公的な場所としての図書館を考える、ような
梅雨の明けた日曜日。ひゃっほー!やりたいことといえば、もちろん!映画館に出かけることである。もらった(?この間確認した時にはまだ振り込まれてなかったが)ナントカ給付金の一部分を、自粛期間中にフライングして「ミニシアターエイド」応援に投じたので、そのフィードバックの一枚を行使すべく、今日はアップリンク吉祥寺に行くことにした。目当てはエミリオ・エステベス監督の『パブリック 図書館の奇跡』(2018)である。先日、この映画の評価(たぶん新聞の映画評か何かだ)をみたときには、昨年だったかに観たF.ワイズマン監督の『ニューヨーク公共図書館』(2017)に通じる何かだろう、撮られた時期もあまり変わらないし、とうっすら想像した。ワイズマンのこの映画については、いつぞや拙ブログでも取り上げさせてもらった通りである。
たしかにどちらも現代アメリカの、どちらも図書館の話しで、アメリカの歴史にも触れる部分があり、そして図書館員さんたちが重要な役割を果たしている。人びとの公的な居場所という共通するテーマや問題意識があるともいえる。しかし!両者はまったく似ていなかった。ワイズマン監督の映画は、巨大でグローバルな文化都市ニューヨークの伝統ある図書館のドキュメンタリーで、流れる音楽も映画の調子もクラシック、美しく重厚であった。一方、『パブリック』の方は、オハイオ州シンシナティのダウンタウンにある図書館を舞台にしたフィクションで、あちこちに笑いのネタがしかけてある。だが笑いながら次第に引き込まれて観ていくと...。クライマックスに迫るシーンでは、おもわず胸がつまる(実際少し泣き、マスクを濡らしてしまった)。いや、これはヤバい。ともあれ必見である。大お勧め!