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2013年3月 月次レポート(太田悠介 フランス)

ITP-EUROPA月次報告書(3月)

太田 悠介

 3月21日と22日の両日にパリで「グラムシ・ルネサンス――フランスとイタリア、アントニオ・グラムシをめぐる交差する視線」と題する大規模なコロックが行われた。引っ越しの直前で準備に追われて全日程に参加することは叶わなかったが、22日のソルボンヌのセッションには足を運んだ。イタリア、フランスを中心に、イギリスやギリシャからの研究者の発表もあり、それぞれの場におけるグラムシの遺産の多様な受容を確認することができた。結論から言えば、参加した意義のある集まりであったと思う。
 2日間の会期で論じられたテーマは多岐にわたるが、グラムシの戦後フランス思想史への影響を扱う発表(グラムシとルイ・アルチュセール、グラムシとアンリ・ルフェーブル、グラムシとニコス・プーランツァスなど)が数多くあり、現在の自分のバリバールの哲学研究と直接関連する内容であるだけにとりわけ興味をそそられた。グラムシ『現代の君主』(上村忠男訳、ちくま学芸文庫、2008年)には、東方(ロシア)では「国家」がすべてであり、「市民社会」は「原初的でゼラチン状」であるのに対し、 西方(ヨーロッパ)では「国家」が揺らいでもその背後に「市民社会」の「堅固な構造」があるという趣旨の引用があったと記憶している。そこからは、グラムシがロシア革命を念頭に置きながら、西欧ではそれと同じような仕方では国家(État)と市民社会(Société civile)の関係を考察することができないと考えていたことがうかがえる。また、ここからロシアにおける「機動戦」に対するヨーロッパの「陣地戦」というグラムシ特有の戦術の違いもまた出てくる。
 戦後フランスの思想史の文脈にひきつけるならば、1970年代の「ユーロコミュニズム」の潮流に同様の問題意識を見いだすことができる。ユーロコミュニズムとは、1956年のフルシチョフ演説に始まるスターリニズム批判を受けたイタリア、フランス、スペインの各国の共産党がそろってソビエト型のプロレタリア独裁路線を放棄し、西側の議会制民主主義に沿う戦術に切り替えていった一連の流れのことを指す。ここにも国家とは異なる市民社会の重みをどのように考えるかという問いがあった。先述のアルチュセール、ルフェーブル、プーランツァス、バリバールの四者のいずれもがそれぞれの仕方でこの問いを引き受けた。
 振り返ってみると、上村忠男先生のお仕事やその薫陶を受けた諸先輩方を通じて、また、真島一郎先生の授業をお借りして行った『現代の君主』の精読、さらには2009年のITP-EUROPAプログラムのボローニャ・シンポジウムの口頭発表でステファノ・コランジェロ先生からいただいたアドバイスを介して、これまでもグラムシに触れる機会は少なくなかった。現在の研究のひとつの参照軸として、グラムシを視野に入れておく必要があることをそれぞれの仕方で示唆していただいていたのだということに、今回のコロックを通じてあらためて気づかされた。とりわけ渡仏してからは、とりわけフランスの思想史の文脈のなかでバリバールの位置づけを行うことに専心してきた。しかし、ユーロコミュニズムの例が示すように、とりわけ1970年代以降のフランスとイタリアでは、市民社会の問題が浮上してくる際の同時代性は無視できない要因である。博士論文ではこうした横断的な視点も考慮に入れながら作業を進めたい。
 日本の大学の暦で年度末に当たる先月から今月にかけては、研究や学務のためにパリに滞在している先生方や諸先輩方に声をかけていただき、お会いする機会が幾度かあった。貴重な短い滞在期間を割いて、わざわざアドバイスや励ましをくださるありがたさを感じる。そうした学恩に少しでも報いることができるように努力を続けたいと思う。

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