アリギの訃報
作品社の内田さんから「アリギが亡くなった」というご連絡をいただいた。D.ハーヴェイからメールが来たそうである。たしかに調べてみると、先月(6月)18日に亡くなったようだ。これで『北京のアダム・スミス』は最後の著作になり、昨年、翻訳の件でお世話になりますとやり取りした一往復のメールが、当方にとってのアリギとの唯一のやり取りになってしまった。とても残念だが、ともあれ冥福を祈りたい。
作品社の内田さんから「アリギが亡くなった」というご連絡をいただいた。D.ハーヴェイからメールが来たそうである。たしかに調べてみると、先月(6月)18日に亡くなったようだ。これで『北京のアダム・スミス』は最後の著作になり、昨年、翻訳の件でお世話になりますとやり取りした一往復のメールが、当方にとってのアリギとの唯一のやり取りになってしまった。とても残念だが、ともあれ冥福を祈りたい。
遅ればせながら「グラントリノ」を観た。観た人々の勧めにも関わらず、なかなか忙しくて行けずにいたのだが、先日授業で「都市」のハナシをしたときのコメントシートに、「都市と移民」の視点からグラントリノを分析したものがあって、これはいかん、観なければ!となったワケだ。(あと、「愛を読む人」のコメントもあったな。でもこちらは原作を読んでいるし、始まったばかりなので、まだ余裕)
で、グラントリノ、たいそう面白かったです(ていうか、けっこう滂沱)。コメントくれたひとに感謝ー。都市と移民、社会的排除と包摂みたいなテーマもばっちり入っていて、よくできている。しかしそれと同じぐらい印象に残ったのは、主人公が朝鮮戦争で人を殺したという戦争の影をひきずってその後を生きている、という設定である。ことの本質を突く悪態とバリバリの差別意識でひとびとから疎んじられつつ、「戦場ではとっさの判断が重要だ」、「戦場に警察は来てくれない」と言い、たくさんの工具を貯えて、何でも直して暮らす主人公にとって、日常は今なお戦場の延長線上にある。
実は当方が2006年夏から7か月ウィーンに滞在したときに住んだ古い館の大家が、まさにこのタイプであった。当時80歳ぐらいだったから、かれの場合は第二次世界大戦だろう。100年を越えるという館を何ら改築せず、階段の脇や廊下じゅうには古い家具や部品を積み上げて、部屋の中も年代物の家具ばかりだった(ただしほとんどすべての部屋にグランドピアノがあり、住人の多くは音楽家や画家)。このおやじさんと、よくよもやま話をした。グラントリノの主人公と同じく、人々からは変わり者と思われていたが、ひととして大事なところはおそらくはずしておらず、忘れ難い人物だった。ただ、戦争はそれを経験したひとびとに、拭い去ることのできない影を残す。そのことも含めて、鮮烈な思い出である。
昨日(7月17日)午後14:00- 大東文化大の中村宗悦さんが佐藤方宣編『ビジネス倫理の論じ方』(当方も第7章、書きました)の合評会を企画してくださったので、初めて大東文化大(板橋キャンパス)にお邪魔してみましたー。福間聡さん、馬場靖雄さんのお二人からコメントをいただき、大東文化大の社会学や経営学の先生方、学史学会の方々なども(遠方からも!)いらしてくださり、なかなか大きな会合であった。また、本を書く間、何度も会合し議論をした面々、ナカニシヤ出版の編集の酒井さんとも久しぶりに会えて、楽しかった!
議論のなかで出てきたハナシだが、タイトルが「経済倫理」ではなく「ビジネス倫理」であるために、ビジネス書を手に取る人の目にもそこそこ触れているらしい。実際、ビジネスマンはこの本をどう読むのだろうか。そういう会合ができたら、おもしろいだろうなと思った。わかりにくいとか、役立たないとか、きっと評価はさんざんだろうが…
外大大学院の連携講座の先生としてかつてお出ましいただいた鎮目雅人先生が、御著作を出された。『世界恐慌と経済政策』である。表紙がなんとなくかわいらしいと思ったが、これはレトロの雰囲気を狙ったとの著者の言。ナルホド。
実は当時の修士課程の鎮目ゼミ出身者が母体となり、その後も鎮目先生を囲むインフォーマルな研究会が続いており、当方も何度かお邪魔させていただいた。今度もその関係者から、「お祝いの会をしたい」と声をかけていただいたので、これにのって合評会を企画した。8月28日(金)18:30-20:00@本郷サテライト7階である。コメンテーターには先日お目にかかった大東文化大学の中村宗悦先生にお願いし、ご快諾いただいた。夏休み真っ只中の時期であるが、よい会になればと願っている。(ちなみに、これをみて御参加予定の方は、中山までご一報くださいませー。ただし他で参加表明されている方は、そちらでOKですー)。
先週は特別授業の講演会などもあってバタバタと過ぎたが、もう一つの大きな出来事が旧国際協力講座のボス西谷修教授の帰国であった。ナント(フランス)での6か月滞在を終えて、お元気そうである。さっそく論文指導などが再開されて、当方がお預かりしていた院生さんたちも一安心というところだろうか。