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2010年12月 月次レポート(太田悠介 フランス)

ITP-EUROPA月次報告書(12月)
                                                                                         太田 悠介

 ラジオのニュースでは連日今年は近年まれにみる雪の多い冬と報道されています。実際に12月の初頭は全国的に雪の日が続きました。居住先の国際学生都市はパリの外れに位置しているため、普段から市の中心部よりも雪が積もりやすいのですが、12月は敷地内が一面真っ白に覆われるという日が何日もありました。そしてこの雪が東京外国語大学とボローニャ大学共催のシンポジウムに影響を及ぼすことになりました。

Ota11-1.JPG                             (12月のある雪の日。国際学生都市の敷地内の様子)

  シンポジウムに参加するため、7日にボローニャに向けてパリを発ちました。ところが、続く8日は大雪で飛行機のキャンセルが相次ぎ、現在指導を受けているパリ第8大学のアラン・ブロッサ先生は、残念ながらボローニャへ移動できなくなりました。しかし、その後すぐに発表用に準備した丁寧なコメントをメールで送っていただくことができたので、シンポジウムでは西谷修先生がそれを代読し、最終的には事なきをえました。
  20分という短い時間での発表だったため、研究のアウトラインを示すことに重点を置いた「大衆のために書く――マルクス主義思想家エティエンヌ・バリバールの知的道程に関する考察」と題する原稿を準備しました。今回の発表で試みたのは、バリバールの姿勢につきまとう「大衆のために書く」ことに対する両義的態度を考察することで、大衆(masses)の政治の原理的な問題を浮かび上がらせることでした。発表の概要は以下のようなものです。
  資本が国民経済の制約から解放されるグローバリゼーションの時代においては、これまで資本の自由な動きを抑制する保護のシステムを提供し、そこに自らの正統性の源泉を見出してきた国民国家のあり方が、根底から揺るがされることになります。この国民国家にとって代わる「来るべき共同体」の要求の高まりを察知し、それを理論的に汲み取ろうとしたところに、ベネディクト・アンダーソン(1936-)に代表されるいわゆる「国民国家批判」の意義があったと考えられます。
  しかし、あらゆる国民国家が歴史的な構築物であるのを指摘するこの「国民国家批判」の盲点をひとつ挙げるならば、それは国民国家の危機は何よりもまず、マックス・ヴェーバー(1864-1920)が定式化した国家による暴力の独占の正統性の危機であるという点です。国民国家にとって代わる「来るべき共同体」を構想するやいなや、そこには国家の手を離れた暴力を大衆自身がいかに掌握し、低減するかという問題が必然的に浮上してくることになります。エティエンヌ・バリバール(1942-)の思想にアクチュアリティがあるとすれば、バリバールがこの大衆の暴力の問題を「大衆の恐怖」という概念によって明確に定式化しているからです(La Crainte des masses. Politique et philosophie avant et après Marx, Galilée, 1995)。
  このように、発表ではバリバールの思想が置かれた一般的なコンテクストを提示し、そのうえでその思想が二人の思想家、すなわち、『ルイ・ボナパルトのブリュメール十八日』で「歴史を作るのは大衆である」と述べ、変革の潜勢力を大衆に見出したカール・マルクス(1818-1883)と、「大衆には節度がなく彼らは恐れを持たない時に恐ろしい」と『国家論』に記していたバールーフ・デ・スピノザ(1632-1677)との、いわば交点に位置することを明示しました。
  このマルクスとスピノザ両者からの影響によって、バリバールの大衆論は二重の属性規定を受けることになります。一方では制度を変革する大衆の力の必要性を肯定しつつも、他方ではその力が法を侵犯する暴力であることを認識することで、バリバールはこの両極のあいだをつねに揺れ動かざるをえません。バリバールのこの両義的な態度が関心をひくのは、それが民衆(デモス)の声と完全に一致する民主制(デモクラシー)という民主制の理想が抱える本質的な問題と直結するからであり、したがってその意味でこの揺れは「大衆のために書く」者にとっての普遍的な問題であるからです。
  大衆の要求にできる限り忠実に応えるべく、大衆の声と制度としての民主制の間にあるあらゆる媒介を廃棄しようとするならば、不確実な大衆の声以外のあらゆる参照軸が失われ、その結果必然的に大衆の暴力の問題が浮上してきます。したがって、「大衆のために書く」者は、大衆の変革の力を肯定しようとするならば、同時にそれが法を侵犯する暴力として顕在化することに対する批判的な視座をつねに確保しておく必要があります。バリバールの姿勢が浮動し続けるのは、まさしくこの二重性を保持し続けることの必要性にきわめて意識的であるためでした。今回の発表では、この二重性から逃れることの不可能性を認識することが大衆の政治の考察において不可欠であること、したがって国民国家に代わる「来るべき共同体」を構想する際にも不可欠であると最後に述べて発表を終えました。
  発表では時間に余裕がなく踏み込んで説明できませんでしたが、この点に関しては「ヌーヴォー・フィロゾフ」と呼ばれる論客、ベルナール・アンリ=レヴィやアンドレ・グリュックスマンの立場が貴重な材料を提供してくれます。熱狂的なマオイストだった彼らは、68年から数年後にアレクサンドル・ソルジェーニーツィンの『収容所群島』がフランスで出版されたことをきっかけに、一挙に「全体主義」批判の旗振り役へと180度立場を変更します。収容所の実態に震撼させられた彼らは、かつて自分たちが大衆と過剰に同一化していたことこそがこの社会主義の「現実」に対して自分たちを盲目にしたとし、今度は「大衆の犯罪」を俎上に載せなければならないと結論づけ、以前の自分たちの姿勢を全面的に否定します。かつては大衆を一種の信仰の対象とし、それを相対化する見地を持たなかったのに対し、その後はそれとちょうど逆に、大衆の次元に一切の足場を置かずに超越的な観点からその政治は運命論的に「全体主義」に帰着すると結論づけるというように、彼らの立場は一方から他方へと極端に振れました。それはほかでもない大衆の政治の二重性を抹消したことの当然の代償であるように思われるのです。
  以上のような報告者の意図を汲んだうえで、ブロッサ先生はエリアス・カネッティ(1905-1994)の著作『群衆と権力』を挙げながら、また西谷先生はヴァルター・ベンヤミン(1892-1940)の『暴力批判論』とジョルジュ・ソレル(1847-1922)の『暴力論』に言及しつつ、発表の思想的なコンテクストを提示してくださいました。特にカネッティに関してはこれまで見落としていただけに、今後その仕事を視野に入れておかなければならないと感じました。
  発表を終えて時間がたった今、あらためて振り返ってみると、今回のシンポジウムは現在の研究の内容に直接関わらない側面でも、様々なことを吸収する機会となったと思います。まず、同じITP-EUROPAプログラムで留学をされている他の方が、どのようなかたちで研究を進めているのかをわずかながらでも垣間見ることができたことです。また、裏方としてプログラムを支える先生方や事務の方と実際にお会いし、その仕事ぶりを拝見して、研究に真摯に取り組まなくてはという思いを新たにしました。ボローニャでの経験を糧として、よりいっそう研究に励んでいきたいと思います。

Ota11-2.JPG                                   (ボローニャの街並み。ボローニャ大学近辺)

 

 

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