多くの言語では、願望・態度・成就の動詞の後に行為を表す表現が続く場合、行為を表す表現の部分が能動文であっても受動文であっても、願望・態度・成就は文全体の主語についてのことです。例えば、Ken wants to visit Naomi.「健は直美を訪問したがっている」(願望 + 能動文)でも Ken wants to be visited by Naomi.「健は直美に訪問されたがっている」(願望 + 受動文)でも、願望の気持ちは文全体の主語である健のものです。
マレー語では、願望・態度・成就の動詞の後に受動文が続く場合、願望・態度・成就が文全体の主語についてであることもありますが、受動文の動作主についてであることが普通です。つまり、Ken wants to be visited by Naomi.「健は直美に訪問されたがっている」(願望 + 受動文)に相当するマレー語文は、「健は直美が訪問したがっている」という意味にもなり、どちらの解釈かは文脈により決まります。
主語 (A) hendak/nak/mahu/ingin 受動動詞 (oleh) 動作主 (B) ①「AはBが~したい」 ②「AはBに~されたい」 cuba ①「AはBが~しようとする」 ②「AはBに~されようとする」 suka ①「AはBが~するのが好きだ」 ②「AはBに~されるのが好きだ」 berjaya/gagal ①「AはBが~するのに成功/失敗した」 ②「AはBに~されるのに成功/失敗した」
上の①の意味は、動作主を主語とする能動文で言い換えることができます。動作主についての文ならば能動文を使い、被動作主についての文ならば受動文を使います。ただし、関係節による名詞修飾では、文の構造上、必ず受動文を用いなければならない場合もあります。
Pencuri
itu
cuba
ditangkap
oleh
polis.
①「その泥棒は警察が捕まえようとした。」(=
Polis
cuba
menangkap
pencuri
itu.)
②「その泥棒は警察に捕まえられようとした。」(通常の文脈ではあり得ない解釈)
Buah
pisang
suka
dimakan
monyet.
①「バナナは猿が好んで食べる(=食べることを好む)。」(=
Monyet
suka
makan
buah
pisang.)
②「バナナは猿に好んで食べられる(=食べられることを好む)。」(通常の文脈ではあり得ない解釈)
Semua
masalah
berjaya
diatasinya.
①「すべての問題は彼(女)が解決に成功した(=解決するのに成功した)。」(=
Dia
berjaya
mengatasi
semua
masalah.)
②「すべての問題は彼(女)による解決に成功した(=解決されるのに成功した)。」(通常の文脈ではあり得ない解釈)
Wanita
itu
mahu
dikenali
hanya
sebagai
Aminah.
①「その女性はアミナという仮名の使用が望まれた。」(直訳:「その女性は(文中に明示されていない動作主が)アミナという名前でのみ知りたがった。」)(通常の文脈ではあり得ない解釈)
②「その女性はアミナという仮名の使用を望んだ。」(直訳:「その女性はアミナという名前でのみ知られたがった。」)