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2012年4月 月次レポート(佐藤貴之 ロシア)

活動報告書(4月)

執筆者:佐藤貴之
派遣先:ロシア国立人文大学

 今月は主に外国語、ならびに哲学の試験準備に奔走する一月であった。
 博士候補試験は主に筆記と口頭からなるが、これらの試験を受けるためには先月の報告書で述べたレフェラートなるものを提出する必要がある。従って、これらの執筆に奔走、提出した。外国語は「ボリス・ピリニャークとアンドレイ・プラトーノフの創作における自然発生力としての革命受容の問題」、哲学は「オスワルド・シュペングラーの哲学とソビエト文学」なるテーマで執筆。口答試験、ならびに筆記試験は五月下旬から六月中旬にかけて行われる。これらのレフェラートは後に論文として再加工し、大学院が刊行する論集に提出することとなる。
 今回、これらのレフェラートを執筆する上で詳しく当たったのがユーラシア主義を唱えた亡命ロシア人らの著作である。ユーラシア主義の勃興はロシア革命がもとであるが、その提唱者らはP・サヴィツキーやN・トルベツコイといった、亡命ロシア人によって代表される、ロシア国外で展開された活動である。ユーラシア主義の提唱者らは18世紀以来のロシアにおける西欧志向を徹底的に分析し、ロシア独自の発展を成し遂げるべく主に亡命ロシア人によって進められた1920年代から1930年代の国粋主義的運動であり、運動自体は第二次世界大戦を前に主唱者らが活動から脱退、あるいは政治的理由から逮捕されたことを契機として徐々に収束していくが、この運動は戦後、レフ・グミリョフによって引き継がれ、現在はネオ・ユーラシア主義なる運動も見受けられる。
 興味深いのはユーラシア主義とオスワルド・シュペングラーの歴史哲学に通底するスラヴ派(ダニレフスキー、レオンチエフ)の遺産である。ユーラシア主義者らはそもそもロシア思想史上におけるスラヴ派の指針を引き継いでおり、その意味においてユーラシア主義はスラヴ派の亜流と位置づけることが出来る。シュペングラーの歴史哲学においてもスラヴ派の影響が認められることはこれまであまり言及されることはなかったが、最近の研究においてはその思想体系の類似性などが分析の対象となっている。ダニレフスキーはたとえば代表的著書『ロシアとヨーロッパ』で、ヨーロッパ文化とロシア文化の異種性に着目し、ロシアにおける西欧化を根底から覆した。シュペングラーも『西欧の没落』で同様の指針を保っている。その主張を要約すれば、それぞれの文化には芸術や政治、心理など幅広い事象においてその文化特有の独自性が見られ、それらは別文化のものと決して相容れない関係にあり、すべての文化を西欧化することは不要であるばかりか不可能であり、文化の数ほど心理、芸術は存在する、ヨーロッパ人が使用する場合においての「人類」とはヨーロッパ人によって代表される「人類」であり、そこにはアジア、アフリカなどの民族は含まれないとして、西欧文化の自己中心的な性質にシュペングラーは批判的な態度を取った。こうした文化相対主義的な態度こそスラヴ派から受け継いだものといえよう(事実、シュペングラーはダニレフスキーの書物を愛読していた)。特筆すべきは、ユーラシア主義者らも同様の主張を1920年代から展開していったことである(ただし、ユーラシア主義とシュペングラーの影響関係を分析した研究はいまのところ見当たらない)。
 まさしくスラヴ派的特徴を備えるシュペングラーの著作がソビエトで熱狂的な受容を迎えたのは必然的といえなくもない。根底にスラヴ派の遺産を持つユーラシア主義とシュペングラーが、1920年代ソビエトの思潮、その民族意識形成にいかなる影響を与えたか、この問題については今後さらに考察をくわえたい。

以上。

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