« 2022年1月 | メイン | 2022年3月 »

2022年2月 アーカイブ

2022年2月17日

韓国語(朝鮮語)のトーンに関して

Duolingoという語学学習アプリで、韓国語とそのほかいくつかの言語をブラッシュアップしたり、新たに学びはじめたりしているのですが、

そのうちに、韓国語の単語レベルで、トーンが発生しているように思えてきました。

まあ、朝鮮語学の門外漢であるので、先行研究など知る由も無く。

でも、探すとありますね。

カン・ユンジョン(Kang, Yoonjung) (2013), "Tonogenesis in early Contemporary Seoul Korean: A longitudinal case study" (現代韓国語ソウル方言におけるトーンの発生: 経年変化観察), _Lingua_, Vol. 134, pp. 62-74
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0024384113001344

この論文によると、トーンの出現は20世紀前半には始まっていて、それが現代でもっと確固としたものとなっているということを、1935年に録音された資料と、それを録音した同じ人を現代で探し当て発音してもらうことによって確認したものです。

いわく、語頭の激音(aspirated 有標的に無声有気な子音)と語頭の平音(lenis 無声無気な子音(とはいえ、VOTはゼロではなく、どちらかというとプラス))の差が、有気性よりも、後続母音のF0(周波数、ピッチ、高さ)によって区別されており、その度合いが、1935年と、21世紀でますます強くなってきているということです。

整理すると、激音で始まる音節と、平音で始まる音節は、元来VOTの違い(閉鎖音の破裂後、母音の声の始まるまでの時間)の違いで区別されていたものが、段々と激音音節は高いピッチ(高い周波数のF0)で発音されるようになり平音音節は低いピッチ(低い周波数のF0)で発音されるようになってきたということです。

その激音[+有気]と、平音[-有気]の対立が完璧に中和したとまでは言っていません。

ただ、激音[+有気]には、余剰素性として[+高音調]、平音[-有気]には余剰素性として[-高音調]というものが加わってきたようです。

ここで将来、弁別素性の[±有気]と、余剰素性[±高音調]が入れ替わって、弁別素性[±高音調]と余剰素性[±有気]となり、さらには[±有気]の差が観察されなくなってくれば、トーン(声調)が確立して、子音単体としての激音と平音の区別がなくなったことになります。

--

まだそこまでは来ていないのかも知れません。ところで、私がちょっと朝鮮語を齧った数十年前には教材に、上で書いたようなことが反映されることはなかったと思いますが、NHKラジオ まいにちハングル講座2021年4月号では、最初っから、ピッチパターンが指導されています。おそらくこのテキストを書いているのは筆頭の講師、山崎亜希子でしょう。(このテキストの存在は西田にご教示いただきました。)これは初級テキストなので、背後の論文にまでは辿り着けるものとはなっていません。それはし方がないのですが、山崎によると(上記テキストの68, 69ページ):

単語の最初の抑揚(オギャン)に2つのパターンがあって、初頭子音が

   ㅁ (m), ㄴ (n), ㅇ (子音なし), ㄹ (l)
平音 ㅂ (p), ㄷ (t), ㄱ (k), ㅈ (c)

の時には最初の2音節が「ひくなか(LM, ˩˧)」で始まって、初頭子音が

激音 ㅍ (pʰ), ㅌ (tʰ), ㅋ (kʰ), ㅊ (cʰ)
濃音 ㅃ (pp) , ㄸ (tt), ㄲ (kk), ㅉ (cc)
摩擦音 ㅅ (s), ㅆ (ss), ㅎ (h)

の時には最初の2音節が「たかたか(HH, ˥˥)」で始まるとの説明になっています。

ここで、子音本体のVOTの対立が無くなる可能性があるのは、上の平音と激音ですが、山崎もそこまでは言っていないと思われます。(放送がどうだったかはわかりません。)

--

山崎は、「単語」と書いていますが、単語に続く前接語はその単位に含まれていて独立したものではないでしょうから、厳密には接語句(服部四郎がprosodeme(アクセント素)と呼んでいたもので、上野善道、斎藤純男は「句」と呼んでいたもの、ただし統語論における「句」とは一致しない)でしょう。いずれにせよ、初級のテキストにはふさわしい用語ではないですね。

--

平音と激音がVOT的に対立がなくなれば、トーンのみで区別されるようになったと言うことができます。まだVOT的には差があるように感じられることもありますが、でも、平音のVOTがゼロに近くなく、プラス方向に長くなっているのが、有気・無気の対立のある言語としては典型的ではありません。まだ中和したとまでは言えないものの、トーンに支えられて、有気・無気の対立がそれほど重要で無くなってきているのかも知れません。

とはいえ、ㅁ (m), ㄴ (n), ㅇ (子音なし), ㄹ (l)のひくなか調(LM, ˩˧)、濃音、摩擦音のたかたか調(HH, ˥˥)は全く余剰的(redundant)で、既にトーンっぽいです。

トーンと言っても中国語北方官話のように、音節毎に曲トーンが決まっているのではなく、山崎の言葉を借りると、接語句の最初の2音節の大体のパターンが決まってくるというものなので、どちらかと言うと日本語の京阪アクセントの高起式と、低起式の違いに似ているかも知れません。とは言っても、子音の分類はまだ(おそらく)有効であるので、平音と激音のVOTの区別が無くなるまでは、また更には他の子音でも「ひくなかはじまり」と、「たかたかはじまり」での対立が出てくるまでは、日本語の京阪アクセントの高起式と低起式の違いに似たトーンとして定着したとは言い切れないかも知れません。

--

ところで、余計なことですが、Googleの翻訳機能のところで機械に発音されても、たかたか始まり、ひくなか始まりは再現されているので、言語を工学的に扱って音声合成をしている人たちにとっても、このあたりは既に当たり前な知識となっていると思われます。

2022年2月18日

韓国語(朝鮮語)の平音(無声)と激音の対立

専門家でもないのにしゃしゃってすいません。

1つ前の記事で、韓国語(朝鮮語)の激音と平音の対立が、
接語句の初頭子音の対立から、初頭音節のピッチ(パターン)に
よって取って代わられつつあるということを書きました。

韓国語(朝鮮語)の子音には、

平音ㅂ (p), ㄷ (t), ㄱ (k), ㅈ (c)、
激音ㅍ (pʰ), ㅌ (tʰ), ㅋ (kʰ), ㅊ (cʰ)、
濃音ㅃ (pp) , ㄸ (tt), ㄲ (kk), ㅉ (cc)

の対立があると言われています。

平音は、環境による音声的なバリアントとして、
接語句の初頭位置では、無声の平音であって、
接語句内の有声音間、具体的には、母音間あるいは
有声鼻音(m, n, ng)、流音(l)と母音の間では有声音で発音され(句中1)、
無声内破音ㅂ (p), ㅅ (t), ㄱ (k)と母音の間には、
平音は出現しません(句中2)。

菅野裕臣(1981、『朝鮮語の入門』(白水社))によると
無声内破音と母音の間では、平音字で書かれる子音
は濃音で発音されます(句中2)。

となると句中1では、平音(有声)、激音、濃音の
3項対立がありますが、句頭とは違って、
プラスのVOTが早いか遅いかで区別される対立は
無いことになります。

他方、句中2では、激音と濃音の対立しかありません。

ということで、プラスのVOTが早いか遅いかで区別される
対立は、句頭にだけ見られ、それがトーンの高い、低いで
区別されるとすると、VOTを区別できるぐらいにはっきりと
発音しわける必要は無くなってきます。

ネットリテラシーのその次

ネットリテラシーの最低限のところって、インターネットに繋げて、
情報が検索できるかとか、アプリが使えるかとかまででいいと思うんですけど、

その次の段階も結構重要ではないかと思います。

紙媒体だけが頼りだった時代には、紙媒体の書籍や雑誌を
そのまま引用できたし、間違った情報であっても、
その責任は出版社なり著者なりにありました。

でも、今のネット上の情報の氾濫の中では、
情報の責任の所在も、(突き詰めればどこかにあるんでしょうけれども)
曖昧になりがちです。

--

家人が、このツイートではなかったと思いますが、

https://twitter.com/katze_ween/status/1477485333113864192?s=20&t=4hzeVthq-cL5JEflS8bD5Q

この「画像」は結構拡散していますから、
どこかでこれを見て、

「厚労省職員の9割はワクチン未接種なんだって」

と言ってきました。

これは、毎日新聞の記事では否定されています。

https://mainichi.jp/articles/20211225/k00/00m/040/096000c

というか、先のフォトショ画像では、「ワクチン未摂取」と書いていますね。
ワキが甘すぎます。

--

他にも、

https://twitter.com/universalsoftw2/status/1488515556940521473?s=20&t=7dlWe-NDQm_gC51altQQpw

HIVを発見し、2008年にはノーベル生理学・医学賞を受賞したフランスフランスのウイルス学者リュック・アントワーヌ・モンタニエ博士:「3回目の(ワクチン)接種を受けた人は、エイズの検査を受けに行って下さい。びっくりするような結果が出るかもしれません。そしたら、政府を訴えてください」。

というツイートを僕に示してきました。

(同趣旨のブログ記事があります:
 https://meigikanagata.com/aids/

そもそも、HIVの専門家は、「エイズの検査(a test for AIDS)」とは
決して言わないですけどね。

「3回目のブースター接種でHIVに感染する」と言うのは、
ロイターの記事で否定されています。

「Fact Check-COVID-19 boosters do not cause positive HIV tests
 (事実の検証: COVID-19のブースター接種はHIVテストの陽性の結果をもたらすことは無い)」
https://www.reuters.com/article/factcheck-boosters-hiv-idUSL1N2UM1Q0(英語です)

--

他にも、家人は、音声合成にしゃべらさせている動画を良く見ている
みたいなのですが、

それって、顔を晒して、自分の声で喋っているyoutuberと比べたら、
自分の正体を何らかの理由で隠そうとしているという出発点からして
いかがわしいじゃないですか。

「顔を晒して、自分の声で喋っているyoutuber」ですら、
言っていることは、全て鵜呑みにすることは危険ですが、

そういう、音声合成の動画は、出発点からして、事実でないことを
拡散しようという意図がある確率が格段に高いです。

--

大変な時代になってしまいましたね。

ネット上には、文字情報、動画情報など、ガセネタが氾濫していて
その中から事実だけを取り出そうとすると、そのために
手間を掛けなければなりません。

その手間を掛けないと、ガセネタを安易に信じ込んでしまうことに
なりかねません。

マルベリーフィールド、マルベリーフィールド。

外国人の訛りを模倣すること

先日、ラジオに日本語を外国語として習得した韓国人が出演していて
ちょっとアクセントのある日本語を喋っていたのですが、

家人は、その訛りを模倣して発音していました。

僕は、条件反射的に「外国人の訛りを模倣するのは差別的だから
やめなさい」と言ってしまったのですが、相手にとっては
ちょっと論理が飛躍していたように感じたかも知れません。

家人曰く「愛情を持って真似しているんだよ」と。

それでも、やっぱりダメだなあ。

韓国人ではない僕の前だったから、そういう「遊び」をしたので
あって、外国人の面前では、そのようなことはしないのかも知れません。

それであれば、「場所と状況をわきまえている」ことにはなります。

--

でも、外国人の訛りの模倣とか、方言話者の訛りの模倣は
やっぱり、僕的には許容範囲を超えています。

外国語の模倣だったり、方言の模倣だったら、問題はかなり少なくなります。

でも、コミュニケーションをする当事者である場合には、
相手の発音の癖をどうこうと考えている余裕はありません。

内容を注意深く聞くことに全神経を集中させるべきです。

家人の場合は、コミュニケーションの当事者ではなかったので
そんな「余裕」もあったのでしょう。

--

自分の属さない人間集団の喋り方を模倣して、それを煎じつめると
欧米にある、Ching Chang Chongになったりします。

へフェリン・サンドラ
「イジメ・ドイツ版(チン・チャン・チョーン!)」
http://half-sandra.com/column/2012/02/09/685.php

--

これは、方向性は違いますが、「発音の癖の違いに敏感に反応して」
英語で返答した茂木大臣の行動は、差別的と糾弾されてのし方が無いです。

「「日本語分かっていただけましたか」茂木外務大臣の振る舞いをどう見るか」
https://news.yahoo.co.jp/byline/mochizukihiroki/20200901-00196152

政治的に正しいのは、発音の癖がちょっと違った場合でも、
それならそれで、聞くことに集中して、その内容を理解した上で、
日本語で返答するのが良かったです。

まあ、同様の「被害」には外国に出るとしょっちゅう遭遇しますけどね。

ケベック州で、フランス語で話しかけても、英語で応答が返ってくるとか。

バルセロナで、カタルーニャ語で話しかけても、カスティリア語で返答が
返ってくるとか。

その行動の背景には、「外国人は、英語の方が、スペイン語(カスティリア語)
の方がよく通じるはずだと言う思い込みがありますし、

それは、僕の場合には、どちらも正しいです。

--

ロシアに行ったときに、ふとテレビのお笑い番組を見ていたら、
ロシア語人のコメディアンが、タタール人のロシア語を模倣して、

Как? [qaːq]

と言っていました。多言語国家、多言語地域では、
少数民族の訛りを模倣することが、「笑い」のタネになったり
することもあるんでしょうね。

政治的には、ギリギリか、アウトですね。

--

これが、韓国系アメリカ人2世のコメディアン
マーガレット・チョーの場合だと、

彼女は、いろんな出自の人の英語の訛りを模倣するのですが、
おハコが、彼女の母親の韓国語訛りの英語で、
それは、「母親」だから、「自民族」だからと言うことで
免罪されているところがありますね。

他の出自の人の訛りの模倣もしますが、
根底に、「自民族を笑う」ことがあるので、
免罪されているところがあります。

--

外国人の訛りを利用して、異民族を区別するのに役立てることは
古来からよくなされていて、シボレテ(シボレス)と呼ばれています。

ウィキペディア記事「シボレス」
https://ja.wikipedia.org/wiki/シボレス_(文化)
https://bit.ly/3JFR8tN (上の2バイト文字故にリンクに行かない場合用の短縮URL)

訛りがあると「命取り」になることも、各地の歴史上は
あったのでは無いでしょうか。

ところで英語で、「了解」の意味で「Roger」と言うのは、
日本人には発音しにくいので、シボレテ的に採用された
と言う説を聞いたことがあるのですが、
ちょっと検索しても出てこないですね。
と言うことは、ガセネタだったかも。(笑)

Rogerの語源には諸説あるようです。

--

と、話が膨らみすぎました。

外国人、地方人の「訛り」が耳につくのは
自然な心理的な過程なんでしょう。

その上で、国際的、族際的な現代人としては、
訛りを超えて、内容でコミュニケーションをすることが
求められていると思われます。

ちょっとの寄り道はしょうがないですけどね。

でも、究極には内容でコミュニケーションをすることが
できないと、何事も先に進めません。

About 2022年2月

2022年2月にブログ「タナナことば研究室」に投稿されたすべてのエントリーです。過去のものから新しいものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2022年1月です。

次のアーカイブは2022年3月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。