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2011年5月 月次レポート(横田さやか イタリア)

月次レポート 2011年5月 
博士後期課程 横田さやか 
派遣先:イタリア、ボローニャ大学

 カリフォルニア大学サンタ・バーバラ校(UCSB)の舞踊専攻の学生によるパフォーマンス、Speeds Projectの公演があった。UCSBとボローニャ大学が国際交流の提携校である縁から、報告者のボローニャ大学における指導教員であるチェルヴェッラーティ教授がこの企画を実現された。ボローニャ大学の音楽・演劇専攻が所有する小劇場で行われたパフォーマンスに先立ってシンポジウムも企画され、イタリアとアメリカのダンス・スタディーズの現状について意見交換がなされた。イタリアでは、アカデミック・レベルで舞踊研究が受入れられた歴史は浅く90年代初頭のことであり、理論に重きが置かれ実践の場はない。一方、UCSBに限らずアメリカの大学では舞踊専攻において、実技のほか振付け、照明、舞台美術などの各分野での実践を通してパフォーミング・アーツを学ぶ。また、ダンス・メソッドの流派については、イタリアでは20世紀初頭から、アンナ・パブロワやニジンスキーらも師事したチェッケッティ・メソッドが主流であり、その後ロシアやイギリス、フランスのメソッドが導入されたものの、モダンダンスが隆盛したアメリカ発のメソッド、例えばバランシン・メソッドは受容されずらい。バランシンの特徴的な振付けに求められる身体性とイタリア人ダンサーの身体的特徴とが合致しないという背景もある。こんにち、イタリアの舞踊研究に求められているのは、学術レベルで実技を学べる環境と、モダンダンス、ポストモダンダンスそしてコンテンポラリーダンスと多様な舞踊芸術に開かれることである。
 上演されたいくつかの小品のうち、もっとも印象的だったのは、このパフォーマンスのメイン作品となるSpeedsである。Jennifer Muller(1944-。グラハム、チューダーらのメソッドを学び、ネザーランズ・ダンス・シアターなどにも振付けを提供している)振付けによるこの作品は、初演が1974年と、アメリカのポストモダンダンス黄金時代の産物である。シンセサイザーが発明されたこの時代らしく電子音楽を採用している。振付けは、動きの緩急を自在に操れる身体の可能性を利用して、まるで遊戯のように「静」と「動」が反復される。21世紀のいまこの作品を鑑賞してもなお新鮮な印象を受け退屈させられないのは、ひとえにダンサーたちの技量によると思われた。技量といっても、テクニックの完璧さとは違う。表現力の高さである。ドゥミ・ポワントにアチチュード(背伸びの状態で片方の足が後ろへ上げられ、その膝はゆるやかに曲げられる)というひとつのお決まりの「パ」(動きの形式)をとっても、ダンサーの身体がさらに上へ上へと伸びやかに上昇しているかのように感じられるのは、基礎テクニックの成熟度ゆえではない。踊り手はプロのダンサーではなくUCSBの学生である。このダンサーたちは、振付けを着せられて踊っているのではなく、自らの身振りをしっかりと自覚しているのだ。踊り手は踊る身体そのものである。若いダンサーたちの魂から放出される「わたしは踊る!」という叫びが身振りを完璧なものに仕上げているといっても過言ではないだろう。まさしく「アメリカらしい」と納得させられながら、報告者はかつてアメリカのとある大学で舞踊専攻のレッスンを見学したときの体験を懐かしく思い出した。そこでは、学生たちの自主性に任せ、ひとつのパフォーマンスのリハーサルが行われていた。舞台演出は全て学生たちに委ねられており、各々が何をどう表現したいかを熱く主張しあっていた。また、あるダンスの大会では、演目の合間の休憩時間に流行りの音楽が流れると、イントロが流れ出すと同時に、観客席で休んでいた学生たちがなんの申し合わせもなく一斉に立ち上がり、思い思いに踊り出した光景も記憶に甦ってきた。かれらに「なぜ踊るのか」とたずねれば、いたってシンプルな返答が得られたことだろう。当時まだ卒業論文すら手をつけていなかった学部生の頃、舞踊を研究テーマにしようと決意するきっかけとなったアメリカでのこの衝撃的な体験を懐かしく思い出しながら、「なぜ舞踊を研究するのか」と初心に返って自らに問い、そしてそれを思い返すことでいっそう身が引き締まる思いがした。
 また、今月中旬より機会をいただいて新たなテーマの論文執筆に取り組んでいる。こちらの進捗状況については来月改めて報告申し上げたい。

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