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2011年3月 アーカイブ

2011年3月 1日

認知資本主義?

拙ブログ前項の「若者たち」のひとりのY介君からメールが来て、「パリのあの晩のレストランを手配してくれたのはS君です」とのこと。たいへん失礼いたしました。謹んで訂正させていただきます。S君Y介君あらためてありがとうございました。

ところでその出張直前に出した原稿が形になった。
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ちょうど出張中にゲラの〆切日があり、はるばるパリのホテルまでゲラをファックスで送っていただいた。思えば昨年夏、ドラッカーに関する論考を書いたときにも、ボルドーのホテルにゲラを送っていただいたのであった;某現代思想さんから依頼をいただくことはそうそうなく、また当方が海外出張をするのもそうそうあるわけではないのだが、申し訳ないことに偶然が重なってしまった;ごめんなさいー。拙稿の内容はもちろん「アイスランドの破産」である。しかし「認知資本主義」の特集に?もちろん関係はあるのだが、どうも浮いているようでハヅカシイ; 

2011年3月 3日

グンナル監督、来日!

そうこうするうちに3月3日となり、アイスランドからグンナル監督が到着した。早起きして成田まで迎えに行ってくれたK平君、ありがとうー!!506付近では午前中からモガンベンが書類作業、T君と当方で資料を印刷センターから運んだりしたが、その後午後早くに都内某所のホテルにて西谷ボスと当方でお迎えした。長旅で少々お疲れだったものの、口を開けばいつものグンナル・パワー全開!「それぞれの国にはそれぞれの愚かさがある」という話で西谷ボスと盛り上がっていた;

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ホテルのロビーには美しく立派なお雛様が飾ってあって、お迎えに華を添えてくれた(雛段は写真よりずっとたくさんありましたが)。グンナル監督、ご家庭ではお嬢さんたちのパパだそうである。

2011年3月10日

グンナル監督の日本滞在

さて3日に来日した監督、4日には6日シンポジウムの準備でごった返す506室にいらしていただき、ゼミ生諸氏と会合していただいた。突然の来訪にとまどった人もいたかもしれないが、すでにアイスランド語学習の本を仕入れて予習してあった(!?)L君のように周到な人もいて、実り多い来訪となった(はず)。(当日会場にはる→マークなど作業中の手元に注目を;)

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この日は西谷ボスのお誕生日だったので、みんなでお祝いのアップルパイをいただきました!その間、なぜかL君のアイスランド語教本と格闘するグンナル監督…

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5日(土)は準備ができないためすべての準備を片づけ、終わったのは何と20時過ぎ。完全にヘトヘトの廊下ショット(心霊写真ではないぞよ)。もちろんグンナル監督はずっと早くにお帰りですー。

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5日(土)は新宿の某レストランにてシンポジウム・ゲストのお顔合わせ&うち合わせ会合です。残念ながら伊藤先生は御欠席でしたが、その他のゲストのみなさま、字幕プロジェクトのメンバー(といっても重複しているのだが)、アテンドK平君&ボスでいろいろ踏み込んだ話しをいたしました;
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そして6日はシンポジウム本番!当日の様子は拙HPにもアップしましたが、内容については西谷ボスのブログをぜひご参照ください。
/blog/ts/p/gsl/2011/03/post_64.html

で7日(月)は後片付けに奔走 -雪の降った寒ーい日でしたねー、写真や映像などのデータ処理、書類ワークなどなど。丸一日かかりました。RAのモガンベン(この日彼には博士課程の1年目の審査もあり…ごめんよー)の協力に感謝です!

そして8日はこおおーべえー(えっ 「そして神戸」のメロディー知らないって?)。これも拙HPに載せましたが、充実のセミナーでした。監督を囲むお食事会はお昼に設定していただいたため(土佐先生ありがとうございました)、セミナー後はなんと一路、淡路島へっ!!応援に駆けつけてくれた淡路島出身のT君と三宮バスターミナルで待ち合わせ、およそ1時間半で終点、洲本バスターミナルまで。島からいらした方を島にご案内ってどうなんだろうと思っておりましたが、グンナル監督、かなりお疲れのところ海を見てすっかり元気を取り戻したみたいです。よかった!

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お食事はT君のご実家の「まる万」(御鮨屋)さんにて、海から獲れたての幸の数々の素晴らしいお御馳走をチョー破格でいただきました!ただグンナル監督が生ものを食べられないのが残念でしたー(いや私がその分まで…たはは)。海の民もいろいろですねー。みなさんも淡路島にいらっしゃったらぜひ、洲本の「まる万」さんに行ってみてくださいね。地元のおいしいものをいただけること、間違いなしです!

翌日は洲本の資料館を見学したり、いざなぎいざなみ神話の発祥の神社、震災記念館などを訪れました。おいそがしいところを車で連れて行って下さったTくんのご両親様にこれまたすっかりお世話になってしまい、まことに恐縮です;このお礼はいつかきっと…
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そんなわけで、とても充実した日本滞在になったようです。9日晩は東京駅で迎えてくれた西谷ボスと食事しつつあれこれ話をした後、グンナル監督はとても満足なさって次の仕事の地、バンコクへと旅立たれましたー。よかったわーん。グンナル・ウィーク無事終了です!監督はバンコクでの仕事の後、一度東京に戻ってからアイスランドに帰国する予定ですが、その時にはKARAOKEに行きたいとのこと。そういえば映画『コールドフィーバー』には日本のカラオケのシーンがあったのだ… くおお

2011年3月17日

情報掲載

拙ブログを訪れてくださる方の多くは拙HPから来ていただくので蛇足かもしれませんが、放射能汚染と被爆に関する若干の情報をHPに載せました。西谷ボスのブログで触れられている諸参考文献やGSL(グローバルスタディーズラボラトリー)の企画で取り上げてきた諸資料などと補完し合う、ここ数日に示された声明などです。ご参考になさってください。パニックにならないためにも知識を!

2011年3月19日

「この場所で生きる」こと

この間、海外の友人や仕事仲間から「生きてるか?」とか「早く脱出して来い」とか「飛行機の券を送ろうか?」などのありがたく暖かいメールや電話をもらっている。海外メディアがこぞってこのたびの地震のことを、そしてまた原発事故と放射能汚染のことを厳しく取り上げているからである。思いがけず旧交を温めたりする。今日も大学での諸会議(土曜なんだが)の合間にそんな話しとなり、「いや40歳以降は代謝が遅くなるから大丈夫」という誰かの言葉に、ひきつった笑いがもれた。
 
 冗談抜きで、若い人は可能な限り、少しでも遠くへ行くに越したことはない。そして当方はとりあえずどこかへ避難する予定はなく、この場所で必要なことを考えながら、いつものように暮らすだけである(といってもどこかで動物的感覚の疲れがあり(余震もあるしなー)、いつものようにはできないのだが)。紛争やジェノサイド、災害などをきっかけとした国内避難民の問題、強制移住のこと、そして核の問題はこれまでも考えてきたが、またアイスランドが金融危機と国家危機の時代に火山爆発に見舞われた事例を昨今もっぱら調べていたが、ここ一週間あまりの現実との重なりが改めて問い直しを迫ってくる。TV画面の中で「地震でひどい状態になってしまったけれど、ずっとここで暮らしてきたから、やっぱりここがいい」という人の言葉が、ズシンと響く。「この場所で生きる」ことと命の重みのせめぎ合いである。

 ところでグンナル監督は、バンコクから地震直後に「みんな大丈夫か?僕の心は君たちと共にある」とメッセージをくれたが、来週、大事をとって東京を経由せずにレイキャビクへ戻る予定である。残念だが、もちろん安全第一である。ふたたび来日することがあったら、KARAOKEで再会を祝いたい。達者でなー!

2011年3月27日

春遠からじ

異常に寒い3月下旬のトーキョーである。毎日ぐらぐらと余震が続く。が、明日28日からは大阪・摂南大学でPM(ポスト・マルクス)研究会が開催され、初日の第2セッションでは昨年出した拙著を立命館大のS山先生がコメントしてくださるという。拙著は今や考えるだけでキューっと胃が痛くなる(ホントに)未熟なものだが、ありがたいことなので出かけていく。まー拙著はともかく、「核の経済的次元」のテーマなどは今、まさに議論したいところである。
 それでも翌日朝には急いで帰ってくる予定である。29日は卒業・修了の学位授与式だ。学外の大きなホールで行う正式の式典は中止となって学内(といっても@アゴラ・グローバル(ガッコウのタームでいえば講堂ってとこか)。いつ見ても変な名前;)でこじんまりとやるらしい。506付近のゼミ生諸氏のために、今年も晩にはささやかなお祝い会を行うことにした。旅立ちの日を迎えるみなさんも、送るみなさんも、久しぶりに少しおしゃべりなどして、活力を得てほしいと思っている。冬来たりなば春遠からじ!である。

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