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2012年10月 月次レポート(佐藤貴之 ロシア)

活動報告(10月)

執筆者:佐藤貴之
派遣先:ロシア国立人文大学

 今月は派遣先大学でベーラヤ記念国際学会が開催され、拝聴してきた。また、来月に控える世界文学研究所での国際学会報告準備に奔走した一ヶ月であった。まずはベーラヤ学会の方から報告したい。
 G.ベーラヤはソヴィエト文学研究の大家として世界的に知られる研究者であり、派遣先大学の人文学・歴史学研究所設立に貢献し、研究所所長を長年勤め上げてきた方である。ベーラヤの代表的な著作として、『革命のドンキホーテ:勝利と敗北の歴史』(2004)、『無意識な敗北:1920年代革命文化期の諸形式』(2001)がある。執筆者も日本で活動していた時期から、ベーラヤの研究には着目し、非常に有意義な視点を数多く援用してきた。ベーラヤは執筆者の面倒を見ていただいているO.レクマーノフ教授の元指導教官であり、したがって執筆者はベーラヤの孫弟子であると、たまに細く笑んでいる。
 ベーラヤは2004年に逝去され、それ以来、派遣先大学ではベーラヤ記念国際会議を開催している。今回の国際会議は三日間にわたり開催され、「語りの手法」、「文化と共同体」、翻訳理論に関して議論が展開された。今回の学会は連日参加してきたが、中でも執筆者の研究と関係が深かったのは「文化と共同体」のセクションであった。
 文化にとっての共同体とは何か、作家は自己と自身が属する共同体との関係をいかに捉えていたか、それが一つの文化現象としてソヴィエトではいかに機能していたか。こういった問題提起が提示され、盛んに議論された。ジャン=リュック・ナンシーの『無為の共同体』以来、共同体の問題はロシアでも盛んに議論されているようである。勉強不足のため、ナンシーの共同体論はまだ把握しきれていないのだが、時間をみつけて文献にあたりたい。
 今回のセクションで何より関心を持ったのは、1930年代にモスクワ近郊で発達した作家村「ピリジェールキノ」内における文化交流の現象である。1930年代のピリジェールキノではノーベル賞作家のB.パステルナーク、処刑されたI.バーベリ、B.ピリニャークらが密接なコミュニティーの中で活動しており、ソヴィエト権力の中心から外れた比較的自由な時空間の中にあり、作家と権力の枠組みに収まらない文化的営みがピリジェールキノでは生じていたと考えられる。この作家村に関する研究はロシアで始まったばかりである。今後とも継続して資料収集、分析を続けていきたい。
 次に、来月の13日から15日にかけてモスクワで開催される国際学会の方に関して報告したい。今回の学会では「20世紀文学における喜劇性」を共通論題として掲げており、アジア、ヨーロッパからの参加も多く、日本からは上智大学外国語学部教授の村田氏が参加される。配布されたプログラムによると、今年は亡命作家テッフィの生後140周年に当たるため、テッフィ研究が数多く見られる。そのほか、A.チェーホフ、A.プラトーノフ、V.ペレーヴィンに関する研究報告も予定されている。
 執筆者の報告タイトルは「M.ブルガーコフの戯曲に描かれたソヴィエト作家、その喜悲劇性」である。今回の報告では、『巨匠とマルガリータ』の著者として世界的に知られるブルガーコフが1930年代に執筆した数々の戯曲に登場するソヴィエト作家像を分析する。中でも、これまでのブルガーコフ研究ではあまり取り上げられてこなかったピリニャーク、プラトーノフ、A.トルストイの表象を分析する。トルストイ、ピリニャークとブルガーコフの関係は作家同士の関係を理解する一助になるのみならず、1930年代におけるソヴィエト文壇のパラダイムを把握する上でも重要である。今回の報告で提示する問題は、ソヴィエト作家と非ソヴィエト作家の対立である。
 そもそも、「ソヴィエト作家」とは誰なのか。ソヴィエトで活動していた作家を必ずしも「ソヴィエト作家」と呼ぶことは出来ない。その典型がブルガーコフ、プラトーノフである。彼らはソヴィエトに生きた作家であるとはいえ、体制が押し付けた文化的パラダイムにおさまらず、作品発表の場も与えられなかった非・ソヴィエト作家である。その一方、体制の枠組みに見事おさまったソヴィエト作家の典型がトルストイであり、ソヴィエト文学古典の巨匠として親しまれてきた。まさに1930年代のブルガーコフ創作には、ソヴィエト、非・ソヴィエトの対立が顕著であり、この問題を分析することで作品世界が持つ重層性を解き明かすことができる。
 この原稿はほぼ書きあがったため、ドイツのヒルデスハイムセミナー準備の詰めに取り掛かりたい。10月に進めた資料収集でも、シュペングラー研究に関するものがあり、重要な資料として報告予定の考察に反映させる次第である。

以上

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