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エッセイ

1。
映画「his」を観てきました。
https://www.phantom-film.com/his-movie/

完全に同性愛者の実生活からは乖離した
フィクションとしてのBLではなく、
フィクションながら、ありえる話として、
ゲイを描いているように見て取りました。

しかしながら、宮沢氷魚が美しすぎて、
「3」次元の次元数が、小数点以下漸減して、
脳内で、「2」あるいは「2.5」に近づいてきてしまう
錯覚も、何度も襲ってきました。

最後は「こういう終わり方するか〜!」と思いました。
観た人が、各々、その後のストーリーを想像できるような
余韻のある終わり方だったなあ、と。

いずれにせよ、もはや「笑い飛ばされる対象」としてのゲイでも、
「非業の死を遂げる」ゲイでもなく、
普通に生活、それもど田舎で生活しているゲイを描いて
いたなあ、と。

私生活での宮沢氷魚も、私の前のブログで書いたように、
学習してアライになったのではなく、ネイティブなアライなのですが、
ど田舎で、思わぬ人が、これは学習してアライになった人なのでしょうが、
アライになっていくのが小気味よかったです。

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2。
「みんな違ってみんないい」
ではなく、
「みんな同じでみんないい」
っていうのが、特に右寄りの人、保守層の目指す
日本の根本的な原理なんじゃないかと思ったりします。

(それが、日本会議のようなカルトや
 親学のようなカルト道徳に裏打ちされている
 可能性もありますが。)

この原理に従うと、やっぱり、一部の人の例外を認める
「夫婦別姓」や、「同性婚」はそもそも議論の俎上に
載せられないってことなんじゃないかなあと思っています。

このネモトを揺るがさないと、議論は進まないんじゃないかと
思っています。

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3。

日本赤十字の、献血キャンペーンでの、巨乳キャラ
宇崎ちゃんに関する、フェミニストからの「違和感表明」
ばかりが目立っていますが、実は、赤十字が「甘く見ている」のは、
女性ではなく、ヲタク男性じゃないかと考えています。

赤十字は、「できれば、いろんな病気に感染している可能性の少ない
血液」が欲しいのです。

「二十歳の献血」もその一環だし、大学や学校によく献血車が
来るのもその一環でしょう。

私が想像するに、詰まるところ、ヲタク男性は、
ドーテーが多そうだから、「血がキレイそう」ってことではないかと
想像しています。

これは、「血が汚染されている可能性の高い」と彼らが思う
男性同性愛者を排除することと両極端をなしています。

これは、私のブログで書いた、「カテゴリー」による「区別」です。

「汚染されていそうなカテゴリー」よりは、「キレイそうなカテゴリー」が
好まれているという、そういう単純な図式なのじゃないかと。

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4。
家父長主義、男性中心主義から、人権を重要視した多様性のある社会へ。

遅々として進んでいませんが、今の(西洋を中心とした)世界と、
その1つの末端である日本は、その変化の過程にあるのではないかと。

その変化の過程の中で、家父長主義、男性中心主義では問題と
ならなかった、様々な行動パターンが、「ハラスメント」と
認識されるようになってきているのではないかと、
(この辺りの社会的事情に関しては、私は学識のあるものではなく、
 ただ生活する一市民ですが)考えています。

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5。
某大学の諸サークルで、同大の女子が排除されるということが
問題として報じられていました。

そのようなサークルは、他大学の女子は入部させることが多いようです。

これって、身も蓋もないことを言っちゃうと、
男子が、マウンティングできる相手の女子とじゃないと、
ちかしい関係になりたくないっていうことじゃないかと思います。
マウンタビリティーが大事なのです。

そんな、マウンティング・マインドの男子たちが多く
日本の国の省庁の官僚になっているんですよね。
女子に対してだけでなく、誰に対しても
「マウントを取らずにはいられない」人たちなんじゃないかと。

政府が旧態依然としていて、変革していかないことの
ネモトにはそんな事情もあるんじゃないかと。

それこそ、僕の「カテゴリーによる認識」ですが。

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という僕は、その大学の学生・教職員になったことは無いですが、
ゲイであるという、30年以上前には、言うことも憚られる、
言えば必ずマウントを取られる「カテゴリー」に分類される
人間でしたから、他の属性で、マウンティングが取りやすそうな
ものを、意識的、無意識的に、身につけてきてしまったのではないかと
思い、ちょっと悲しくなったりもします。

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6。
「間違い探し」という遊びがあります。

あれって、2つの絵を比べて、違っているところを
見つけるものですが、正確には、

「違い探し」

ですよね。決して間違えてるところは、1つも無い。

「違っているのは間違い」というのは、
上で書いた、
「みんな同じでみんないい」というイデオロギーと
連なっています。

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7。
某ジャニーズのグループのラジオ番組を聴いていたら、
リスナーから募った「心理テスト」とやらをやっていました。

テレビ番組などでは、Fラン大学の心理学教員を連れてきて、
「専門家のお墨付き」を付けつつ、
「心理テスト」を放送したりしているわけですが、

もはや、人々は、そんな「専門性」すらも求めておらず、
「偶然」で「分類」されて、「ご宣託」を受けることに
快感すら覚えているのではないかと思わざるを得ません。

案外「バーナム効果」に浴してしまうことを
望んでいるんじゃないかと。

占いの御宣託に一喜一憂したり、
おみくじに一喜一憂したりしている人多いですよね。

「いや、それは、マジじゃないから」
「話題を作るためだから」

と、コッチがマジになって批判することを
いなす人たちもいますが、
実は、実のところ、かなりマジにご宣託を
受け取っている人も多いんじゃないかと思っています。

日本人の宗教観って、そういうトコロなんじゃないかと。

何千年の歴史を背負い、かっちりとした体系を持った
神学に裏打ちされたものを提供する旧来の組織宗教ではなく、

ランダム性によって出てくる、ご宣託や占いの方に、
「神秘さ」を感じて陶酔してしまうのではないかと。

(おみくじは、旧来の組織宗教の一部が提供するものですけどね。
 でも、それは何か神学に裏打ちされたものではないですよね。)

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2020年2月 6日 00:07に投稿されたエントリーのページです。

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