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2011年9月 アーカイブ

2011年9月14日

ただいま!!

ほぼ2週間の海外出張を終えて昨日帰国した。資料収集し、旧友やなつかしい先生などに会い、実り多かったウィーンは、ずっと20-30度ぐらいの過ごしやすい天候であったが変化が激しく、また2週目、どうしても見たい雑誌がミュンヘンの国立図書館にしかないというので一泊(片道4時間強、さすがに日帰りはやめた)で遠征を強行し、若干カゼをひいた。とどめのように帰りの飛行機の出発が4時間遅れて、昨日はけっこうヘロヘロであった。日本のこの暑さがなんだか優しい。

さて、「放射能つけちゃうぞ」ではないが、「放射能ついてる?」的な挨拶は日常茶飯事であった。こちらもギャクにしないとやっていられない。原発を一基も稼働させていないオーストリアの人々の、FUKUSHIMAへの関心を垣間見た。また郊外への移動中にみた多くの風力発電装置や、帰り際にたまたま立ち寄った知り合いの家の、動物たちとともにある暮らしに(その家の主は飛行場で働いているというのだが、なぜか犬2匹、猫5匹、山羊2匹、鶏2匹がいて、その奥に馬たちがいると言う。いや、しかしこれは多すぎだろう?!)、暮らしのありかたということを何度も考えた。以下はSt. Poeltenという街へ向かう途中の景色だが、牛とかいるんだから、もー。

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ミュンヘン国立図書館訪問は日程がタイトだったので、2日前ぐらいのぎりぎりながら当該の雑誌を予約しておくと、到着時すでにちゃんと準備されており、スキャニングできれいに撮らせてくれる素晴らしいシステムに感激した。また来るとしたらずっと先になるので、どうしてもほしいページだけハードコピーもとりつつ、結構体系的にスキャニングさせてもらう。も一度、ゆっくり読めるわーん。ありがたいーん。ところでスキャニングのスペースでは、ドイツ経済史研究の大御所、Y沢先生にばったり出会う(うおお!)というハプニングもあって、このシステムの普及していることを何となく体感。あっ! 知らなかったのはわたしだけですか?みたいな。そんなわけで短い日程で収集を終了し、データを入れたUSBを赤子のように抱きしめたい気持ちでウィーンに帰った。(さっきふたたびチェックしたが、すべてちゃんと保存されていた。ほっ)

この成果の分析にさっそく取り掛かりたいところだが、来週までの原稿〆切があああ (出張中はほとんど進まなかった;)。明日は教授会で、自由な時間は残り少ない。ははは;

2011年9月18日

イメージフクシマvol.2ほか

先日、ゼミ生のMミンから教えてもらったのだが、昨日9月17日から23日まで渋谷のユーロスペースで、[イメージ・フクシマvol. 2」と題した映画の連続上映会+諸トークが催されている。8月に福島で行われたvol. 1の続編だそうだ。

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森崎東『生きてるうちが花なのよ死んだらそれまでよ党宣言』や鎌仲ひとみ『ミツバチの羽音と地球の回転』などの原発ものだけでなく、キアロスタミ『そして人生はつづく』やジョン・フォード『わが谷は緑なりき』など主催者の観点からの関連作品も上映される。トークは福島からのゲストと東京付近在住の論者と相半ばというところか。
昨晩、亀井文夫『世界は恐怖する 死の灰の正体』(1957年)を観てきた。タイトルは直截で仕立ても科学映画なのだが、これがまあ何とも面白い。「日本のエコロジー運動の先駆者」とも紹介される亀井文夫、もちろん日本のドキュメンタリー映画の先達だが、福島県原町(現在の南相馬市)の出身であるそうだ。もちろんこの映画が作られた当時、まだ福島に原発はなかっただろう。それにしても、亀井の慧眼に驚く。日本の1950年代の放射能調査(1954年のビキニ環礁の水爆実験の影響調査である)・原爆後の影響調査の活発さにも驚くのだが、それを記録映画にするという視点。2011年に観ても十分に説得的である。

ところで明日9月19日は「さよなら原発」集会&デモの日である。13時半に明治公園に集結だ!(http://sayonara-nukes.org/2011/08/110919_s/)先の11日にはまだ@ウィーンで(ぜひとも日本にいたかったのだが、帰国便がとれなかった)参加できなかったので、今度こそはぜひ駆けつけたい。そういえば今朝、新聞を読んでいたらA新聞の投書欄に「敬老の日は孫のために脱原発集会に行く」(我孫子市、63歳女性)という投稿があって、ぶっとんだ。投稿欄を用いて微妙に宣伝?いやしかし、どこで何時からという記載がないのも、新聞社の意図かもしれない…


2011年9月19日

およそ6万人

本日の9・19「さよなら原発集会」@明治公園は、6万人の人出があり、警察も2万7千人出たそうだ。今しがた(ただいま21:15)NHKのニュースの中でもちょこっとだけ報道された。ふーん、やっぱノーベル賞作家大江さんは偉いのだなあー(テレビが取り上げたのは、ほとんど大江さんの演説してるところだけだ)。警察さんたちも、いつもより丁寧だった気がする。今日は当方も「すてきなお姉さん風」にしたいと思い、帽子に手作りのひまわりをつけて行ったが、デモ中は強風のため、ほぼずっと右図のように残念な感じになっていた… ちぇっ

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しかしすごかったのは千駄ヶ谷の駅だ。だいたい新宿駅から、黄色い花をもったおばさまたちやノボリをもったおじさんたち、それっぽいTシャツを着ている若者など、お仲間多数だったのだが、千駄ヶ谷に到着するも、電車があかない。「止まるところ、間違えたのかしらね?」などと話している人もいたが、実態は、ホームに人々がごった返し、それ以上の人をはき出すことが不可能だったのである!ようやく降りて、いきなりノロノロ行進が始まり、明治公園に到着するまでに、すでにデモをやっているような気分になった。もちろん明治公園は完全に満杯で入ることもできず、遠くで演説の切れ端を聴いて、すぐにデモ行進となる。デモ自体はいつも通り、というかいつもより少し穏やかな感じだったが、今日は何より、千駄ヶ谷にごった返していた老若男女の表情を忘れることができない。とにかくデモにいくのだ!という熱にこもる不安と決意。おそらくこれが、今の「民意」の実質であろう。ニューヨークあたりでペラペラ調子のいいことを言う政治家は、せめてその片鱗にでも耳を傾けてほしい。

2011年9月21日

研究合宿が中止に

本日から一泊で金沢入りし、教科書プロジェクトの研究会合宿の予定だったのだが、出かける前にメールチェックをしてみると、何と関西方面から北陸への電車がすべて運休で金沢入りできないとの連絡が!それでは仕方ないと朝の7:30からNニシヤさんのS氏と電話で相談し、合宿は延期となった。さっそくインターネットで飛行機の払い戻しをしてみると、「天候不良の欠航扱い」でキャンセルチャージもタダ。宿泊のほうは手配をしてくださったS先生にお任せしてしまったが、どうだっただろう?ともあれ、こうして今日明日の合宿は「なかったこと」になり、ぽっかりと2日間のフリーデイ! 

ここのところあまりに忙しく、カゼもなおらないまま全力疾走中みたいな感じだったので、金沢の「熱い」夜とホテルについた温泉(それかよ)の楽しみがなくなったのは残念とはいえ、ちょっとほっとした。午後遅くなるにつれ東京地方は文字通りの暴風域に入ったので、しっかり戸締りをしてウチにこもる(まー、原稿の続きをやっているだけなんだが)、というのがちょっとイイ感じであった。気晴らしに夕餉の買い物にでると、駅前に大きな人だかり、まさかと思ったがその時間、まさかのK王線も含め、首都圏のすべての電車が止まっていたのだった…出かけた先で足を奪われたみなさんには申し訳ないが、今日はぬくぬくと過ごしました… 。今日はシンデレラ時間で寝ちゃったりしようかなー。らら

2011年9月14日

酒井泰弘先生といえば

酒井泰弘先生といえば、当方がかつてゲーム理論をその御著作から学ばせていただいた先達のお一人である。またいつだったか忘れたが、筑波大学の先生をしていらした頃だろうか、リスクのことなどをテーマにしたものなど、講演か講義も拝聴した記憶がある。しばしば技術的側面に傾きがちなゲーム理論家とは異なり、お書きになったものもお話も、とてもわかりやすかった。その酒井先生が、下記の『社会思想史研究』最新号に、なんと拙著の書評を書いてくださったのである!

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本日、会議の合間に上記雑誌を「あー、できたんだー」とぱらぱらめくっていて、突然目が釘付けになった。…うわっ あんな読みにくい不出来な拙著を、す、すごい丁寧に読んでくださっている。いや、はや、過分なお言葉もいくつも頂戴している。そしてもちろん、これからの課題のとても的確なご指摘もー。これはまことに著者冥利に尽きる書評、報われるとはこういうことである。何度も読み返して、いただいた言葉を心におさめた。学会員ではいらっしゃらないようだが、できればひとこと、お礼のお手紙を書きたいと思っている。

2011年9月27日

豚は空を飛ぶ

9月も終わりに近づいているが、書店には相変わらず、さまざまなゲンパツ事故関連書籍が並んでいる。最近手に取った本から少しばかり―

菅野典雄『美しい村に放射能が降った:飯館村長・決断と覚悟の120日』(ワニブックスplus新書、2011年)
広河隆一『福島 原発と人びと』(岩波新書,、2011年)

一冊目は副題の示す通り、飯館村長の菅野さんが若妻たちをヨーロッパ研修に出したり合併を拒んだりしながら、大切に大切に飯舘村を作り上げてきた記録を、3.11以降の動向、「計画的避難区域」として移動することになるまでの経緯とともに書いたものだ。二冊目はご存じ広河さんによる3.11以降の事項の整理と実践を追ったもので、7月の506イベント「核と未来」でお話しいただいたことのエッセンスがきちっと書かれている。この本ではチェルノブイリの実例を参照しながら、おもに福島を論じているところが、ちょうど前著『暴走する原発』と逆のバランスというところだろうか。両氏はそれぞれの立場から喫緊の課題と今後のあり方を論じており、もちろんスタンスに違いもあるが、福島を考えるのに必読の二冊であろう。

今日のブログのタイトルは、「までい」にしようかと思っていた:左右にそろった手を意味する真手(まて)の方言で、丁寧に、大事に、思いやりをもってを意味するという「までい」が、「スローライフって、までい、ってごどなんじゃねーべか」!という、ある村民のどんぴしゃりのつぶやきから、飯舘村の美しき看板になったというお話し、いまや日本中(あるいは世界の各地で?)有名かもしれないが、拙ブログにも書き残しておきたかったのだ。までいな飯舘村は、飯野町に避難しつつもしっかりと今後を見つめている。
 しかし広河さんの本の中に出てきた、ヨーロッパのあるチェルノブイリ被ばく地域にあったというポスター、豚が空を飛んでいる絵に「地球は平らだ。原発は安全だ。豚は空を飛ぶ」とキャプションがついていたというお話しがおもしろすぎた。もちろん誤った情報への風刺だが、本全体のタイトルにしてもいいほどのパンチ力である。岩波新書の編集様には「却下!」なネタかもしれないが。ぶひっ 何というか、その絵を想像してしまって…

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