« フジタとスーチン | メイン | 若手研究者を称える »

『夢のなかの夢』

チェーホフに「Тоска (憂鬱、憂愁)」という短編がある。かつて「ふさぎの虫」と訳されていた作品だ。
息子を亡くしたばかりの御者イオーナ。彼はだれかに息子の話を聞いてもらいたくてたまらないのに、だれも耳を貸してくれない。それで彼は愛馬に、きらきら光る目をした愛馬に、息子のことを話して聞かせる。そういう物語である。
読むたびに、だれかイオーナの話を聞いてあげればいいのに、と思ったものだ。

アントニオ・タブッキの 『夢のなかの夢』 和田忠彦訳(岩波文庫、2013)を読んでいたら、「アントン・チェーホフの夢」という短編にイオーナのような御者が出てきた。チェーホフは夢を見るのだが、そのなかで精神病院に入れられているらしく(『六号室』!)、そこへ翼の生えた馬が曳く幌付き馬車が迎えに来る。その御者が「聞いていただきたい話がある」とチェーホフに言うと、彼は「時間ならいくらでもあるからね」「なによりも人間の物語が好きだから」と答えるのだ。
なんて素敵な物語なのだろう! もちろん馬車は空へ舞いあがっていく。


dream.jpg


『夢のなかの夢』はタブッキが愛する芸術家20人の夢を描いた短編集である(ひとりだけ架空の人物が入っているということろにも洒落心を感じる)。
しかも、「何年(何月何日)」と夢を見た日が特定されていて、それがそれぞれの芸術家にとって意味のある「時」になっている。チェーホフの場合はサハリンに出かけた1890年。
もうひとりロシアの芸術家ではマヤコフスキーの夢が収められているが、それは彼が自殺した1930年に見た夢ということになっている。

いちばん素敵なのは「フェルナンド・ペソアの夢」。
ペソアが師とも仰ぐアルベルト・カエイロに会いにいく夢だが、帰りに馬車に乗り、御者に「どこまでお連れしますか?」と聞かれたペソアはこう答えるのだ。「夢の終点まで」と。
奇しくも、チェーホフの夢とペソアの夢は御者で締めくくられている。

About

2013年10月 5日 16:48に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「フジタとスーチン」です。

次の投稿は「若手研究者を称える」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。