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一陽来復

昨日1月28日(土)はワセダ若手の研究会、人種研究会に出かけた。その前に図書館で一仕事し、研究会までちょっと時間があったので、穴八幡宮にお参りにいくことにした(ああ神様、ついでですみません)。「一陽来復」ののぼりがはためき、冬至から節分までお札を頒布している。

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そういえば昨年の冬至は12月22日だったが、ちょうどその日W大の講義のためバスに乗ったら老若男女で超満員!なんとなく大学関係者ではないだろうなーと見ていたら、穴八幡最寄りの停留所でほとんどの人が降りたのだった。昨日もお札の列は相当な長さであった(当方はもちろんスルー)。一陽来復は冬が去って春が来ること、転じて悪いことが去って良いことが来ること。まことに、早く春よ来い!である。

研究会の課題図書は森ビル社長氏の『ヒルズ 挑戦する都市』(朝日新書、2009年)であり、ユートピア論との関連を強く打ち出した興味深い報告の後、およそ2時間ほど参加者各位が著者のドヤ顔的諸要素をにべもなく批判して大いに盛り上がった。しかしネオリベの担い手たる一企業家がここまで典型的な書物を残したことは(たとえゴーストライターが書いたとしても)やはり興味深く、トウキョウや日本の今後を考えるてがかりにもなる。結局はクリエイティヴな人間だけを呼び寄せて地元住民を追い出す「小ヒルズ」が各地に蔓延するとすれば、日本の未来は間違いなくうすら寒い。

えっ、なぜ人種研究会でこの本かって?それはもちろん、往時のヒルズのキャッチコピーが「六本人、生まれる」だったからですねー。ニッポン人にひっかけてロッポン人、ってこのセンス、ゼロ年代のキャッチコピーとしてはどうなんだろう...それに六本人、生まれたんでしょうか。あるいは発育不全で?でも日本を覆う格差社会を思うとき、六本人とはいわないものの、お金持ちでおしゃれで知的で快楽追求みたいな社会階層がいまも存在することは間違いない。放射能はこの階層をどこまでシャッフルしたのか、していないのか。昨年、震災後の自粛ムードに対して「今こそ高級ワインを開けよう!」と言った人々の消費主義はまーほおっておくとしても、森ビルが自家発電でまかなっていることや某情報系企業社長の脱原発的取り組みなどを考えると、ロッポン人にも何か期待できるのか?著者のノーテンキな上海ヒルズ的展開とは異なるところで、この本の現代的意味を考える必要がある。

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2012年1月29日 22:40に投稿されたエントリーのページです。

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