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2010年9月 月次レポート(太田悠介 フランス)

                       ITP-EUROPA月次報告書(9月)
                                                 太田 悠介

 9月半ばを過ぎたあたりから、バカンスを終えた人々が次第に街に戻り始め、パリはいつもの活気と喧噪をすっかりとり戻したように見えます。それとともに、9月中旬から末にかけては気温も上がって日差しが戻る日が何日かあり、街は最後の夏らしい表情を見せてくれました。しかしながら、日照時間の減少と、日中を除く朝と夜の時間帯の気温の低下は明らかで、秋の訪れを通り越して、寒く薄暗い日々が続く冬がそう遠くないことを感じさせます。
 今月は新学期の始まりが近いこともあって、何かと外出する機会が多い一月でした。まず9月6日に、懸案だった滞在許可証の延長の手続きを無事に済ませました。現在居住しているパリ学生都市内に設置されたパリ警察庁の窓口が、朝8時35分に開くのを見越して、8時すぎには到着したのですが、すでに着いた時点で入口の前に15人以上が待っており、正式な滞在許可証が後日発行されるまでの仮の証明書である「レセピセ」をもらうことができたのは、結局13時過ぎでした。
 9月半ば以降の主な出来事としては、9月22日から25日にかけて、パリ西部の郊外のナンテールに位置するパリ第10大学で開催された、マルクス国際会議に参加しました。1995年から3年おきに開催され、今年で第6回目となる今年の会議は、スラヴォイ・ジジェク氏とサスキア・サッセン氏の基調講演で始まりました。マルクス研究、文化、法、エコロジー、経済、フェミニズム研究、歴史、哲学、社会科学、社会主義、社会学の各分野に分かれ、フランス語のみならず、英語とスペイン語でのセッションもあり、その数は全体で100近くになります。わずか4日間の日程でこれらすべてをこなすために、参加したいセッションが重なることも当然ながら少なくなく、その場合にはいずれかを選択しなければなりません。
 いわゆる著名な研究者の発表を別にして、個人的に興味深かったのは、昨年『イデオロギーあるいは巻き込まれた思考』(L'Idéologie ou la pensée embarquée, La Fabrique, 2009)を上梓したイザベル・ガロ(Isabelle Garo)氏の発表です。embarquerはやや訳しにくい語ですが、本来は船舶や飛行機に荷を「載せる」、「積み込む」という意味の語で、そこから転じて「巻き込む」、「持ち去る」といった意味が派生します。また、例えばこれを受動体で用いて、口語でêtre bien(mal)embarquéと言えば、「良い(悪い)滑り出しである」 という意味になります。この著作がこの語を用いて要するに言わんとしているのは、イデオロギーはあたかも霧のように振り払うことのできる幻想なのではなく、主体は社会の構造から作用を受けるのであって、その意味でイデオロギーの拘束力から完全に自由な主体はないということです。
 このような遍在するイデオロギーの批判を企てる時、マルクス主義を含めあらゆる批判理論に対して問われるのは、その批判が単なるイデオロギーの反復ではないという保証はどのように確保しうるのかという、批判の正統性の係留の問題です。戦後フランスのマルクス主義の文脈で、この社会認識の科学性の問題を意識的に提起したのが、バリバールの師であったルイ・アルチュセール(1918-1990)でした。バリバールはアルチュセールのこの意図を引き継ぎつつ、Lieux et noms de la vérité(L'Aube, 1994=堅田研一・澤里岳史訳『真理の場と名』法政大学出版会、2008年)という著作で、この問題系を展開しています。ガロ氏の発表を聞きながら感じたのは、ガロ氏の著作が今後、アルチュセールとバリバールの系譜関係をいかに整理するかという点を考える際に、ひとつの指標となりそうな著作であるという印象でした。

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(左からジャック・ビデ、発表原稿を読み上げるエティエンヌ・バリバール、二ール・アンダーソン、ピネイロ・デ・ソウザ、エンゾ・トラベルソの各氏。9月24日第6回マルクス国際会議にて。セッション名は「世界国家」。)

 月末の30日には、アンリ・ルフェーブル(1901-1991)の空間論に関する修士論文を、パリ第8大学に提出した友人の公開審査に参加する機会がありました。論文の主査は、友人と私の指導教授であるアラン・ブロッサ教授で、もう一人の審査員がジャン-ルイ・デオット教授でした。デオット教授の自宅で、しかも夕方5時から公開審査を始めるということを、あらかじめメールで伝えられていたので、いったいどんな雰囲気で行われるのかと内心心配していたのですが、始まってみればわずか5分程度の中休みを間にはさんだ以外は、2時間近く非常に緊迫感のあるやり取りが続きました。始めにデオット教授から、今回の修士論文が最近パリ第8大学に提出されたルフェーブルに関する他の学生の博士論文以上の成果を上げている、という主旨の全般的な講評があり、修士論文としてはきわめて質の高い論文であることが冒頭から予想されましたが、事実、最終的にそのような高い評価を受けることになりました。
 友人とは、偶然も重なって奇しくも日本でもフランスでも指導教授が同じであり、またマルクス主義哲学者の思想を研究の主題に据えているなど、多くの共通点があることから、これまでも折に触れて研究の全体的な方向性からより細部にわたる点まで議論をしてきたつもりでいました。しかし、今回修士論文の公開審査という正式な場で友人の応答をあらためて聞いてみると、きわめて細かな点のひとつひとつが自分を触発する論点となりうるということが、なおいっそう実感として感じられました。外国人学生にはフランス語での受け答えという言語の制約があり、その結果、余分なものをそぎ落として主張をストレートに打ち出さざるをえないために、なおいっそう論文の核となる部分が公開審査の場では問われるということを、強く意識させられる機会となりました。
 月末のもうひとつの出来事としては、友人の手も借りつつ、これまで居住していたパリ国際学生都市の日本館から、アルゼンチン館への引っ越しを済ませました。学生都市では、学生間の交流を促すために、各国館は外国人学生を定員の約3割程度受け入れるように定められており、大学の新年度の始まりのちょうど9月末が、この入れ替えの時期に該当します。これまで居住していた日本館を離れ、今後はフランス語とスペイン語が入り混じった環境での生活が始まることになります。

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(新たな入居先のパリ国際学生都市アルゼンチン館の自室。)

 

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