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2009年9月 月次レポート(秋野有紀 ドイツ)

月次レポート(9月)
                                                                                          博士後期課程 秋野有紀

  今月は母の手術で1週間ほど日本に帰っていましたが、その後は時差ぼけもなく、快調です。今月は博士論文の一部から,東外大の大学院生の論文集への論文を仕上げ,提出しました。派遣前に文化政策学会に提出していた論文は,博士論文用に手直しをしました。
 月末にはドイツ連邦議会総選挙がありました。ドイツでは文化政策や教育政策は基本的に州の管轄なのですが、2003年のPISAショックやその後の連邦制改革の試みによって,今もっとも制度的に動揺しているのはこの分野です。しかし今回は,経済の建て直しが最優先のようで,選挙戦において文化政策はそれほど脚光を浴びませんでした。
 ドイツでの政党の連立の仕方については、ユニークな表現が生まれました。CDU(黒)とFDP(黄)が連立を組んだ場合には、ドイツで人気のあるトラ縞のアヒルのキャラクター<ティーガーエンテ>にかけて「ティーガーエンテ連立」、CDU(黒)、FDP(黄)、緑の党(緑)の場合は「ジャマイカ連立」、州レベルにおいてはSPD(赤)、FDP(黄色)、緑の党(緑)の「信号連立」というものもあります。結局,黄色と黒の保守連立が誕生し,メルケル首相が続投する事になりました。しかし,<ティーガーエンテ>は,実は(重そうな)太った緑・赤のカエルの<ギュンター>をいつも運んでいるキャラクターです。この連立の未来にとって,あまり縁起がよろしくないのではないかと日本人の私などは思ってしまいますが,幸か不幸か<ギュンター>はドイツのジャーナリストたちの視界には入っていないようです。真面目な雰囲気の漂う選挙戦を予想していたにもかかわらず,動物をつかった表現も多く,ユーモラスでした。極めつけは,開票中にすべての党の党首が集まった「ゾウたちの円卓」という表現でした。
 連立を組むパートナー同士になったとはいえ,争点がはっきりしている政策領域については交渉も避けられず,選挙後すぐにCDUとFDPは「戦い」を始めることを明言しました。経済の建て直しの影にかくれ,ほとんど争点に上らなかった文化政策は,実は,この連立において大きな争点のひとつとなることが予想されます。それは,ボン基本法を改正し,文化を国家目標として入れる(FDP)か否か(CDU)という点です。
 日本にはあまり情報が届いていない文化に関わる基本法のこの改正については,戦後すでに2度議論されてきました。そして2004年頃から再び改正への議論が盛んになり,2005年にCDUとSPDの大連立が誕生した事から,連邦制改革などの実現にも見通しがつくようになります。ヒルデスハイム大学での指導教員のシュナイダー教授が,この問題を扱う連邦政府文化諮問委員会の委員のひとりだったこともあり,私の博士論文の準備は,まさにこの基本法改正の議論の進行とともに歩んできました。2007年12月に諮問委員会は500ページを超える最終報告と,基本法改正の勧告を提出していますが,いまだ連邦参議院から連邦議会への改正案提出のハードルは超えられていません。ドイツは「社会国家」であると同時に,「文化国家」とも名乗りたい所なのですが,この表現はナチスの過去への反省から使うことは出来ません。そのため,国家目標として国民の文化的な生活基盤を保護するという風に謳いたいという戦略があるのですが,1994年の改正の際には,自然的生活基盤を国が保護するという条文だけが入れられ,文化は見送られました。そして今現在,改正案として挙がっているのが,第20b条を挿入するという案で,これは1994年までのように人々の「文化的な生活基盤」を保護するという曖昧なものではなく,「国家は文化を保護し振興する」と,文化をはっきり目的語として明記する極めて野心的な条文となっています。この表現をとることによって,文化の内容は人によって多様であるからと曖昧に「文化的な生活基盤」を保護しているのだと政府が言い逃れることは難しくなります。ほとんどの専門家が,この表現に,文化政策に対する一定の公的財源を確保させるため,というはっきりとした意図を認めています。
 人々の生活の保障が延長線上に見えるのではなく,「文化」そのものを保護の目的とするこうした条文案に対しては,私自身は充分に説得力のある説明をドイツ人の専門家から得られたことはまだありません。しかしこうした問題意識を持ってしまうのは,私が外国人の研究者であるからでもあり,ドイツ人の政策担当者にとっては,とにかく持続的に文化予算を確保するための法的根拠を生み出すことは,切実な悲願です。ドイツは芸術文化を大切にしている国だという一般的なイメージがありますが,こうした法的基盤の脆弱さから,「(不況下では)文化はごみ処理に勝てない」といわれるのが実情です。
 私の博士論文のテーマである「文化的な生存配慮」は,国家目標を謳うこの第20条の改正と切っても切り離せない関係にあります。個別具体的なミュージアムでのプログラムの理論的・法的根拠として,第一部の第一章,第二章が多かれ少なかれこの問題と関わっています。2008年の10月に改正案の提出が暗礁に乗り上げた時点で,大きな動きはこれでもうしばらくはないだろうと安心したのですが,浅はかな私の予測は見事に裏切られ......。選挙戦・新政権誕生のニュースを追い,研究仲間とその都度議論できる環境に派遣していただいていて,本当に良かったとやや冷や汗をかきながら,連日報道を確認しています。
 「改正の実現には,あと20年はかかる」という気長な意見もありますが,FDPは文化に対する国家目標を基本法に挿入するという公約をはっきり掲げています。改正の実現自体も重要には違いないのですが,彼らがこの問題についてどのような議論を展開するのかに,現代ドイツの姿が背景として浮かび上がってくると考えられます。そうした背景の理解と把握に,外国人である私はしばしばハンディを抱えがちです。選挙は終わったばかりなので,シュナイダー教授とはまだこの論点について議論はしていませんが,文化政策の専門家のみならず,政治家や国民がどのような議論を見せてくれるのか,期待しています。新連立政権の大きな争点として,選挙戦の終わった今になってようやく,文化政策は舞台に登場しようとしています。
 

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