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2022年9月 アーカイブ

2022年9月 9日

nil phonation

音声学が主要な研究分野ではなく、また朝鮮語学も主要な研究分野ではない私が、朝鮮語音声学と、調音音声学に関する覚書を書きます。

既に、英語圏、朝鮮語圏、あるいは日本語圏その他ですでになされている議論である可能性はあります。その場合には、「素人がイキリやがって」とご笑覧ください。

1. nil phonation

私が大学院生だったとき、同じ大学の文学部の学生は、文学が専攻の学生であっても、音声学をも含んだ言語学概論を必修で取ることになっていました。

その学部の授業に私も出るように言われて出ていたのですが、nil phonationを説明せよ的な問題が期末試験に出て、大層な話題になっていたことがありました。

以下は、学術書からではなく、カナダ、ブリティッシュ・コロンビア州のサイモンフレーザー大学のどなたかの授業用ハンドアウトだと思います。

(nil phonationを検索するのも面倒くさくなりました。lalanoiというミュージシャンが、nil phonationという楽曲を出していて、そればかり引っ掛かります。なので、グーグル検索では-lalanoiにしないと出てきません。)

http://www.sfu.ca/~mcrobbie/Ling401/Lecture%201%20.pdf (2022.9.9閲覧)

このセンセーは、nil phonation(ゼロ発声)とは、左右の声帯が左右に広がって、呼気によって声門においてturbulenceが発生しない状態か、あるいは、閉じている状態かのいずれかだと書いています。

閉じていれば、確かに発声(phonation)はありません。

また、声門が左右に広がっているときに、turbulenceが発生するか否かは、呼気の量と、声門の断面積によると書いています。(turbulenceが聞かれる場合には発声があることになり、ゼロ発声にはなりません。)

この声門が「閉じている」状態と、「パッカーンと開いている」状態とは、国際音声記号で書き分けないことも多く、用意されている補助記号にも、それらを区別するためのものはありません。

英語版のウィキペディアのPhonationの項目を見てみます。

https://en.wikipedia.org/wiki/Phonation (2022.9.9閲覧)

State of glottisという節の3つ目の表に、それらを書き分ける1つのやり方が示されています。

その表の一番上と一番下に、どちらもnil phonationと呼ばれることがあった状態が記述されています。因みに、このウィキペディアの項目ではnil phonationとは最早呼んでいません。

Open glottis [t] voiceless (full air stream)
【中略】
Closed glottis [ʔ͡t] glottal closure (blocked airstream)

最初のリンクの声門がパッカーンと開いた状態がopen glottisで、閉じている状態がclosed glottisですね。

朝鮮語との絡みで言うと、激音ㅌはcpen glottis [t] voiceless (full air stream)と言うことになり、濃音ㄸはclosed glottis [ʔ͡t] glottal closure (blocked airstream)と言うことになりそうです。濃音の音声表記に、いつも声門破裂音との同時調音を書くのは骨が折れますし、見やすくありませんし、朝鮮語の語学教育の現場では、先生方がそれぞれに工夫していらっしゃるようにお見受けします。

以前にブログで書いたように、語頭あるいは接語句頭に激音あるいは濃音、さらにはs、hがあるときには、高声調始まりになり、その他の平音のときには、低声調始まりになります。

平音字のㄷは、語頭・接語句頭では、低声調始まりの[t]になります。それ以外の音節頭では、濃音(あるいは別な理由で激音)になる理由が無ければ(説明を簡略化しています)、有声の[d]となります。

語頭・接語句頭の低始まりの平音ㄷ[t]と、語頭・接語句頭の高始まりの激音ㅌ[t]は、後続母音のF0でも区別できるし、VOTの区別は必須ではないが、はっきりと区別するのなら、ㅌ[t]の方がVOTがプラス方向により大きい値になると思われます。

以上、朝鮮語音声学を専門にしている人には、「何を今更」と言うことでしょうし、専門用語をそれなりに使っているので、朝鮮語・韓国語を語学で学んでいる人には、何の足しにもならない記事でした。

他方、調音音声学方面に向けては、closed glottis [ʔ͡t] glottal closure (blocked airstream)を、IPAでもうちょっと書きやすくしていただけると吉ではないかと思われます。放出音には記号が与えられていますが、コレも書きやすくなると、便利なのじゃないかと思われます。補助記号を1つ(closed glottis用に)あるいは2つ(さらにopen glottis用に)作ってくださると、便利ではないかと思われます。

ところで、無声破裂音が、closed glottis, glottal closure (blocked airstream)になりがちな言語なり方言なりってありますよね。fortis/lenisのfortisで記述されたりすることもあるかと思いますが。

大陸の中国語普通話と、台湾国語の無声無気音の違いって、この辺りの違いも関係あるのではないか?と大胆なことを言ったりして。(中国語音声学が専門の方、フォローなり反駁なりしてください。)

また、沖縄県でウチナーヤマトゥグチを話す人たちの中にも、無声音をclosed glottis, glottal closure (blocked airstream)で発音しがちな人がいるように観察しています。琉球放送の仲村美涼アナウンサーが「多良川」と言うときの初頭音がそのように聞こえます。

沖縄本島南部では、奄美群島の一部の言語や与那国語とは違って、open/closed glottisは、元々のウチナーグチでも、区別していなかったと思いますけど。なので、そこがclosed glottisになった経緯は分かりません。

沖縄のサッチーさん

ラジオ沖縄、日曜日23:30からの「にちようびのグルーヴ」のED曲を歌うサッチーさん。とにかく情報が少ない!

探し方が悪いのかもしれないけど、youtubeにもspotifyにも音源が無い!

「にちようびのグルーヴ」のED曲の最後はこう終わります。(聞きたかったら、是非radikoで過去の放送分を探すか、日曜日の23:30にラジオ沖縄でリアルタイムで聞いてください。)

Broken American、Broken Japanese だから仕方無いでしょ Broken Okinawan Broken American、Broken Japanese そして少しだけ残ったBroken Okinawan 一度は捨てた 今頃love song

21世紀は、世界の少数言語の受難の世紀と言われています。20世紀に話されていた言語の95%、あるいはそれ以上が喋られなくなり、この世から消えてなくなると言われています。

「日本語も危ないの?」と思ったあなた。日本語も将来的には危なくなる可能性ありますけどね。世界の言語って、数百言語しかないわけではなく、6千言語とも7千言語ともあったと言われています。それが、どんどん大言語に飲み込まれて消え去ろうとしています。その中で95%が無くなると言った場合には、日本語は残る側にあります。でももっと先のことはわかりません。

「そんな、話し手だけに、責任を負わせないでよ」

それはごもっともです。世界各地の学校で、少数言語や、方言を使うことが罰せられたりもしてきました。親も、「子供の将来のためを思って」少数言語や、方言ではなく、その国、地域の大言語だけを子供に伝えると言うことをしたのです。

このED曲は、沖縄本島南部の人たちが、ウチナーグチを失いかけていて、東京共通語とも意思疎通が大体できるウチナーヤマトゥグチに乗り換えざるを得なかったことを自嘲気味に歌っています。

でも、音源が無いのです。(にちようびのグルーヴの録音はあります。でも、アナウンスなどが被っている。)

サッチーさん、山城智という名前でもお出になっていたことがあるようです。
http://asylum-okinawa.info/?page_id=3373

サッチーこと山城智さんのお写真も見つけました。
https://civtmmbt.ti-da.net/e3169009.html

別な歌のyoutubeは見つけました。
https://www.youtube.com/watch?v=4BY3-RjgD-c

勢理客(じっちゃく)にあるGrooveかどこかでのライブを見つけて、フットワークよく沖縄に行ってみるしか無いですかねえ。
https://twitter.com/groove_gacha

ことば6題

1. ださせていただいたり

これは割と最近よく聞きます。巷で大きな話題になっている「させていただく」が、「出る」についています。2022.7.8のJ-Wave, Sapporo Beer Otoajitoで、東京出身の20代前半のゲストAile The Shotaが、「こういうラジオとかに出(だ)させていただいたり」と言っています。「させていただく」を取り除くと、「出(で)る」が残る筈なので、正しくは「出(で)させていただいたり」あるいは、「出(だ)していただいたり」が、従来からの正解かな?とは思うのですが、「させ」という使役の接尾辞があることもあり、その前が「出る」か「出す」かという、自動詞か他動詞かというのは、曖昧にしていても通じてしまうということなのでしょうか。

同様のことですが、2022.9.6、TBSラジオふわっち presents らじおっつで、カカロニ
の栗谷が「ロンドンハーツに出(だ)さしてもらいましたね」と言っています。

これは、「他動詞を使役派生しても、結合価が増えないことがある」っていう現象なのか、それとも、いわゆる「サ入れ言葉(読まさせていただきます)」に連なるものなのか。もっと観察して、例を集めなければなりません。というか、なんだか定着していますね。

2. 愛媛のを(wo)

ちょっと前に、愛媛の人は、助詞の「を」をwoと発音するというのが話題になっていました。

https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2208/17/news157.html

それより数ヶ月前に、言語学徒の間でも、古文のoとwoの区別を保っているというわけではないが、「ワ行」で、wを発音するのが、「ワ」だけで、母音がaではないときには発音しないというのが、長いこと東京共通語の規範となってきていた。しかし最近だと外来語でウォーターなど、wôtâと発音する個人も増えてきて、外来語じゃなくても、woを発音する個人が出てくることは、驚くべきことではないという話になっていました。

言語学徒がもっと喜びがちなのは、古文で「お」、「を」と書き分けられていたものが、現代でも発音しわけられている!なんてことがあった場合です。因みに、沖縄の諸言語の中にはその区別を(別な形にはなっているかもしれないが)保っている言語があります。

話題になった愛媛のそれは、現代仮名遣いで「を」と書かれる助詞の「を」だけに限った現象で、「いとをかし」の「を」もwoと発音するわけではないので、そこまでは面白く無いのです。研究者って、つまらなくてすんません。

3. J-Wave, Musix Asia

J-WaveのMusix Asiaという番組で、番組のオープニングのところで、アジア諸国の名前を英語風に並べていくのですが、なんか変なのです。何が変かというと、英語での国名と違うものを、もっというと日本語のカタカナで書いた国名を、英語風に発音しているのです。(国際音声記号ではなく、日本の英語教育で使われている発音記号風に書きます。)

韓国 [kɔ́ːriə] (英語では[kəríːə])
モンゴル [mɔŋǵoul](英語では[mɑŋǵouliə])
タイ [tái](英語では[táilænd])

特に、韓国なのですが、私の推測は、カタカナで「コリア」と書いたときに、後ろから3番目の拍に自然とアクセント核が付与されて、「コリア H]LL」となるのが、日本語の外来語のアクセント規則の合致しているのではないかと思うのです。それが、アクセントごと英語に「逆輸出」されると、[kɔ́ːriə]という発音になるのでは無いかと推測しています。

ただ、形容詞形は、カタカナ語では、「コリアン LH]LL」と、やっぱり後ろからあ3番目にアクセント核が付与されることが多いように思いますが、「コリア H]LL」のバリエーション、「コーリア HH]LL」から、「コーリアン HH]LLL」とし、和式英語の中で、[kɔ́ːriən]と発音する人も耳にすることがあります。

4. 復帰っ子

沖縄が、本土に復帰した1972年に生まれた子供を、沖縄では「復帰っ子」と呼ぶらしいのですが、これが、なかなかエキゾチックに響くなあ、とちょっと感じました。促音を持つ音節が2つ続くということが、結構すくないからなのではないか?というのがひとまずの推測です。

横浜中華街の萬珍樓に、以前お粥の専門店、薬粥舗(よっちょっぽ)というのがあったのだそうです。そのテレビCMを見て聞いて、「よっちょっぽ」という名前がエキゾチックだなあと、確か子供の時の私は思ったことを覚えています。音素配列論的に、何か不規則なことをしているわけでは無いんだけれど、日本語の中では、促音を含んだ音節は2つ並んだりは、あんまりしないということなのかと、今では考えています。

韓国料理に、トッポッキという食べ物がありますが、これも、日本語内ではよくトッポギと呼ばれています。

https://chongul.com/korean-food-toppogi/

これはまさに、促音を含む音節が2つ並ぶことを回避したのではないかと思うのです。(韓国、北朝鮮、延辺の方言形にあるというのなら、私の憶測は間違っていることになりますが。)

5. ミノキシジル

男性型脱毛症(AGA)の治療薬の1つにミノキシジルという成分があります。複合語と認識されない外来語としては、後ろから3つ目の拍にアクセント核が付与される、ミノキシジル (LHHH]LL)となりそうなのですが、ミノキシジルを含有した某治療薬あるいは医薬部外品のラジオCMで、ナレーターがミノキシジル (LHHHH]L)と発音しています。これは、ジルを汁と同定しちゃったのでは無いか?と訝しんでいます。ステーションがステン所になるのと同じようなプロセスを経た感じですね。

6. gråtrunka

英語ベースのネット界隈で、1、2ヶ月前に、スウェーデン語にはgråtrunka (to cry while masturbating、自慰中に泣く)という単語があると話題になっていました。

https://www.dictionary.com/e/translations/gratrunka/

それだったら、日本語の(実際に起こるかどうかも疑わしい)テクノブレイクの方が数段斜め上を行っている感じがしますけどねw

2022年9月15日

ヘイトクライムとしてのLGBTQ+排除・加害

異民族、異なった民族の出自の人々に対するヘイトクライムに関する投稿などがありました。

https://twitter.com/keisatojapan/status/1552506870073794560?s=21&t=TOBmlaGGo4Xv3CmO7BmPKQ

ここに、「憎悪のピラミッド」という図がありますが、これってそのままLGBTQ+に対するヘイト、それも特に宗教によるヘイトにもそのまま当てはまると思うのです。

当該の宗教に来るLGBTQ+の排除、特定の権利の制限は、下から3番目の差別行為だし、コンバージョンセラピーの強要は、下から4番目の暴力行為に当たります。

イランなどでの死刑は、一番上の抹殺に当たります。(ジェノサイドというのは、民族集団に対する固有の用語なので使えません。)

細かい状況、条件などは、LGBTQ+と民族とで違いもあると思いますが、構造的にはものすごく似ています。

社会、集団の多数派によって、ある少数者集団が「他者化」され、排除され、場合によっては、物理的、言語的暴力を浴びせかけられる。

キリスト教に限って言えば、それって、四福音書の中のイエスがしていたことですか?と問いたい。イエスはむしろ、社会から排除されがちな人々、社会の中で小さくされた人々に寄り添いませんでしたか?

「聖書に罪と書いてあるから」、それは、他者を断罪することを正当化するのに使うことはできません。罪とは、自分自身が認め、告解など神との対話の中で軌道修正するためのツールです。他者を審くためのものではありません。審判することができるのは独りイエス・キリストだけです。

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民族とLGBTQ+は、違いはあるのですが、いろいろ考える材料にはなると思います。

先のツイートの中に張られていたリンクを張っておきます。

https://gjhr.net/2022/05/05/93/

https://gjhr.net/wp-content/uploads/2022/05/5d16ec3219a7571182e1c08cc27c7500.pdf

「民族」と、「LGBTQ+/SOGI」との違いに気をつけながら読むと、何か気付きが与えられるかもしれません。どうぞお試しを。

2022年9月20日

キリスト教徒に必要な仏教の教え(笑)

表紙のお坊さんというか、お坊さんに扮したモデルさんが好きでキープしていた仏教のフリーペーパーを何の気なしに見ていました。(煩悩の塊です。ごめんなさい)そうしたら、刺さる言葉がありました。(笑)

お坊さんが、妻や彼女さんと喧嘩することがあるのか?という編集部からの質問に対する答えだったのですが、

鎌倉時代のお坊さんで、道元禅師(曹洞宗の開祖)という方がいらっしゃって、その方が「自分が善人だと思っている人ばかりの家には争いごとが絶えない。でも逆に、自分は悪人だと思っている人ばかりの家には争いごとが起こらない(善人の家に争いごと絶えず、悪人の家に争いごとなし)とおっしゃっていて、

ケンカになるときって、お互いが「自分が正しい」と思ってしまってると思うんですよね。つまり、自分が正しくて、相手が間違っている。自分が善人で、相手が悪人となると、相手を否定するしかなくなる。でも逆に、自分が「悪人」だと思えていたら、相手を思いやることができると思うし、そうなると喉元まで来ていた、相手を責める言葉もスッとおなかに戻っていく、ということもあるだろうなと思うんです、でもこれが、なかなか難しいですけどね。(対談の中の若林唯人の言葉 in「フリースタイルな僧侶たち vol. 41」4ページ https://freemonk.net/magazine/vol-41/

同性愛者や他のSOGIを攻撃するキリスト教の教役者・信徒vs. SOGI当事者というのは、抑圧する側vs.抑圧される側ということで、非対称的なので、ただのふうふ、恋人の間のケンカとは違う、社会的な不均衡な力関係にはあるのですが、

キリスト教会at largeは、まさに「善人の家」と化しているように思います。(もちろん伝統的反社集団にも争いはあると思うので、そう単純ではないでしょうが。)口先では、「罪人である私をお赦しください」的な言葉を吐くのですが、それは枕詞的な無意味な言葉に成り下がっています。他方、攻撃しやすい対象を見つけると、「そうは言っても、我々よりはあいつらの方がもっと罪人だ」と思って、コテンパンに、それも喜び勇んで叩きのめさないと気が済まなくなっている感があります。

悪人と言わずとも、自分は罪人(あるいは罪を犯しやすい存在)だっていう意識はキリスト教徒にはあるはずであるし、まさに社会的な弱者、少数者をコテンパンにのめすというのは罪以外の何ものでもないので、一旦原点に戻った方がいいという面もあるのではないか?と思いました。

聖書からの引用ではないので、これはスッと入っていかない人も多いでしょうかね。(笑)

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