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「野蛮の言説」とBLM

時節柄、研究会をするのも憚られる今日この頃だが、去る11日(火)には、ぜひやりたかった研究会を実現することができた。科研の研究会として、2月に新著『野蛮の言説』を刊行したN氏をお招きしたのである。気になるならオンラインでもとご依頼したところ、ぜひ対面で(この頃はオフラインでというらしいが、それでは髭のないモナリザ(デュシャン)と同じくらい倒錯である)とご快諾いただいたので、かなり引き気味な大学施設課様に拝み倒して(?)、いつもとは別の建物で「厳重警戒」を遵守しつつ、オンラインと対面の混合形式で開催した。ちなみに科研メンバーはじめ大人参加者はほとんどがオンラインだったが、それでも会の後半にアフリカ研究のT先生がいらしてくださった!多謝!しかしそれ以外で会場にいたのは、ゼミの院生と学部生だけだった。

この書物、大学生向けの講義の形式をとっているが、野蛮の言説つまり直接には黒人差別の言説(しばしば「科学」に裏打ちされた)の系譜をたどりながらベルギーによるコンゴ人の大虐殺、ナチズムのジェノサイドを経て、最後は日本の関東大震災時の差別、731部隊のこと、そして現代のヘイトクライムややまゆり事件と現代日本の問題に踏み込んだ、たいへんな力作である。2020springtext.jpg
実際、学部ゼミの輪読にも用いたので、当日は研究会に先駆けて30分ほど、ゼミ生とN先生の対話セッションを設けた。このときの質問やコメントは、ほとんど最後の日本に関する部分に集中したのだった。
研究会の方では、少し踏み込んで昨今のBLMつまりブラックライブズマターを副題に掲げた。この書物自体、まさにBLMであり、そしてそれは2020年の問題にとどまらない。とりわけ科研とのかかわりでは、現代のグローバル経済までつながる西洋中心の世界システムが、奴隷貿易や奴隷制なしには成り立ちえなかった歴史に、社会科学はまともに向き合う必要があるということである。議論は進化論、そもそもの進歩という理念について、またジェノサイドと歴史、あるいは野蛮の言説を生み出す制度としての国家など多岐にわたり、大いに充実した時間となった。会場を支えてくれたゼミ生たちの存在、院生諸氏の献身的な技術サポート、活発な議論やコメントは、ゲストのNさんにも印象深かったそうである。ゼミ生たちにひたすら感謝である。
研究会終了後、これも迷ったのだがせっかくの機会なので、Nさん、ゼミ生数名といつもの寄り道へ。おかみさんが「密を避けて」と大きな場所を大盤振る舞いであけてくれて、ゆっくり話せた。ああ、これこれ!ここでも誠実にじっくりと話をしてくれるNさんにゼミ生諸氏は惚れ惚れと聞き入り、とてもゆたかな宴であった。たしか浜矩子さんが書いていたが、コロナ禍で必要なのはソーシャルディスタンスではなく物理的なディスタンスであり、ソーシャルディスタンスはむしろなんとか回避して社会性を保たなければならない。たしかに、頭と心が深く喜ぶところには、やはり身体を通じた人と人との出会いが一番である。がんばって現場にきてくださったゲストのNさんに、心から感謝したい。

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2020年8月14日 09:37に投稿されたエントリーのページです。

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