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2011年4月 月次レポート(太田悠介 フランス)

ITP-EUROPA月次報告書(4月)
                                                                                                 太田 悠介

 渡仏してから二年目の春を迎えました。昨年も今年と同様の光景を目にしたはずなのですが、この季節の街の様子の劇的な変化にはいつも新鮮な驚きを覚えます。どんよりとした冬の曇り空の日々が急に終わったかと思うと、日照時間が目をみはる速さで毎日延びてゆき、日差しを求めて外出する人々で街路はあふれ、街は解放的な雰囲気に包まれます。図書館などに足を運ぶ道すがらこうした光景を目にするだけで、こちらの気持ちも少し軽くなる気がします。
 今月の半ばあたりから、日本語での投稿論文の準備を始めました。取り扱うのはルイ・アルチュセール(1918-1990)とエティエンヌ・バリバール(1942-)の系譜関係についてです。いかなる思想家であれ、その思想の独自性をはかるときに有効な手法のひとつは、他の論者との対照です。その意味で、師にあたるアルチュセールとバリバールとの差異化は、バリバールの思想の重要な試金石となるはずです。こうした一般的な見通しのもとに、両者の関係を洗い出せないかと考えています。
 アルチュセールは何よりもまず「構造主義的マルクス主義」の代表的論者として一般に知られていますが、無視できないそれ以外の側面として、後進を育てるのに秀でた高等師範学校の教師アルチュセールの姿があります。また、『資本論を読む』(1965)の共著者となったバリバール、ピエール・マシュレー(1938-)、ジャック・ランシエール(1940-)、ロジェ・エスタブレ(1938-)を中心として学生たちに強い影響を与えたばかりか、ジャック・ラカン(1901-1981)を高等師範学校に招聘してセミナーを開催する機会を提供するなど、いわば知のオーガナイザーとしての役割も果たしていました。
 アルチュセールは共同での研究のプロジェクトを立ち上げるのに長けていたようで、死後出版された講義録などからその一端を垣間見ることができます。まず彼が研究の大まかな概要を提示し、その後それについて学生に調べさせて発表をさせたり、あるいは共同のノートを作って回覧したりすることで、研究を具体化させていきました。
 アルチュセールと彼を取りまく学生たちの間には一種の知的サークルのような水平的な関係が成立しており、「諸観念を分有する(partager des idées)」という例外的な経験がそこにはあったと後にマシュレーが当時を好意的に振り返っているのに対し、ランシエールは『アルチュセールの教え』(1974)の中で、外部世界から隔絶した高等師範学校という「サンクチュアリ」に閉じこもったアルチュセールの知的な権威主義が、その著作にも色濃く反映されているとして、かつての師を厳しく批判するようになります。いずれにせよ、30年以上も高等師範学校の敷地内に住みこみ、公私の区別なく学生の指導にあたるというアルチュセールの立場が、前代未聞のきわめて特殊なものであったことは確かです。
 バリバールは学生の中でもおそらくアルチュセールにもっとも近く、その思想にもっとも忠実であった人物です。これが、バリバールが今でもなお「アルチュセール派の俊英」と紹介される理由でもあります。しかし、こうしたエピソードはこれまでもつとに紹介されてきたことであり、アルチュセールとバリバールとの間に交流があったことを示唆するだけのいわば外的な事象でしかありません。そうしたコンテクストを念頭に置きながらも、両者の内的な思想的連関の解明を今後テクストに即して進めていきたいところです。今月中には大まかな内容を記した草稿を書き終えたいと考えています。

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