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2012年1月 アーカイブ

2012年1月18日

冬眠終了

あらあら、明けまして18日もたってしまいました。大変失礼いたしました。

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一年で一番冷え込む寒中の今日この頃、ほんとに寒いですね。当方、昨年末の拙ブログを書き終わった後にひどい風邪をひき、最近まで最低限の仕事しかこなせず(その割にゼミ生と飲んだりはしてたが)、なかば冬眠しておりました。すみません。でも少しづつ春の訪れが近づいているようです。お花たちにいざなわれて(?あらロマンチック)、冬眠終了します!今年もときどきブログ書きを続けてゆこうと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

そんなわけで次なる仕事上の必要もあって辺見庸さんの新著(『瓦礫の中から言葉を』)を買いに本屋へ行ったら在庫がなく、なぜか別の新書を買ってしまった。田坂広志『官邸から見た原発事故の真実:これから始まる真の危機』(光文社新書、2012)である。著者は原子力工学の専門家で -つまりいわゆる推進派で― あったが、2011年3月29日から9月2日まで内閣官房参与として原発事故への対応を内部から見た結果、この本が示すように原発の安全性に対する考え方を大きく変更し、10月には野田政権が答えるべき「国民の7つの疑問」という講演、記者会見を行ったという。ふーん 記者会見の様子はネットで拾えるようだが(1hぐらいあるのでまだ観ていない)、およそこの本にまとめて書かれていることと重複するのだろう。福1事故を忘却の穴に落とし込もうとする力に抗う正念場の2012年、まずはこのあたり必読書というところだろうか。

仕事帰りにはT田給の駅の売店でSAPIOを買った。「気でも違ったのか、ナカヤマ」というなかれ。表紙をうめつくす「中国&金正恩xxx」の文字とえげつないデザインはドン引きに値するが、中には脱原発のなかなか手堅い記事が並んでいるのだ。まさかのK氏のゴ○宣だって、絵柄はともかく主張は決して突飛ではない。いつぞや拙ブログに書いた「女子どもを放射能から守れ!」のダンディズムを、いやそこはK氏なので「益荒男」とか言ってしまうのでうひゃー、やめてーであるとはいえ、彼が担っているのである。従来の保守かリベラルかとか右か左かとかいう区分で考えることには意味がないことが、この一端からもよくわかる。

帰宅したらDAYS JAPANの最新号が届いていた。こちらも3.11検証の特集が組まれている。当ゼミA氏や506付近で見かける諸氏(女子?)の記名つきの記事!おーワンダフル。

2012年1月21日

研究会をはしごする

昨日はどうしても聞きたい研究会があって、午前中の仕事を終えた後、雪降る中を移動して、四谷のO美林大学四谷キャンパス、というのは言い過ぎではないだろうか(「キャンパス」を探してうろつきかけた)、つまりはサテライトオフィスであろうビルの一室に行ってみた。演目は「福島原発事故による被害実態:飯館村、浪江町住民からの聞き取り調査報告」である。、5人の報告者それぞれ20分のところを大幅に延長してたいへんに充実した報告を行い、いろいろ考えることができた。
研究会の終わりごろ、コアメンバーと思しき某先生が「いや、今日は4時半から早稲田で福島のS先生がやってるんですよね。今日これからお帰りになる方は、ぜひ寄ってみてください」とおっしゃるので、それじゃあと思い、突然、研究会のはしごすることに。四谷とワセダは大した距離ではなく、地下鉄を乗り継いですぐである。とはいえ広いワセダのどこでやっているのか、その時に行ってわかるのか?あたりをつけて政経、法学部あたりをうろうろするもそれらしい看板はなく、ちっ さすがにわかんないかー、じゃ図書館でも寄って帰ろうと思って社学の前を通り過ぎたとき、おお!あるではないか!「原子力事故と地域社会:放射能汚染がもたらす社会的心理的脅威:ウクライナと福島からの声」(しかし長いタイトルだな...)。16:30-19:45! そりゃ長いので、近くの売店でちょっと腹ごしらえをしてから会場へ。到着するとまだプロジェクトの趣旨説明をやっていた。ほっ しかし二つの講演者 -ひとりはホメンコ氏(キエフアカデミー国立大学)という、キエフ在住の10歳の時にチェルノブイリを体験し、その後文学で日本に留学して日本語にも堪能な人のパーソナルヒストリーと、もうお一人が福島大学の清水修二先生ー のお話しはそれぞれに非常にインフォーマティヴであった。

内容の紹介をしたいが、本日はまたまた京都に日帰り出張である。続きは次回。行ってきまーす!(今日も弁当つめた)

2012年1月26日

冬は甘酒

冬は甘酒いとをかし、とかいって清少納言に対抗するつもりはないが、甘酒ってお酒じゃないのねー、夏の季語なのねーとネットで諸講釈を仕入れながら甘酒を飲む、寒い夜である。ありゃっ、いかん!内容とまったく無関係なハナシから始めてしまった。

さて、先立っての拙ブログ「研究会のはしご」から早一週間、その内容をご紹介しようと思っているうちに『環境と公害』最新号が届いて、S氏のご報告は「原発災害がもたらしたもの・原発災害をもたらしたもの」(『環境と公害』vol.41 No.3, Winter 2012, pp. 45-50)に活字化されていることがわかった。「福島大学災害復興研究所」の研究成果を生かした福島からの報告とチェルノブイリ後25年のベラルーシ・ウクライナの調査報告が簡潔にまとめられている。論考の焦点は、このたびの災害が従来のいわゆる公害と大きく異なる点でもあるのだが、「避難」という問題である。それは避難を余儀なくされた人々の諸権利(避難しないという選択肢を含めて)の問題であり、またそれを土台にした賠償の問題であるが、それだけでもない。土地が国有のものであった25年前のベラルーシやウクライナ(旧ソ連)と、土地の大半が個人のものである福島では、情報の提示のしかたも政治的対処の仕方もまったく異なったことも考慮に入れなければならない。とはいえ、さまざまな属性をもつ老若男女がそれぞれに暮らしを営んでいた場所が、突然に「自由」を奪われて一括管理の対象へと劇的に変化したことに変わりはない。奪われた自由をめぐって発せられた声に耳をすませ、いかなる言葉を発信していくのかが、社会科学に問われている。

ところで裏表紙にある英語タイトルをつらつら見ていたら、どうも東日本大震災は英語で (the) Great East Japan Earthquake というらしい。おいおいちょっと変じゃないか?と調べてみたが、これが公式見解らしい。それじゃあまるで「大東日本(大英帝国みたいだな)震災」のような気がするんだが... 

2012年1月29日

一陽来復

昨日1月28日(土)はワセダ若手の研究会、人種研究会に出かけた。その前に図書館で一仕事し、研究会までちょっと時間があったので、穴八幡宮にお参りにいくことにした(ああ神様、ついでですみません)。「一陽来復」ののぼりがはためき、冬至から節分までお札を頒布している。

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そういえば昨年の冬至は12月22日だったが、ちょうどその日W大の講義のためバスに乗ったら老若男女で超満員!なんとなく大学関係者ではないだろうなーと見ていたら、穴八幡最寄りの停留所でほとんどの人が降りたのだった。昨日もお札の列は相当な長さであった(当方はもちろんスルー)。一陽来復は冬が去って春が来ること、転じて悪いことが去って良いことが来ること。まことに、早く春よ来い!である。

研究会の課題図書は森ビル社長氏の『ヒルズ 挑戦する都市』(朝日新書、2009年)であり、ユートピア論との関連を強く打ち出した興味深い報告の後、およそ2時間ほど参加者各位が著者のドヤ顔的諸要素をにべもなく批判して大いに盛り上がった。しかしネオリベの担い手たる一企業家がここまで典型的な書物を残したことは(たとえゴーストライターが書いたとしても)やはり興味深く、トウキョウや日本の今後を考えるてがかりにもなる。結局はクリエイティヴな人間だけを呼び寄せて地元住民を追い出す「小ヒルズ」が各地に蔓延するとすれば、日本の未来は間違いなくうすら寒い。

えっ、なぜ人種研究会でこの本かって?それはもちろん、往時のヒルズのキャッチコピーが「六本人、生まれる」だったからですねー。ニッポン人にひっかけてロッポン人、ってこのセンス、ゼロ年代のキャッチコピーとしてはどうなんだろう...それに六本人、生まれたんでしょうか。あるいは発育不全で?でも日本を覆う格差社会を思うとき、六本人とはいわないものの、お金持ちでおしゃれで知的で快楽追求みたいな社会階層がいまも存在することは間違いない。放射能はこの階層をどこまでシャッフルしたのか、していないのか。昨年、震災後の自粛ムードに対して「今こそ高級ワインを開けよう!」と言った人々の消費主義はまーほおっておくとしても、森ビルが自家発電でまかなっていることや某情報系企業社長の脱原発的取り組みなどを考えると、ロッポン人にも何か期待できるのか?著者のノーテンキな上海ヒルズ的展開とは異なるところで、この本の現代的意味を考える必要がある。

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