この間、海外の友人や仕事仲間から「生きてるか?」とか「早く脱出して来い」とか「飛行機の券を送ろうか?」などのありがたく暖かいメールや電話をもらっている。海外メディアがこぞってこのたびの地震のことを、そしてまた原発事故と放射能汚染のことを厳しく取り上げているからである。思いがけず旧交を温めたりする。今日も大学での諸会議(土曜なんだが)の合間にそんな話しとなり、「いや40歳以降は代謝が遅くなるから大丈夫」という誰かの言葉に、ひきつった笑いがもれた。
冗談抜きで、若い人は可能な限り、少しでも遠くへ行くに越したことはない。そして当方はとりあえずどこかへ避難する予定はなく、この場所で必要なことを考えながら、いつものように暮らすだけである(といってもどこかで動物的感覚の疲れがあり(余震もあるしなー)、いつものようにはできないのだが)。紛争やジェノサイド、災害などをきっかけとした国内避難民の問題、強制移住のこと、そして核の問題はこれまでも考えてきたが、またアイスランドが金融危機と国家危機の時代に火山爆発に見舞われた事例を昨今もっぱら調べていたが、ここ一週間あまりの現実との重なりが改めて問い直しを迫ってくる。TV画面の中で「地震でひどい状態になってしまったけれど、ずっとここで暮らしてきたから、やっぱりここがいい」という人の言葉が、ズシンと響く。「この場所で生きる」ことと命の重みのせめぎ合いである。
ところでグンナル監督は、バンコクから地震直後に「みんな大丈夫か?僕の心は君たちと共にある」とメッセージをくれたが、来週、大事をとって東京を経由せずにレイキャビクへ戻る予定である。残念だが、もちろん安全第一である。ふたたび来日することがあったら、KARAOKEで再会を祝いたい。達者でなー!