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2010年8月 月次レポート(太田悠介 フランス)

                    ITP-EUROPA月次報告書(8月)
                                                 太田 悠介

 8月が過ぎ、パリの短い夏の終わりを実感しています。振り返ってみると、気温が30度を超えるか、あるいは30度近くまで上昇したのは、7月に数日程度、8月でさえも結局合わせて一週間に満たない期間だけだったように思われます。今月も先月までと同様に引き続きバカンス・シーズンで、海外からの観光客が集まる美術館などの主な観光名所を除けば、閑散としています。短い初夏の日差しを求めて陣取る人であふれていたカフェのテラスでさえも、今は人がまばらな状態です。
 この時期になると、外国人学生が各自の研究とは別に、念頭に置いておかなければならないのは、滞在許可証の更新についてです。要求される提出書類は毎年度微妙に変わり、かつその数も増える傾向にあるため、住居証明、大学の登録の証明、指導教授の推薦状等をあらかじめ用意しておかなければなりません。とはいっても、現在はパリの南端に位置する国際学生都市に居住しているため、滞在許可証の更新に関しては恵まれていると言えます。というのも、学生都市内にパリ警察庁のいわば出張所が設置されるのですが、そこでの対応はやはりあくまで「学生向け」で、街中のパリ警察庁に直接出向き、窓口の係員と単なる「外国人」として対峙するよりは容易だからです。大学の新年度をむかえるために、一種の通過儀礼としてこれを済ませなければなりません。
 さて、前回の月次報告では、第一回目の報告の機会ということもあり、研究の紹介のために、その対象であるバリバールの思想に興味を持つようになったきっかけについて書きました。その際に、バリバールの思想が国民国家の危機と呼ばれる事態、なかでも暴力の独占に由来する正統性の危機を考察するにあたって示唆を与えてくれるのではないかという見通しをもったことから、バリバールの思想に取り組み始めたという主旨の内容を述べました。しかし当然のことながら、その著作に具体的にあたってゆくと、このような比較的現代的な関心からだけでは、切り取ることのできない残余が出てきます。
 より正確を期すならば、それは残余どころではなく、むしろバリバールの思想の総体ともいうべきものです。バリバールがとりわけ80年代あたりから集中的に扱うようになった国民国家の危機という問題系は、あくまでその思想の一部でしかないということ、したがってそうした一部だけにフォーカスを当てようとすると、その全体像を見失うばかりか、そのフォーカスのピントがずれている危険性さえあること、こうしたことをより強く意識するようになりました。それゆえにこれまでを振り返ると、研究の進行状況に応じて、その対象が最近のテクストからより初期のテクストへと次第に遡行してゆくようになりました。
 バリバールの思想を包括的に捉えようとする時、決して外すことのできないのは、マルクス主義への理論的貢献です。1961年高等師範学校在学中に入党したフランス共産党との関係は、1981年に除名処分となったことで切れますが、それとは別にマルクス主義に関連する著作は継続して出版されました。フランスの現代思想という文脈に限定するならば、バリバールはマルクス主義の理論的遺産を最も良く受け継いでいるのではないかというのが、目下取り組んでいる仮説です。  
 1942年生まれのバリバールがこれまで過ごしてきた時期の大半は、マルクス主義の実際的な退潮の時期と重なります。フランスを含む西側ヨーロッパ世界に大衆消費社会が到来し、古典的な意味での工場労働者の絶対数が減って以降、少なくとも政治的な言説としての西欧マルクス主義は困難に直面したと言えます。こうした状況下で、バリバールがマルクスのテクストを読むことで、マルクス主義のいかなる部分と決定的に決別せねばならず、またいかなる部分をそれでもなお救い出そうとしているのか。先に遺産の相続者という旨のことを書きましたが、仮にバリバールのマルクス読解に独自性があるとすれば、それは同時代の他の論者やそれまでの理論的な蓄積からの差異化なくしてはありえません。これは思想史の観点からすれば極めて正統な作業を必要とする点ですが、もしこの点を明らかにすることができれば、博士論文の見通しがつくという手ごたえを感じているので、目下この点に集中的に取り組んでいるところです。

 

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