メメックスの基本的構想

 (ヴァネヴァー・ブッシュ「われわれが考えるように」から、「メメックス」についての箇所)

メメックス

選択に関する最も本質的な問題は、図書館がこのようなメカニズムの導入に遅れていることや、そこで使われ る装置の開発が行われていないことよりもっと深刻である。私たちが記録を得ようとする時に行う愚かな行為 は、索引システムの不自然さによって起こる場合が多い。あらゆる種類のデータが保存される時には、アルファ ベット順または番号順に並べられ、サブクラスからサプクラスペとたどることによって情報を見つけ出す(見つ けられた場合には)。複数のコピーが許されていない限り、ある情報は一箇所にしか保存されていない。必要な 情報に到達するための道筋を決める規則をもっていなければならないのだが、その規則は面倒なものになる。さ らに、ひとつの項目を見つけても、次にはもとに戻って別の新しい道筋へ入って行かなくてはならない。

人間の心はこれとは違い、連想によって働く。ある項目を把握すると、脳細胞が保持している複雑で微妙な連 想の網目に基づいて一瞬のうちに次の項目を連想するのである。また、頻繁に連想されない思考の道筋は薄らい でいく傾向にあること、連想される項目は永久不変ではないこと、記憶は一時的なものであることといった特徴 ももっている。それでも、連想の速度、道筋の複雑微妙さ、イメージの詳細さは、自然界の何にもまして驚異的 なものだ。

人聞がこの脳のプロセスを完全に人工的に複製するのは不可能だろうが、そこから学ぶことは可能なはずであ る。機械上の記録は何がしかの永続性をもっているので、いくつかの方法で記録の質を向上させることもできる だろう。このアナロジーから導かれる最初のアイデアは選択に問するものである。索引ではなく、連想による選 択を機械化することができるかもしれない。人間の悩が、連想の編み目をたどる速度や柔軟性を達成するような ことは望めない。それでも、永続性や記録から取り出された項目の明蜥さにおいて、心をはるかに凌駕することが 可能なはずだ。

私的なファイルや蔵書を機械化したような、未来の個人用の装置について考えてみよう。呼び名が必要なの で、適当にメメックスとでもしておこう。

メメックスは、個人が自分の書籍や記録、通信を保存するための装置で、機械化されているので驚くべき速度 で柔軟に検索することができる。人間の記憶を拡大し、補う個人的な装置といえよう。

メメックスは、離れた場所からも操作できるようになるだろうが、原則的には人がそこで仕事をする仕事机と 一体になった家具である。資料を投影して読めるように、上部には傾斜する透明なスクリーンが付いている。キ ーボード、ボタン}式、レバーもある。それらがなければ、ただの机のように見える。

一方の端には、記録された資料がある。大半は、改良マイクロフィルムに保存される。メメックス内部の記憶 部分はほんのわずかで、残りはすべて機械部品である。それでも、ユーザーが一日に五千ぺ−ジ分の資料を保存 したとしてもその記憶を満たすには何百年もかかるので、ユーザーは無駄使いをしても平気で、資料を無尽蔵に 保存していける。

メメックスで閲覧する資料の大半は、マイクロフィルムの状態になって、すぐに機械に入れられるものを購入 する。あらゆる分野の書籍、絵画、最新の定期刊行物、新聞はマイクロフィルムで購入し、所定の位置に収め る。ビジネスのための通信も同じようにして出し入れされる。直接書き込んで保存する方法もある。メメックス の上部には透明なプラテンがある。そこに手書きのノート、写真、メモ、その他あらゆる種類のものを置いてレ バーを押し下げると、メメックス用フィルムの次のプランクの場所に写真として記録する。もちろん、乾式写真 が使われる。

当然、通常の索引によっても記録を検索できるようになっている。ユーザーがある書籍を読みたいと恩えば、 キーボードから書籍コードを入力すると即座に表紙が目の前に映し出される。頻繁に使用するコードは記憶しや すい略号になっているので、コード表を調べなくてもよい。忘れてしまっても、キーをひとつ叩けばコード表を 画面に映し出すことができる。さらにいくつかのレバーがある。

一本のレバーを右へ動かせば、各ページがちょうどひと目で認識できるぐらいの速度で映し出され、見たい本 にざっと圏を通すことができる。レバーをさらに右へ動かせば一度に十ページずつ、さらに動かせば百ページず つながめることができる。レバーを左へ動かせば、逆に戻ることもできる。

特殊ボタンを使えば、索引の最初のページへ瞬時に移ることができる。彼の書庫に保存されている書籍ならど れでも、本棚から取り出して閲覧するよりも簡単に、しかもいろいろと便利な機能付きで画面に呼び出して調べ ることができる。画面を映し出す位置が複数個あるので、ひとつの画面にある項目を出したまま別の箇所を呼び 出すこともできる。ある種の乾式写真を利用すれば、余白にメモやコメントを書き込めるし、最近駅の待合室で 一見かけるテルオートグラフ(書画電送再現装置)で使われているのと同じペン針による方式を使って、あたかも 物理的なページが月の前にあるかのような使い方をすることもできる。

以上のことは、従来のやり方と何ら変わったところはない。今日手に入る機械装置と電気製品を将来に向かっ て延長しただけのことだ。しかし、それは連想索引法への直接のステップでもある。どんな項目でも、望めば瞬 時にかつ自動的に別の項目を選択するようにできるというのがその基本アイデアだ。これがメメックスの本質的 一な機能だ。ふたつの項目を結ぶというのは重要なことなのだ。

ユーザーが項目から項目への道筋をつくろうとする時には、それに名前を付けてコード表に挿入し、キーボー ドを叩く。目の前に結合されるべきふたつの項目が現れ、隣合わせの位置に映し出される。画面の下のほうに空 白のコード欄が多数あり、そのうちの一つを指し示すポインタが各々に用意されている。ユーザーがキーをひと つ抑けば、各項圏が永久的に結合される。コード欄には、コード・ワードが現れる。圏には見えないが、光電 管で読み取るためのドットー式が同時にコード欄に挿入される。このドットが各々の項目から相手の項目を指し 示すインデックスになっているのだ。

それ以後はいつでも、項目のひとつが映し出されていれば、対応するコード欄の下のボタンを叩くだけでもう 一方の項目を呼び出すことができる。さらに、多数の項目が道筋を立てるために結合されていれば、本のぺ−ジ をめくる時の要領でレバーを操作して、速くまたはゆっくりと順番にながめることができる。  まるで、広い範囲の別々の出典からよせ集められたいろいろな項目をまとめて一冊の新しい本をつくったよう なものだ。いや、実はそれ以上のことができるのだ。

どんな項目でも、多数の道筋に結合できるのだから。

メメックスの持ち主が、弓矢の起源とその性質に関心があったとしてみよう。

なぜ十字軍の小ぜり合いで、短いトルコ式の弓のほうが英国式の長い弓よりも優れていたかを研究していると しよう。彼は、関連する書籍や論文などをメメックスに何冊も保存している。まず、百科事典を取り出して全体 をながめ、興味深いおおまかな記述を見つけ出して画面に映し出しておく。次に歴史のなかから関連のある項目 を見つけ出し、上のものと結び付ける。このようにして、多数の項目の間のつながりをつくっていく。時たま、 自分のコメントを挿入して、おもな道筋につなげるか、特定の項目の横道の道筋につなぐ。手に入る材料の弾力 性と弓との間に深い関係があることが明らかになれば、彼は横道にそれて、弾性に聞する教科書や物理定数表を 巡り歩くことになる。そこで自分が分析した内容を手書きで挿入する。こうして彼は、手に入る資料の迷路のな かを行ったり来たりして彼自身の関心事の道筋を立てていくのである。

このユーザーの立てた道筋は消えない。数年後、彼の友人との会話は「奇妙なことに、人々は重要で興味のある ことがらであっても革新を拒むことがある」という話題に及ぶ。彼は例を知っている。より大きな射程距離の 弓矢をもっていたヨーロッパ人はトルコ式の弓の導入に失敗したという事実である。実際、彼はこの事実に関連 する道筋をもっている。ひとつキーを叩けばコード表が出てくる。ふたつご二つ叩けば道筋の冒頭が映し出され る。レバーを使えば関心のある項目で止まったり横道にそれたり、意志どおりに道筋を動き回ることができる。

この道筋は興味深いもので、この議論と関連がある。そこで彼は再生装置を起動させて道筋全体を写真に撮 り、友人に渡す。友人は自分のメメックスにそれを挿入し、さらに}般的な道筋と結合していくことになる。


テッド・ネルソン『リテラシー・マシン』にブッシュの『われわれが考えるように』全文が引用されており、上の引用は、アスキー出版、1994年の日本語訳から重引したものである。

原文は、Ted Nelson, Literary Machines を参照する以外にも、オンライン上で全文を入手することができる。(無料)

http://www.ps.uni-sb.de/~duchier/pub/vbush/vbush.shtml


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