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2013年11月 月次レポート(柴田瑞枝 イタリア)

月次レポート  2013年11月

博士後期課程 柴田 瑞枝
派遣先:ボローニャ大学 (イタリア)

 11月に入り、気温のぐっと下がる日が多くなってきました。外出の際は忘れずマフラーや手袋をして、風邪を引かないよう防寒には気を遣っていますが、それでも日暮れ頃になると冷気が身に滲みるので、図書館からの帰り道はいつも早足です。街の一番の中心地、マッジョーレ広場にある市立の図書館前には、最近クリスマスツリーが設置され、周辺のショッピング街もプレゼントを探す人々で賑わっています。
 クリスマス休暇が近づいてきて、街は少し浮かれた雰囲気ですが、私はともかく博士論文の第1章を形にしたいので、毎日大学、図書館、家を往復しています。以前の月次レポートのなかでもご紹介したかと思いますが、第1章では、男性作家による女性一人称作品の歴史を概観し、いくつかの作品を取り上げて、それらに共通する項目がないかを検討したり、作品が書かれた歴史的背景に特有の傾向が見られないかを分析したりしたいと考えています。したがって現在は、近代小説の父と呼ばれるイギリスの作家ダニエル・デフォー(『モル・フランダース』、1722年、『ロクサーナ』、1724年)やサミュエル・リチャードソン(『パミラ』、1740年、『クラリッサ』、1748年)について、またその強い影響を受けたフランスの作家・哲学者、ドゥニ・ディドロ(『修道女』、1760年)について書いています。日本文学で男性一人称による女性一人称(女性独白体)というと、すぐに思い浮かぶのは古典の『土佐日記』、近代小説では太宰治の『斜陽』や『女生徒』などですが、これらの例について、何故男性作家が女性の声を借りて語ろうとしたのかと考察してみても、やはり唯一の理由を特定することは困難です。しかし、例えばデフォーやリチャードソンについては、17世紀に起きた名誉革命や王権復古の大きな歴史的変動の余波で、18世紀、ジェンダーを含む社会における様々な価値観が見直されたことが背景にあり、また、これらの作家たちがとりわけ女性の人権問題に敏感だったことなどが、作品や評論を参照するなかで明らかになりました。これらのヒントを集めて、自ら設定した仮説の是非を確かめるというのが目下の仕事になりますが、とても興味深い作業なので、大変ではありますが楽しみながら行っています。
 来月上旬には現在執筆中の節を書き上げ、ネイティヴチェックを終えたうえで、指導教員の先生方にご指南を頂きたいと思っています。

 

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