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2020年1月 アーカイブ

2020年1月 6日

gender、SOGIに関連して日本語でラベルが無く範疇化も無い事柄

ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオを聞いていたら、
「兄が妹に説明する」というストーリーの、
メタウォーターのCMがありました。

12:34 18秒ぐらいから始まります。

ジェーン・スー 生活は踊る | TBSラジオ | 2020/01/06/月 11:00-13:00 http://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20200106123416

(放送から一週間以上経ったら、radikoでは聞けませんので、
 この番組の大体同じ時間(同じ曜日??)に探してみてください。)

これって、英語で言うところの、mansplainだなあと。
正しいか、正しくないかは置いておいて、
「男が女に説明する」という構図を、英語ではこう言います。

https://news.mynavi.jp/article/20131230-a030/

説明するというだけでなく、マウンティングをするということも
同時に行われています。

ラジオはテレビほどには人の関心を引きにくいということも
あるのでしょうけど、もし多くの人が知るところとなったら、
数十年前の、「私作る人!僕食べる人!」と同じくらいの
大問題になる可能性を秘めているCMではあります。

こういうmicroagressionは、もちろん男女間でのみ起こるもの
ではなく、様々な社会的関係の間で起こることでしょう。

(年上から年下へとか、高学歴からそうでない人へとかも
 あるでしょう。声の大きい人から、小さいへとかも。)

でもまあ、ステレオタイプ的に、男から女に行われることが
多いので、mansplainなんていうかばん語が英語では生まれています。

これ、日本語では、ラベル付けも、範疇化も(今のところ)
行われていないなあと思うのです。

--

よく、ゲイの出会い系の自己紹介文に、
「普段の生活ではノンケです」
というようなことばが並べられていることがあります。

それには、「隠しているだけで、ノンケ活動している
わけではないんじゃないの?」とか「オッパブとか
行ったりするのかよ?」というツッコミが可能なのですが。

まあ、普段の生活で、「ゲイであることを隠して生活している」
ということを端的に表わすことばが無いので、
「普段はノンケです」と、どうしても書いてしまう人が
後を絶たないのでしょう。

これも、ニュアンスはかなり違うかも知れないのですが、
英語でいうdownlowっていうのにカバーされているところも
あるかなあとか思ったり。

downlowというのは、主にアフリカ系北アメリカ人や、
ヒスパニックの人々の間で、「普段はノンケとして生活していて、
でも、ときどきホモ活動をする人たち」のことを指しています。

アフリカ系北アメリカ人や、ヒスパニックの場合、
性的指向はゲイであっても、異性結婚して異性と家族を
築いていることが多いので、それは、日本の「普段はノンケ」
っていうのとは違うかも知れません。

でも、普段はゲイであることを隠して社会生活を行っている
という、downlowの中心義に関して言えば、共通していると
言えます。

そこから第二義的に、異性婚をして家族を作るか、
異性婚はしないけれど、同性愛者であることをとにかく
ひた隠しにするだけかという違いは生まれてくるでしょうが。

(ところで、既婚ゲイというラベルがありますが、これは、同性婚がもし
 法制化されたら、意味が大幅に変わってしまう可能性の高い
 ラベルです。)

--

中国語に、同妻(Tóngqī トンチー)ということばがあります。

https://www.vice.com/jp/article/kzn4av/chinas-tongqi-the-millions-of-straight-women-married-to-closeted-gay-men

事情は様々でしょうが、不本意に隠れゲイ男性の妻になってしまった
女性を呼ぶことばです。

この「同妻」の側からライフヒストリーが語られたりすることは、
日本では、(すでに行われているかも知れないけど)私はまだ見たこと、
聞いたことが無いなあと。

そもそもそんなラベル付けも、範疇化もほとんど行われていないように
思えます。

そんな同妻、未来の同妻に目をやることって、日本ではまだまだ
少なく、逆に、そんな「被害者」のことは考慮に入れずに、
同性愛男性に「異性婚をしろ」という、家族や社会からの
プレッシャーだけは存在するなあと。それはひいては、
「同妻」という被害者を作ることでもあるのだけれど、
それがほとんど意識されていないというのが日本の現状なのでしょう。

2020年1月26日

映画「his」を語る宮沢氷魚・アイヌ語工学

今、radikoのタイムフリーで「宮沢氷魚」で検索すると、
映画「his」

https://www.phantom-film.com/his-movie/

のことを語ってる番組が出てくるよ。

http://bit.ly/3aJffH4 <-- radikoのタイムフリー画面。
2バイト文字が入っているので短縮しました。

前世紀の、「ラ・カージュ・オ・フォル」とかの
「オネエをどう演じるかが難しかった」っていう
話でもなく、

Priscilla, the Queen of the Desertみたいな、
「女装ばんざーい!」でもなく、

「同級生」みたいに、非業の死を遂げるのでもなく、

BLみたいに、フィクションとしてお耽美するのでもなく、

もっと現実味のあるゲイたち(それもちょっと近未来型)の
葛藤しながら生きる生き様を描いているようである。

(まだ観てないですけど!<笑>)

ラジオ番組に出る、宮沢氷魚は、LGBTに偏見を持たない
育ち方をしてきたネイティブなアライに思えるけれども、
大人に近づくに連れて、LGBTはこの社会では
多くの生きづらさを感じざるを得ないということを
自分の周りの友人たちの中に、目の当たりにしてきた。

また、番組で待ち受ける側のパーソナリティーも、
番組の構成上なのかもしれないけれど、
(アライになる過程を全く見せず)
アライであることがハナから当然になっているのが、
ンン十年前には想像だにできなかった情景だなあと
感慨深いです。

早く観に行かなキャッ!

--

NHKラジオ第1の「NHKジャーナル」の
1/21の放送分に、

https://www.nhk.or.jp/radio/ondemand/detail.html?p=0045_01

「アイヌ語消滅の危機に立ち向かうポーランド人」

っていう報告があります。

ポーランド人の准教授と大学院生が、
「言語工学」の技術を使って、
アイヌ語を残そうとしています。

(我々文系の言語学徒にも、別方向から
 やるべきことはありますが。)

2020年1月27日

ネイティブ・アライ、親密関係保護説

再び宮沢氷魚と「his」。

https://movie.walkerplus.com/news/article/220805/

1つ前のブログ記事には、radikoで「宮沢氷魚」でタイムフリーを
検索した結果が出ています。

数日で、今聞ける番組は聞けなくなりますが。

宮沢氷魚は、LGBTに偏見を持っていたのが、
当事者に出会うことによって、段々と偏見が無くなっていったという
習得アライではなく、

もっと若いときから、インターナショナルスクールで、
周りにカミングアウトをしているLGBTがいて、
それが当たり前であり、偏見を持ったことがないという、
ネイティブ・アライであるようだ。

(アライ [ally] というのは、LGBTQ+当事者ではないが、
 その人達に連帯する非当事者という意味です。)

そんな自分にとっては当たり前であるLGBTが、
世間の中では、自分とは比べ物にならない生きづらさを感じていることが
わかってきたという。

習得アライが悪いということを言っているのではないですよ。
でも、生育環境によっては、最早、偏見を一度も持ったことがない
ネイティブ・アライが生まれてくる時代になってきているということが
言いたいのです。

(以上、習得アライとネイティブ・アライというのは私の造語ですが、
 他は、ラジオ放送、ニュース記事で読み聴きしたものを
 要約しています。)

数年前に、ミュージカル「RENT」が日本で上演されて、
その出演者と、LGBT当事者が壇上にあがって
上演後トークをしていたことがあったのですが、
ある出演者が、「自分の周りにはLGBTはいないっす。
知らないっす」と言って、全く興味が無いようでした。
いやいや、その時の座組にいたじゃないの!
クローゼテッド・ケースではなく、オープンな人が!
みたいに思ったものでした。
そんな無知偏見者のような人たちも、
段々とpasséのものになっていくんでしょう。

(以上は、私の観察と意見です。)

閑話休題。

木村草太教授が、ラジオで、同性婚訴訟について話していました。

ロンドンブーツ1号2号 田村淳のNewsCLUB | 文化放送 | 2020/01/25/土 13:00-14:55
http://radiko.jp/share/?sid=QRR&t=20200125132905
#radiko

(これも、1/25から1週間のみの公開です。それ以降は聞けません。)

まだ広がっていない概念ですが、同性婚訴訟を突き詰めていくと、
結婚の依拠するところに、2つの説が出てくると。

「親密関係保護説」と、「生殖関係保護説」。

生殖関係保護説とは、子供を作るカップルが結婚することを
保護するべきだという説。

親密関係保護説とは、親密な関係にあるカップルが結婚することを
保護するべきだという説。

よくよく考えると、従来からの異性婚であっても、
生殖することだけが保護されているのではなく、
結婚した2人の、様々な事柄が保護されている。

子供を持たない・持てないカップルもいるし、
血縁によらない養子を育てているカップルもいる。

そう考えると、生殖関係保護説だけを主張していると、
主張の基盤がどんどんと崩れ去ってしまう。

他方、親密関係保護説を取ると、同性婚をことさら
排除することに、根拠が無くなる。

政府はその辺りが(言語化されてはいないだろうけれど)
争点になることは望んでいなくて、
のらりくらりと、説明をせずにはぐらかし続けてきている
というのである。

(以上は、ラジオ放送からの要約とパラフレーズです。)

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