トップ  »  新着情報  »  2011年6月 月次レポート(横田さやか イタリア)

2011年6月 月次レポート(横田さやか イタリア)

月次レポート 2011年6月 
博士後期課程 横田さやか 
派遣先:イタリア、ボローニャ大学

 冬の間はどんよりとした曇り空に覆われるボローニャの街にもいよいよ夏の訪れが近い。今月は30度を超える真夏日が続くこともあったが、湿度が低くからっと晴れているので身体にここちよい暑さである。ボローニャへの派遣開始日から、もうじき季節が一巡しようとしている。感慨深いと同時に、研究の進み具合に焦りも感じずにはいられない。
 今月は、日本におけるイタリア未来派批評について考察する論文の執筆に取り組んだ。未来派についての研究は日本ではいまだ充実が期待されるところである。その中でも、報告者は、「1985, 86年」と「モダニズムの文脈における未来派」のふたつのポイントを鍵に、近年の日本における未来派批評の有り様をまとめた。
 1986年に、ヴェネチアで大規模な未来派展(Futurismo & Futurismi)が催された。日本未来派を含む世界に飛び火した未来派の運動を紹介した点で、非常に画期的な企画であった。ファシズムに加担した史実ゆえに未来派というテーマが嫌悪されていた時代のことである。未来派研究者クラウディア・サラリスは、この企画展をきっかけに「未来派はゲットーから抜け出した」と表現している。サラリスは、85年に『未来派の歴史』を、右派よりもいっそう未来派嫌悪が強く残っていた左派の出版社から、遂に出版している。また、エンリコ・クリスポルティは、86年の著書のなかで、ファシズム参与以後の未来派の動きを意識的にも無意識的にもなかったものとしてきたそれまでの批評のあり方に対し、「第二次未来派」を考察することの重要性を強調している。本国イタリアにおける未来派批評のターニング・ポイントであったこの時期に、日本では『ユリイカ』に未来派特集号が組まれた(1985年12月)。この特集は、日本の研究者らが未来派再考察の必要性を察知していたことの象徴であり、報告者はこの同時性に注目した。
 また、『モダニズム研究』(1994)『モダニズムの越境 I-III』(2002)の四冊に渡って考察されたモダニズム研究におけるイタリア未来派の考察を、日本から見た未来派像の特徴として取り上げた。中心である西洋からの地理的そして時間的隔たりを常に抱えてきた日本という周辺からの視座に基づく考察であり、ともすればイタリアまたフランスにおける批評の丸写しに陥りかねない未来派批評とは一線を画しているといえる。
 イタリアと日本とに共通するのは、どちらもモダニズムに遅れて到達したことである。イタリアは、多数の世界遺産を抱えるがゆえに時間的遅れから逃れられず、未来派は過去の遺産を破壊しその上に新しいメトロポリスを築こうと謳った。その新しさとは、自己破壊に基づく。一方日本は、中心地西洋からの地理的、時間的距離を挽回しながら、どこよりも先に未来派的メトロポリスを築いた。鉄道、航空、通信、都市整備、建築等の技術の発達によって築かれた東京の都市生活はまさに未来派的であるといえる。ただし、そこには「戦争=破壊=新しさ」という未来派の公式が当てはまるようでいて、実際には「破壊する」ことによってではなく、「破壊される」ことによって生まれることが許された新しさであったことに注目すべきだろう。
 この論文執筆の資料調査のため、一時帰国の許可をいただき、東京外国語大学における指導教員から直接ご指導を仰ぐ機会をえた。執筆にあたって少々自信を失っていたところだったが、助言をいただき、研究についても進捗状況をご報告できたことは、大きな励みとなった。また、こうした日本における未来派批評を考察することは、日本人としてイタリア未来派について記すことになる博士論文の視座を定めることにつながり、その意味においても非常に意義深い論文執筆作業であった。

Yokota6-1.JPG

写真:街の中心街から少し離れた地区に位置する住居の部屋の窓からは、丘の上にちょこんと佇むサン・ルーカ教会と、そこから無限に広がる雲ひとつない空を見渡せる。

このページの先頭へ