クラウス研究にとってのベンヤミン『カール・クラウス』 (発表要旨)

ベンヤミンのエッセイ『カール・クラウス』は、マルクス主義的志向が顕在的に示される彼の30年代の著作のなかでも、3章からなるその構成そのものによって「弁証法的唯物論」がコンパクトなかたちで提示されているという点で、特別な重要性をもつものである。しかし、このエッセイは文字通りカール・クラウスについて書かれた文章でありながらも、まさにベンヤミンがこのなかで述べているように、いわばクラウスをもとのコンテクストから引用によって取り出し、新たな連関のうちに組み替えることによって、ベンヤミン自身の思考を提示するという性格を強く持っている。クラウスについて語りながらも、ここで描き出されているのはあくまでもベンヤミンの思考像である。その意味でこのエッセイは、クラウスについて述べられた同時代人のドキュメントとしての重要性は認められながらも、クラウス研究のコンテクストにおいては、扱いに困るテクストであり続けてきたように思われる。
しかし、まさにベンヤミンという同時代の同化ユダヤ人によって映し出された異質な像によって、結果的に、クラウスの思考の特質がより明確な輪郭をともなって描き出されているともいえる。その最も重要なもののひとつは、とりわけ「現実的ヒューマニズム」の体現者としての「非人間」というベンヤミンの位置づけによって浮き彫りにされることになる、両者の「根源」概念の差異である。ベンヤミンにとっての「根源」が弁証法的に変容を遂げたユートピアあったのに対して、クラウスにとって「根源」とは(ベンヤミンも実はそのことを意識していたのだが)あくまでも復古的なユートピアであった。このことは、一般に革新的なイメージが先行するクラウス像にとって、やはり強調される必要がある側面である。もう一つの点は、両者がこのように「根源」に関していわば対極の位置にありながらも、ユートピアと、そこからの離反・堕落、そしてユートピア回復の憧憬という、ロマン主義、西欧ユダヤ主義の思想的伝統のうちにあるという共通項である。このことは、クラウスにおけるユダヤ的特質を考察する上での重要な立脚点となりうるように思われる。