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2011年1月 月次レポート(太田悠介 フランス)

ITP-EUROPA月次報告書(1月)
                                                        太田 悠介

  フランスにはクリスマス休暇があるのとは対照的にお正月休みがないため、街は1月2日から普段の生活に戻ります。大学などの研究機関もその例外ではなく、通常通りのカリキュラムが2日から始まりました。自宅での研究作業を進めつつ、今月もいくつかのセミナーや研究会に参加しました。
  11日の夜は、『ホロコースト産業』の著者ノーマン・フィケルスタイン(1953-)の足跡を追ったドキュメンタリー映画『アメリカン・ラディカル』がフランスで初めて上映されるということで、セーヌ川の一部が運河として整備されたケ・ドゥ・セーヌの映画館MK2に足を運びました。『ホロコースト産業』は、ホロコースト被害者という立場を流用してホロコーストに対する補償を横領し、それを批判する者に対して「反ユダヤ主義」のレッテルで応じるという、アメリカの一部のユダヤ人ロビーの実態を描いて物議をかもした問題作です。フィンケルスタイン本人もこの上映会に参加していたこともあり、映画上映後の討論は白熱し、著者とのやり取りが2時間近く続きました。
  そのなかで印象に残ったのは、チュニジア人と思われる学生のひとりがフィンケルスタインに質問するという名目で、地中海の向こう側で進行中のチュニジアの学生を中心とした運動を支持するという主旨の長い文書を読み上げようとしたことでした。上映後の映画に関連する質問というその場の作法としては必ずしも適当ではなかったかもしれませんが、個人的に関心を抱いたのは、私が最近考えていた問題の核心にその発言が触れていたからでした。それは以前のレポートでも記したように、アウシュヴィッツと植民地主義というふたつの問題をどのように整合的に理解すべきなのかという点です。
  アウシュヴィッツに関係する問題の多くは、その暴力が比較不可能で先例を持たないというその「単独性」の主張に由来するように思われます。この「単独性」という規定によって、ホロコーストの犠牲者こそ「犠牲者のなかの犠牲者」であり、それ以外の暴力の犠牲者はあくまで二次的なものにすぎないという「犠牲者のヒエラルキー化」とも呼ぶべき現象が引き起こされます。
  さらに、収容所システムを生み出した「全体主義」というひとつのカテゴリーによって、ナチズムとスターリニズムが一括して扱われるようになることで、この「全体主義」に対抗する唯一の原理としての自由民主主義は揺るぎない地位を獲得するようになります。例えばエンツォ・トラヴェルソ(1957-)が、アウシュヴィッツを繰り返さないという信念がヨーロッパの自由民主主義において今や「市民宗教」の役割を担っているというのは、この意味においてです(À feu et à sang : de la guerre civile européenne, 1914-1945, Stock, 2007など)。
  トラヴェルソが述べるように、アウシュヴィッツの「単独性」の真偽を精査すべく、それを「長期持続」的な時間軸の中において考えようとするとき、植民地化の歴史はひとつの参照枠組みとなるように考えられます。アウシュヴィッツの持つ神話性を批判的な視座のもとに置けば、植民地の問題が浮上してくるということを、先の学生の発言を通じてあらためて認識しました。
  続く13日はパリ第8大学の受け入れ先であるアラン・ブロッサ教授が主催した一日がかりのセミナー「不法移民の物語」に出席しました。このセミナーは実は今年の8月29日から9月4日にかけてポルトガルのポルトで行われる国際コロック「国境・移動・創造」の一環として組まれたプログラムでした。このコロックでは私も発表の機会を与えていただくことになっています。13日のセミナーではポルトガル側の代表者の方の発表を今回初めて聞いたことで、コロックの方向性がようやくおぼろげながら見えてきたという感触を得ました。
  23日は国際学生都市の日本館で毎月開催されている哲学と文学を学ぶ学生や研究者を中心とした研究会に参加し、昨年度の12月のボローニャでの発表に再度手を加えた内容の発表を発表しました。この研究会は友人たちにボローニャでの発表を初めて実際に聞いてもらい、様々な意見をもらう機会となり、またこの日初めて研究会に参加していた韓国からの留学生数人の質問やコメントからも、いくつかの示唆を得ました。
  今回のレポートの最後に、私が訳者のひとりとして関わった訳書について、少し付け加えたいと思います。原著は2年前にフランスで出版された8人の論者(ジョルジョ・アガンベン、アラン・バディウ、ダニエル・ベンサイード、ウェンディ・ブラウン、ジャン=リュック・ナンシー、ジャック・ランシエール、クリスティン・ロス、スラヴォイ・ジジェク)による共著Démocratie, dans quel état ?(La Fabrique, 2009)で、ITP-EUROPAプログラムのもとで、パリ第8大学での研究活動を補完するものとして、この著作の翻訳作業に取り組んできました。『民主主義は、いま?――不可能な問いへの8つの思想的介入』というタイトルでまもなく書店に並ぶ予定です。
  ソヴィエトの壁が崩壊し共産主義体制が瓦解して以降、民主主義に対抗する政治体制が存在しないという意味で、民主主義は事実上外部なき体制となったと言えます。しかし、現在経験的に民主主義のオルタナティヴが存在しないということは、必ずしもそれを批判的に検討する思想の枯渇を意味するわけではなく、むしろ逆に、全面化しただけにその意味があいまいになりつつある民主主義の概念の検討は緊急の課題であるという共通認識を出発点として書かれたのが、この論文集です。
  私はジョルジョ・アガンベン(1942-)とクリスティン・ロス(1953-)の二論文の翻訳を担当しました。アガンベンに関してはすでに日本でその思想が十分に紹介されているのでここではひかえますが、ロスは比較文学を専門としており、とりわけフランスの戦後の社会思想史に精通した研究者で、現在はニューヨーク大学で教鞭をとっています。アルチュール・ランボー(1854-1891)にインスピレーションを得てパリ・コミューンを空間の観点から論じた『社会空間の出現――ランボーとパリ・コミューン』(The Emergence of Social Space: Rimbaud and the Paris Commune, The University of minessota Press, 1988)、戦後フランスの近代化と旧仏領植民地の脱植民地化を一貫したプロセスとして把握しようとした『疾走する車、清潔な身体――脱植民地化とフランス文化の再編成』(Fast Cars, Clean Bodies: Decolonization and the Reordering of French Culture, The MIT Press, 1995)、1968年5月革命のフランスにおけるその後の解釈(と理論的な回収)に焦点を当てた『68年5月とその余生』(May '68 and its Afterlives, The University of Chicago Press, 2002)などの著作があり、ジャック・ランシエール(1940-)の『何も知らない先生』の英訳者としても知られています。
  今回の論文でロスは、「民主主義」の語は「ゴムのように」伸縮自在で確かな意味を持たないと批判していたオーギュスト・ブランキ(1805-1881)と「民主主義」、「安売り」などのランボーのいくつかの詩とに着想を求めて民主主義に対する批判的な視座を確保しつつ、ランシエールなども参照しながら「誰でもない誰かの権力」というロスが考えるところの本来の民主主義の姿を描き出そうと試みています。ロスはこれまで翻訳されたことがなかった論者なので、今回の論文の翻訳がその思想の一端を紹介することになるのを期待しています。

 

 

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