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2012年10月 月次レポート(横田さやか イタリア)

月次レポート 2012年10月 
博士後期課程 横田さやか 
派遣先:イタリア、ボローニャ大学

 今月は、20世紀イタリアでのモダンダンスの展開を俯瞰するシンポジウムに参加し、ボローニャ大学指導教員のご配慮のおかげで、イタリアの舞踊研究者と面識を得る非常に貴重な機会を得た。シンポジウムは、リリアーナ・メルロ(Liliana Merlo 1925-2002)を中心テーマとしている。リリアーナ・メルロは、ブエノスアイレスでバレエを習い始め、50年代末からは祖国イタリアのテーラモを本拠地として活動した、モダン・バレエのダンサー、振付家、教師である。テーラモは、2009年の大地震が日本でも大きく報道されたラクイラ市と山を挟んで背中合わせに位置する、アブルッツォ州の小さな街である。ボローニャからは半日がかりだったが、電車はアドリア海の海岸沿いをひたすら南下し、天候にも恵まれて、水平線と海辺の風景を車窓に眺めながらの気持ちよい旅だった。
 リリアーナ・メルロの軌跡を追う興味深い研究発表の他に、最も熱い議論が交わされたのは、「イタリアのモダンダンス」が果たして存在しうるのか、という問題であり、シンポジウムの題目が既に議論を投げかけているものだった。というのも、タイトルはLiliana Merlo and the Pioneers of the Italian New Dance(和訳をするとまた更に別の議論が必要とされるため、ここでは妥協案として英語表記させていただく)とあり、それはあきらかにアメリカから発生したmodern danceと、日本ではノイエ・タンツ(Neue Tanz/new dance)と呼ばれているドイツで形成した、"american" modern danceとはまた別のドイツ・モダンダンス、すなわち20世紀モダンダンスのふたつの地理的な源、を根底に意識しているものであるが、問題は、"italian" modern danceという定義は不可能であり、modern dance "in Italy"としかいえないという見解である。これこそ議論が引き続きなされていくテーマであり、当時生まれたての「統一国家イタリア」という概念が、実際の文化形成においては機能していなかったことが、例えば、20世紀舞踊史の主役でもあるご高齢の元ダンサー、振付家、研究者であるアルベルト・テスタ教授(Alberto Testa 1922- )がシンポジウムで証言されたように、「トリノのダンサーはローマで何が踊られているかを知らなかったし、ローマのダンサーはトリノで何が踊られているかを知らなかった」というそれぞれの地域が分断されていた実状に表れている。同時に、政治的な背景も強く影響し、パイオニアたちの活動が最も興味深い展開をみせた20世紀前半については、「イタリアの」という形容詞が「ファシズムの」という形容詞を含むことも免れず、政治思想が足枷となってあまりにも長きに渡って手をつけられずにいたという事情もある。当時のダンサーたちはヨーロッパを横断して活動しており、外国に出生し、イタリアで生涯を終えたダンサーが多いことも、イタリアをめぐるひとつの特徴である。リリアーナ・メルロも例外ではない。となると、彼ら彼女らを「イタリアの」と括ることに疑問符がおかれ、"Made in Italy"の概念が揺らいでしまう。現在、もっとも広く参照されている舞踊事典、International Encyclopedia of Dance (Oxford Press)にも、イタリアについては「モダンダンスは発展しなかった」と一蹴されているのも、こういった事情による。
 しかし、報告者の研究もまさにここを主張しているのだが、未来派ダンスを踊ったジャンニーナ・チェンシがそうであるように、地理的に小さな規模であっても、たしかに「イタリアの」モダンダンスは存在している。ただ、上記のような事情が複雑に絡み合って、踏み込んだ研究の妨げになっていたように思われる。おもしろいことには、一世紀を通してイタリア未来派研究の現場にみられた実状とまさに一致してもいる。
 報告者の研究は、外部からの客観的な眼差しを逆に武器として、この議論に直接関わっているため、博士論文執筆の過程でこのシンポジウムに参加できたことは、かけがえのない貴重な体験であり、大いに刺激を受けた。
 また、今月は、ダンス・スタディーズの学術誌『舞踊と研究』に投稿していた執筆論文について、査読者からのコメントをいただいた。報告者の論文は、クラシックな舞踊研究とはいささか趣を異にし、自由な視点で展開されていることもあり、査読結果を受取ることは、堪え難いほどに緊張と不安を伴った。しかし、どの査読者からも、出版に値するという判定とともに、大変よい評価をいただいた。報告者が論文の特徴であると自覚していた点については、強みととらえられ、反対に、弱点と自覚していた点には、むしろ弱点を利用して効果的に論理展開がなされている、と評価していただいた。当然ながら査読は完全に無記名で行われ、博士課程在籍中の研究者に論文発表の機会が与えられることが極めて稀な環境にあって、匿名の執筆者として評価を得たことは、これまでの苦労や困難がようやく報われたような、なににも代え難い充実感であった。詳細は出版の際に改めて報告させていただくが、査読者からいただいた有益な示唆は直接博士論文に活かすことができ、たいへんな励ましとなった。

 

Yokota10-1b.JPGシンポジウムと同時に開催された企画展入り口。テーマに関わる一次資料、写真、映像、手書きの舞踊譜などが展示された。

 

Yokota10-2b.JPGテーラモ大学キャンパスからの眺め。大学は小高い丘の頂点、斜面上に建築されており、キャンパスからは山々と360度を取り囲む広い空が見渡せる。

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