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2011年10月 月次レポート(佐藤 貴之 ロシア)

活動報告書(2011年10月)


派遣先:ロシア国立人文大学
執筆者:佐藤貴之

 今月上旬は論文「ピリニャーク創作における日本の表象―西と東の狭間で―」(ロシア語)を脱稿した。本論文は2010年9月にペテルブルクで報告した内容だが、派遣中に得られた文献をもとに補筆・修正を加えた。現在、上智大学付属ヨーロッパ研究所で査読中。
 博士論文の執筆に関しては、派遣先の指導教官オレーグ・レクマーノフ教授と話し合いを進めつつ、問題設定・方向性を討議、検討中である。現在のところ執筆者が推し進めている計画では、古典概念の変容を示す一つの指標としてボリス・ピリニャークの創作を照らし出したいと考えている。
 十月革命前後の文壇では程度の差こそあれ、古典文学との断絶が見られる。それぞれの作家が、「新しい書き方」を模索していた時期であり、その代表的な芸術家集団がフレーブニコフ、マヤコフスキーのロシア・未来派といえるわけだが、彼らはドストエフスキー・トルストイらによって代表される古典文学との決別を主張していた。未来派とそれ以外の作家たちの影響関係をここで論ずることはできないが、いずれの芸術家たちも19世紀的な書き方で20世紀のロシアを描くことは不可能だと考えていたことは共通認識として指摘できよう。
 古典との断絶が強くみられる1920年代の文壇において、ピリニャークの創作と古典の関係は複雑な様子を呈している。彼はしばしば「他人の言語」(他者の作品)を自らの言語として意図的に使用する作家であった。もちろん、様式化という形で、別のスタイルをコピーする試みはそれまでにも散見された傾向である。しかし、ピリニャークの場合になると、ブーニンやレールモントフなどのプレテクストをページ単位で引用し、自らの作品の中に吸収し、プレテクストとの対話を開始する傾向が指摘できる。つまり、限りなく開かれたテクスト空間が存在しているわけだ。この開かれたテクスト空間を1920年代の文壇と絡めて論じることは博士論文の一つの大きな課題である。現在、「ピリニャーク創作における古典概念」を仮題として執筆中。
 最後に、ピリニャークと関連した一つの芝居を紹介したい。モスクワにある老舗のゴーゴリ記念劇場(クールスカヤ駅)ではソ連時代の作家アンドレイ・プラトーノフの戯曲『田舎の間抜けども』Дураки на периферии(1928年)が執筆から一世紀を経てようやく初演を迎えた。先日、この芝居に足を運び観劇してきたが、この作品はプラトーノフとピリニャークの共作としても知られる戯曲である。プラトーノフ研究に比べピリニャーク研究は立ち遅れており、ピリニャーク研究者の間でもこうした「周辺」の作品に関心が向けられることは稀である。したがって、芝居の上演プログラムでは「この作品にはプラトーノフのモチーフが強く、ピリニャークが手を加えた可能性は少ない」とまで記されている。しかし、ピリニャーク創作に精通している観客にはピリニャーク特有のモチーフがこの作品にもちりばめられていることに気付くだろう。この上演を通して、ピリニャーク創作の境界線を画定する必要性を認識した。共作である以上、ピリニャークの作品としてこの戯曲を位置づけることは難しく、こうした問題がピリニャーク全集の刊行を妨げていることは容易に想像がつく(現在は6巻立ての選集が刊行されているのみ)。

以上

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