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2010年10月 月次レポート(横田さやか イタリア)

月次レポート 2010年10月 
博士後期課程 横田さやか 
派遣先:イタリア、ボローニャ大学

 今月半ばより授業が開講された。報告者は、ボローニャ大学での指導教員であるチェルヴェッラーティ教授の授業「モダン・ダンスとコンテンポラリー・ダンス:セオリーとテクニック」を聴講している。授業は、「踊る身体と言葉」をテーマに、ビル・T・ジョーンズによる試みから、ファッブリらによる最新の論考、19世紀半ばのゴーチエによるバレエ台本まで、様々な角度から展開される。抽象的な印象論に陥ることなく論理的に舞踊のリズムを刻んでいくかのような授業は、一秒たりとも気を緩められない刺激的な時間である。授業開始と同時期に、博士後期課程入学者を対象とした、映画、音楽、演劇専攻の初顔合わせも行われた。その一方で、博士課程在籍者の履修義務等の改正が審議されており、授業やシンポジウム等への参加について今年度の見通しが立たない状況である。また、法令改正への抗議として一部の教員によるストライキが実施され、時間にして10時間遅れての授業開始となった。大学があらゆる研究活動が盛んに行われる場であり続けるために抗議行為もやむを得ないとはいえ、心待ちにしていた講義を聴講する時間が減ってしまった事実は、東の果てからやって来た報告者にとっては残念でならない。
 研究における今月の成果は、先月から引き続き「第二次未来派」の定義を固める作業を続け、批評家によって意見の分かれるこの問題について、自分の立ち位置を明確にできたことである。クリスポルティが1958年に「第二次未来派」採り上げるまで、未来派は1916年のボッチョーニの死とともに、あるいは第一次世界大戦終戦に前後して、終わったとみなされていた。だがその後、ファシズムへの抗議から、そして一次資料に基づかない一部の誤った事実認識から、芸術運動として未来派を研究することすら十分に行われていなかった時期を経て、ヴェルドーネ、リスタやサラリスらの緻密な資料調査にもとづく研究の成果が、速度とダイナミズムを未来派の概念として掲げた初期の活動から、20年代には機械主義、30年代には空間と抽象へと実験の対象を広げていった未来派の活動を、あらゆる芸術分野におけるアヴァンギャルド芸術のひとつの現象として鮮やかに浮かび上がらせることになる。この時期こそ興味深く、未来派の成し遂げた成果として再考察されるに値すると報告者は考えている。実際、未来派100周年を機に行われた試みは、その多くがこの時代も考察の対象としていたのである。
 今月は劇場へ足を運ぶ機会も得られた。まず「とある未来派の夕べ」と題されたユニークなショーがサン・マルティーノ劇場で催された。このショーは、3人のアーティストにより演出され、サックスの演奏とコンテンポラリー・ダンス、そしてマリネッティの宣言の朗読から成る。コンテンポラリー・ダンサーのミケーラ・ルチェンティは、未来派のダンスを再現するのでなく、彼女自身の振付けと感性でマリネッティの宣言に合わせて踊り、かつて未来派が斬新な試みとして行った、音楽ではなく言葉にのせて踊ることが今もなお舞踊に新たな境地を開いていることを実感させた。また、ボローニャ市立劇場では「ラ・トラヴィアータ」を鑑賞した。アルフォンソ・アントニオッツィによる演出がとりわけ印象的であった。舞台に映写機を持ち込み、劇場内に客席、舞台、そして映画スクリーンという三重構造をもたらすなど、斬新な試みがみられた。各幕の舞台美術がそれぞれキッチュかつポップさ、古典的装飾、形而上学的空間、と異なっていたのは美学的一貫性に欠けるようにも感じられたが、最終場で、ヴィオレッタの死を予感させる象徴として、実際に役者をもうひとりたてて化身を演じさせたのは素晴らしい演出効果であった。
 来月は、12月に控えているシンポジウムの準備を順調に進めることがなによりの課題である。

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写真:「とある未来派の夕べ」に際して展示された、未来派へのオマージュ「ポルシェ996」。ペイントはクレート・ムナーリによる。

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