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ルポライターとカメラマン

 

本田勝一氏が『ルポルータージュの方法』という本の中で,次のように書いています。

彼がアメリカ合衆国に取材に行った時には日本からカメラマンを連れていかなかった。それはどちらかが主体になって片方は完全にそれに従属してくれないといい仕事ができないからだ。ライターが主体だったらカメラマンが従属しないといい取材はできないし,カメラマンが主体ならライターが従属しないといい写真はとれない。ライターが自分で一番いい記事を書こうとし,カメラマンが自分で一番いい写真をとろうとして一緒にいくと,プラスよりマイナスの方が多くなってくる。

その言葉を往きの飛行機の中で思い出していささか不安になったのを覚えています。ありゃ我が強そうだな。だいじょうぶかな,って。

だいたい,ライターとカメラマンの仕事はかなり性格が違いますよね。

小説家と歴史家については有名な話があります。

小説家は歴史家に向かって言う。いいなあ,君たち歴史家は。何か資料があってそれを使って書けばいいんだから。俺たち小説家は何もないところからまったく新しく創り出さくちゃあいけないんだ。

それに対して,歴史家は小説家に向かって言う。いいなあ,君たち小説家は。何の制約もなしに勝手気侭に好きなことが書けるんだから。俺たち歴史家は,資料にあることしか書けないんだ。

これと似たようなことが,ルポの場合のライターとカメラマンについても言える。

カメラマンは言う。いいなあ,おたくたちライターは。人から話を聞いたりしたことや資料を利用できるんだから。俺たちカメラマンは,実際に出来事が起こっているその時にその現場にいなくてはならないんだ。

ライターは言う。いいなあ,君たちカメラマンは。その場に行ってシャッターを押せばそれでいいんだから。俺たちは現場にいくだけではなくて,帰ってから資料の山を前にウンウン言いながら文章化する仕事が待っているんだから。

さて本田さんの言葉に照してみると,われわれの場合はどうだったんでしょうか。カメラマンもライターもそれぞれが主体であろうとしたわけですけど。

意見が割れて,それぞれが別行動をとったということも何回かありましたね。でも,決定的に喧嘩別れするまでには行かなかった。編集者の小林さんが,出発前に小松氏にあんたは押さえて,押さえて,と説得したらしくて,その結果だったんでしょうか。

僕としてはプラスの面もかなりあったとも思っています。

その実例を一つお話しして終わりにします。

僕たちの本の中にチリの南にあるチロエという島についての一章があります。これは僕にとって一番気に入っている部分なのですが。その最後のところに,貝採りの人たちが冷たい水に何時間もつかって貝をとっている情景を描写したところがあります。

ところが,この部分のぶどう酒の箇所と,血の滲んだという箇所は,僕は現場でまったく気がつかなかったところなのです。あとで,小松氏が,高橋さん,5リットル入りの葡萄酒のびんを回しのみしていたでしょう,とか,足なんか血が滲んでたもんね,なんていったのを実は無断で取り入れたものです。

現場に行くと,自分の目の不十分さにいやでも気がつく。現場のさまざまなもの,色,形,音,におい,そうしたものがワーと全部おしよせてきて,どこにどう注目していいのかわからない。そうした時,写真家はきっとそうした本質的な場面をぱっと映像的に掴むんでしょうね。少なくともそうした訓練をしていないといい写真は取れないのでしょう。だから,そうした神経の使い方をしていると,数時間でくたびれてしまうでしょう。

旅行中,小松氏が,ちょっちゅう疲れた,疲れたとぶつぶつ言っていましたのはたぶんそのせいなんでしょう。

1993/09/10 小松写真展での挨拶)