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僕が外大の大学院を離れてから少なからず歳月が過ぎた。今の学生さんたちはどのような思いで大学院に入って来るのだろう。繕っても仕方がないので素直に書くけれど,僕にとっての大学院はモラトリアムの延長だったと言っていいと思う。のっけからネガティブな話になって広報担当の人には申し訳ないけれど,同級生たちがさっそうと社会に出て行く中(少なくとも僕にはそう思えた),何の答えも出すことができずにいた。
結局のところ,僕は物事を理解するのに人より時間がかかるらしい。これは僕が専攻したドイツ語の分野でも同じで,あの頃の僕は相当にぱっとしなかっただろうなあ,と思う。けれど当時のZ先生のゼミでは,そんな学生も決して見下すことなく,もちろんおだてることもなく,研究の輪に加えてくれて,そして間違いなくそのお陰で,少しずつ,少しずつ,僕は先に進むことができた。
大学院に進むといろいろな人たちと出会う。自分の周囲の景色が変化していく。学会というものに参加してみたりもする。学部ではふつう経験しないことだ。さらに僕は一年間ドイツに留学することもできた(ドイツ語ができずに苦労した)。修士論文というものも書いてみた(寝不足との戦いだった)。実際のところ毎日大変だったけれど,とにかく精一杯一生懸命やったので,今となっては不思議なくらい後悔のない時期でもある。
世の中には十分に時間をかけないとできないことだってある。語学だってそうだ。直線的な時間の流れから外れた,大学院的な生き方を選ぶ人があってもいいと思う。そういう人ばかりでも少し困ったことになるけれど。 |
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