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2009年11月 月次レポート(秋野有紀 ドイツ)

ITP11月報告書
                                                     博士後期課程 秋野有紀

 最終月となった今月は、博士論文の完成・提出のために毎日淡々と執筆・修正していました。

時間のかかったドイツ語での作業
  日本語の博士論文については、引き続き外語大の谷川先生と山口先生に連日メールでご指導頂き、細かい修正を重ねていきました。ドイツ語での博士論文の進捗具合の方は、日本語のものと比べるとややスローペースでした。自分ひとりでできる日本語の作業ならば一気に集中して仕上げることができても、やはりドイツ語の方は、ドイツ語修正をしてくださる相手の都合を考え、余裕を持って依頼する文面を作り、内容面で再修正したところについてはさらに再びドイツ語のチェックをしてもらう必要があり、日本語の2倍、3倍の時間がかかりました。しかし、たくさんのネイティブ・スピーカーを巻き込みながらも、その方たちに支えていただいたお陰で、何とか全ての作業を終えることができました。

ドイツ人の学者たちの愉快な文化?
  「学術論文」としての形式や研究手法、描写や筋道についてのアドヴァイス内容は、日本でもドイツでもほとんど変わりはありません。しかし、とりわけ興味深く、参考になったのは、大学のゼミや討論会を離れた様々な「非公式な場所」での指導教員や他の専門分野の先生達、研究仲間のアドヴァイスや意見でした。ゼミ以外にもこうした場所で交流を行うことが、非常に重要だというのは、日本でも同じだと思うのですが、文化政策研究所では、先生方の会議さえも必ず、「公式」な大学での会議の後に、「非公式」な食事会が行われ、忌憚のない意見交換が行われるのが、慣例になっているほどです。若い先生たちは、こうした場所での意見交換は「ゼミや会議での当たり障りのない発言から得られる情報より重要で生産的」だと言い、研究所の会議の二重構造(?)を大変気に入っているようです。こうした場所で垣間見た、ドイツ人の研究者たちが共有する「研究文化(?)」のいくつかは、私にとっては非常に新鮮なものでした。すでに博士論文を書いたことのある比較的年の近い先生方からは、博士候補生はワクワク小説を書く作家であるかのようなアドヴァイスをもらいました。彼らからは、章ごとにミステリー小説のような「スリリングな緊張関係」を持たせることや、学術的に硬い文章を単に書くのではなく、読者に配慮した「ユーモアを入れることが大切」だということを教えていただきました。彼ら自身も、学会や論文投稿が近い時には、つねに最後まで「まだ論の運びに緊張感がないんだ・・・・・・」などとよく言っていました。ちなみに、ユーモアを入れることについては、ドイツで出版されている学術論文執筆のための入門書にも、日本で書かれている「真面目な」内容と並んで、漏れなく大真面目に書いてあるため、どうやらドイツでは学術論文を書く人の心構えとして、基本中の基本のようです。私の指導教員のシュナイダー教授は、日常生活でもゼミでも、とにかくどこでもユーモラスな会話で周りを楽しませてくれる先生です。ドイツに渡った当初は、シュナイダー教授が単に面白い方なのだと思っていたのですが、ヒルデスハイムの教授陣はみなユーモラスで、毎回私はそのことに感銘をうけていました。ドイツにいる日本人留学生の間では、どうしてドイツ人たちが瞬時にこれほど説得力のある受け答えをし、自信満々に人を惹きつけるプレゼンテーションをできるのかと、その秘訣が頻繁に話題にあがり、その答えはしばしば、言語の構造にあるということで落ち着きます。しかしドイツ人研究者たちの高いプレゼンテーション能力の一部は、もしかすると、学術論文に小説のようなスリリングな展開とユーモアを入れる努力をし、客観的に人を楽しませるものをつくる感性を磨いてきた賜物なのかもしれないとも思うようになりました。
  また、夜中の3時頃にメールの返事を書いてきて、「やぁ、(研究者が絶好調になる時間は)これからですね!」という挨拶をするのも、ドイツの研究者達に共通した愉快な挨拶の仕方でした(しかし私は朝型で、しかも今回は一人暮らしをしていたので、この「研究者の生息時間」に則った独特の挨拶は、あまり使う機会はありませんでした・・・・・・)。

常に「勇気!」といわれ続けた4年間
  博士論文は、形としては仕上がっていきましたが、研究を始めた頃よりも知識や情報が増える分、最後まで、もう一ヶ月あったらあの部分を書き直したい、これを最初から知っていたら違うアプローチを採ったのに、と直したい部分はやはり尽きることはありませんでした。そうしたことから、帰国直前になりもう少し提出を遅らせることも選択肢として考えようか、と思ったこともありました。しかしシュナイダー教授は、帰国の際に、「あなたは3年もヒルデスハイムで実践的、専門的に学びました。理論のみならず現場でフィールドワークをたくさんしました。だから日本に帰ったら、私はドイツの文化政策のエキスパートです!と自信(Mut)をもって言うのですよ」と励ましてくださいました。日本から突然手紙を書いて、2006年4月に文化政策研究所に受け入れていただいてから、つねに、シュナイダー教授には「あと必要なのは勇気だけです!!」といわれ続けてきました。とにかく、最初から最後まで、常に「勇気!」「勇気!」「勇気!」と励まされ続けたヒルデスハイムでの博士論文執筆でした。
  執筆作業が大変だったのは事実ですが、今振り返ると、周りの方々の温かい激励と楽しい会話による息抜きのお陰で、とてもすがすがしく楽しく前向きに、毎日を送ることが出来たように思います。

写真:日本に帰る直前に、クリスマス市が始まりました(右:ハノーファー、左:ヒルデスハイム)。

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