位置づけられるものである。
 ゴーリキーが発表した「二つの精神」は帝政ロシアにおける一種の「脱亜論」であったが、ピリニャークは『日本印象記』でゴーリキーの歴史観に反論を加えている。ピリニャークの主張によれば、日本は明治維新以降、西欧主体の近代化でもって、列強の仲間入りをしたが、日本の西欧化はまったくの「脱亜」ではなく、西洋と東洋の融合であり、東洋が誇る精神文化こそが日本の発展を支えたと主張する。その精神文化とはまさに日本の地理的状況、風土、気候によって培われた日本特有のものであり、風土と切り離した西欧化は根無し草たらざるを得ないとする批判を行った。しかし、ピリニャークが『日本印象記』を発表した当時のソ連は産業、あるいは機械文化の発達が国家的に進められていた時代でもあり、精神文化の重要性を訴えたピリニャークの作品は反時代的、反動的として退けられたといえる。
 また執筆者は5月22日に派遣先大学で開催された大学院国際研究会で研究報告を行った。執筆者はこの研究会で拙論「ブルガーコフとピリニャークの創作における接触点:『裸の年』と『ハンの炎』」を発表した。こちらの論文は提出締め切りが6月末のため、論文の修正作業、補足などを早急に済ませる必要がある。論文の内容に関しては、来月の報告書で紹介したい。

以上。

このページの先頭へ