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2009年8月 月次レポート(秋野有紀 ドイツ)

月次レポート(8月)
                                                                                          博士後期課程 秋野有紀

 今月は、バイロイトでワーグナー祝祭劇の最終日に『トリスタンとイゾルデ』を観てきました。私の第一の目的は、上演というよりは客層の構成と祝祭劇のもたらす副次的な効果を観察することでしたが、上演もとてもすばらしいものでした。ヒルデスハイム市立劇場での私のバレエの先生は20年前バイロイトで踊っていたこともあり、前もっていろいろなことを教えてくださいました。客層は、年齢層が高いのはもちろんのこと、ドイツ以外の国から来ている人の割合が極めて高いことに驚きました。祝祭劇場の横にある特設の郵便局では、その期間だけ、特別の消印を押してくれるのですが、出された葉書は、ニュージーランド、アメリカ、イタリア、韓国、日本......と世界中に散らばっていきました。1時間ある休憩時間には、実に様々な言語が飛び交っていました。私がこれまで見てきた―2006年のサッカー・ワールドカップを含めた―フェスティヴァルの中でも、国際的な客層が占める割合が最も高い場所だったといえるでしょう。休憩終了の合図としてバルコニーから楽団が音楽を奏でてくれるのも、とてもすてきでした。終演後は、バイロイトの中央駅から坂の上の祝祭劇場まで、ずらっとタクシーがならび、その光の列はとてもきれいでした。翌朝のバイロイト中央駅は、スーツケースと有名なブランドのドレスやスーツとを持った人たちであふれていました。しかしどれほど高価なドレスやスーツを持っていても、特別な電車が通るようなまちではないので、皆さん平等に、冷房をめったに使わない蒸し暑いドイツ鉄道の狭い車両に詰め込まれて、それぞれの場所に向かっていきました。

 私はバイロイトからフランクフルトまで行きました。ちょうどこの日は、私の調査場所の<ミュージアムの河畔>での、年に一度のフェスティヴァルの日でした。300万人の人出だったその日のマイン河沿いは、実に様々な人々であふれかえっていました。シュテーデル美術館では、ちょうど私が調査してきた<子どもによる子どものためのミュージアム・ガイド>が始まるところだったので、入口で待っていたところ、顔見知りのミュージアム教授員(ミュージアムの教育専門職員)の方がやってきて、ガイドに参加させてくれました。すでにこのガイドの参与観察は終わっていたのですが、フェスティヴァルという特殊な日の様子を改めて観察できました。その日ガイドをしていたアンナはとても上手で、その日はそれを聞いた大人のお客さんまで途中から参加し始めたので、大きな団体になりました。後からアンナが9歳だと聞いて、信じられなかったほどです。シュテーデルには毎日、多い日では100人を超える日本人のお客さんがやってきますが、「こういうのびのびと子どもたちが遊べる美術館が日本にあったらいいよなぁ」といいながら、大抵は所蔵されている有名な作品より、様々なガイドやプログラムに感心して帰っていかれます。

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                ミュージアムの河畔フェスティヴァルの様子

 その帰り道、市電にのってマイン河を越えたところで、子どもがドイツ語で叫ぶのが聞こえました。「パパ、お祭りはあそこだったんだよ!」振り返ってみると、12歳くらいの東南アジア系の少年とお父さんでした。私がインタビューしてきた市の政策担当の方々もミュージアムの方々も、「フランクフルトでは<ミュージアムの河畔>を知らない人はいません」と自信を持って言っていたのですが、私はそのことにはやや懐疑的でした。というのも、ドイツには文化施設に定期的に通うのは人口の8%という数値があり、ある種の芸術文化というものが特定の人だけのものとなっているという問題が根強くあるからです。少年の言葉に私は、「あぁ、やっぱり」と思うと同時に、現地でのインタビューではなく執筆に集中しなければいけない今になってこんなに明らかな証言が......と、複雑な気持ちになりました。もしこの問題を追及するならば、この少年の証言だけでなく、何人もの証言から結論付ける必要があります。しかしそうなると私のテーマは包括的な方向に向かってしまいます。こうして、日常的に気付いたことや外国人だからこそ奇妙に思った点でも、その多くは、テーマが包括的にならないように、あるいは研究の域にまで達する資料が十分には集まらないために、一時的に見て見ぬふりをして脇道に置いていかなければなりません。こうした事は、現場で観察を行う度に起こり、そのたびにやや気が重くなりますが、いつかこうしたこともうまく扱える日が来るといいなぁと思っています。

 

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